スカラ・アル・カリプトからは逃げられない

「てめぇ……どうやってここに……」


 膝をつき、体に走るしびれと苦痛に耐えながら襲撃者が言った。


 この襲撃は彼にとって予想外のものだ、この場所が気づかれるなどというのは彼の想定ではありえない。この世界の無能どもに見つけられるわけがない。


「お前の狙いがわかったから網を張っただけだ、簡単だろう?」


 言いながら、テンプスはもう一発攻撃を放つ――今度は対処できた。


 砲弾の飛来した部分――右胸が突然大気に溶けた。


 大気の生霊の体を使った《透過回避》だった。彼の手に入れたイベントアイテム『霊体による覆い』の効果でスピリットの力を得たものだけが使える特殊技能だ。


 錆びた大気の生霊なら体を風に、朽ちた土の生霊なら土に、腐った水の生霊ならば水になるこの力は、魔術ならずとも魔術のような効果を示す。


「ほう、結構なことだな」


 興味深いをしながら、テンプスは再び引き金を引いた。


 その光景に男が嘲ったように喉を鳴らす、同じように躱すだけだ。


 体の大部分を溶かしながらそう考えた男の体は再びの衝撃に固まる――砲弾が透過できない!


「なん、なんで……!」


 衝撃で体が元に戻る、理解できない、これを貫く攻撃などゲームには存在しない!


「お前の体質のパターンは理解した。もとに戻るために体の基本的な構造を維持する部分がある――お前の体の基礎だ、魔力で構成されてるそこにパターン妨害を撃ち込むと、お前の体は豆腐のようにはじけ飛ぶ……って、言ってもわからんか。」


 ぽつりとつぶやくように彼が言った、悔しいがその通りだった。わからない。


 が――少なくともこの男は自分に攻撃する手立てがあるのだ。


『っち、三渓の奴が言ってた通りか!』


 自分たちの全く知らない能力を扱う――シャレにならない!なぜ攻撃できるのだ?


 舌打ちを一つ、今加速を行うわけにはいかない、欠点のせいだけではない、あれは――


「その能力、加速中は使えないんだろ?元々の体の形から逸脱し過ぎると時刻魔術が解ける。」


「!」


 再び放たれた攻撃と言葉に体がすくむ。


 加速の魔術――ゲームでは「テランポラリー」と呼ばれていた時間加速術はその術の性質上、この《透過回避》と併用できない。


 その理由を男は知らなかったが、ゲームだったころ、そういう裁定だったのだ、無理なことはしない方がいい。できないことには理由があるのだ。


 まるで心でも読まれているかのようだ。


 瞬間的に、体の構造変える――もっと体の固い朽ちた土の生霊。これならば多少は……


「変わらん。」


 無情な一言共に飛来した砲弾が体を打ち据える。


 防御が効かない、腹の中身を吐き出しながら体をくの字に折ってひざまずく――逃げられない。


「な、なんでお前に俺の動きがわかりやがるんだよ!」


 苦し紛れに口をついて出たのは疑問だった。


 自分は完ぺきにやっていた、騎士たちを誘導するために爆発を起こした。


 短期間で二か所の爆発、一回は大勢を巻き込んでいる以上、騎士は詰め所を開ける必要がある、詰め所から人間がいなくなったタイミングで潜り込む。さらにもう一つ爆発があれば、もぬけの殻にできるはずだった。


 完璧な計画だ――だというのに、なぜこの男がここにいる?


「――お前の加速には欠点がある。」


 見下みくだすように見下みおろして、テンプスは淡泊に答えた。


?」


「!」


 それは、最も根本的な問題――彼に、閉じた領域の物体には触れない。鍵がかかった部屋には侵入できないのだ。


「破壊はできる、滑り込むこともできる、だが。」


 それが、彼の能力だ。


 確かに優秀だが万能ではない。


 姿が消えているわけではないから加速をやめると姿が見えてしまうのもそれだし、物体を透過できるわけでもないから閉じた扉の向こうには行けないのだ。


「加速状態でさっきの《ばらけ》ができない以上、お前は一瞬止まって、扉の前で体をばらして加速を解き、その上で物を奪ってもう一回術を使いなおす必要ある。」


 そんなことをすれば見つかるリスクがある、何かしらの超常の存在が騎士の詰め所の証拠を盗み出すところなど見られれば間違いなく国は本腰を入れて調査を行う。下手すれば国際法院が出張ってくる。


 そうなれば逃げ切れるかどうかはわからない。それをこの男は嫌った。


「だから、お前は必ずもう一度事件を起こすだろうと思った。それも、自分が事を起こせると確信できるタイミングで。」


「……!」


「ああ、なんで僕がお前の目的を知ってるのかなんて下らん質問はするなよ。ここにいる時点でわかるだろ。」


 そういって興味なさげに、テンプスは砲口を向ける。


 とどめを刺す気だとありありとわかった。


「い、いいのか、俺をつぶせば玉櫛笥の場所は――」


「サンケイに聞く、お前が気にすることじゃない。」


 にべもない一言、もはや逆転の目はない。


 だが――ここで負けるわけにはいかない。


「――むぎょぉおおおっぉおおお!」


 意味の分からない声が襲撃者の口から漏れる、次の瞬間、エネルギーが動いた。


 テンプスが砲撃を放つよりも早く地面がめくれあがった――テンプスの想定上、一番質の悪いパターンだった。


 足元が揺らぎ、狙いが微妙にずれる。


 その瞬間に襲撃者が動く、路地の影に隠してあった箱に縋りつくように動く、その体はすでに大気の生霊のものに変わっている。


 殆ど一瞬で箱を押し開いた襲撃者の体を煙が覆う――次の瞬間には男の姿が消えている。


 なるほど悪くない手だった、これだけ大騒ぎしていれば騎士は詰め所から出てくる、そこを縫って入り込むつもりだろう。


 周囲に舞っている粉塵の壁――加速した肉体では粉塵は壁と変わらない――は生霊の肉体で強引に押し切るつもりだ。


 加速した肉体の老化を無視した強引な手法だった。捨て身の一撃、これしか選択肢のないときにだけ使える大技だ。


 こちらに攻撃してこないのは自分と戦う不利を知っているからだろう――二度目の襲撃時に彼をたたき伏せたのはテンプスだ。手を出すのにためらったのだ。


 なるほど貧者の知恵か悪人の嗅覚か、襲撃者は彼の選ぶことのできる最良の選択肢を選び、実行した。


 もし、攻撃していれば、キャスの分裂体が先行展開している部位に攻撃を当て、その体をつつまれてその体を拘束されていただろう。


 どれほど早くともすでに接触しているものを即座に振り払えるわけではないのだ、それを利用した罠は残念ながら不発だった。


「――コンスタクティオン コンストルティ コンストラクション、我が求め訴えに答えよ――」


 が、別段、それはテンプスから逃げられることを意味しない。


 相手の行動をすでに予測している以上、テンプスもまた行動を始めている。


 体を這っていたキャスによって時計の針はあっている――あとは、胸に張り付けるだけだった。


『――constructione構築


 瞬間的に彼の体を深紅のオーラが覆い、ガラスを割るように砕けた。


 めくれ上がった地面からくるりと空中で回転し着地した鎧姿のテンプスはほとんど同時にフェーズシフターに青のブースターを差し込んだ。





『――ひひっ!逃げた!逃げられたぞ!』


 襲撃者はすべてが止まり、音すらなくなった世界を必死に駆け抜けていた。


 あの男から可能な限り離れたかった、焦っているのが自分でもありありとわかる。


 が、それでも逃げ切れたのだ、この世界に侵入した自分に追いつけるものなどいない。


 稲妻の付与術だって、これほどまでに早くはない。時刻魔術なしに自分に追いつく方法はない。


 確信があった。勝ったと。


 ゲームのRTAですら使われるこのアイテムに、勝てるはずがないのだ。


 原作ですら、超加速能力者の主人公以外誰も手が出せなかったのだ、あのマギアですら手も足も出ない!


 騎士を詰め所から捌けさせられなかったのは痛いが仕方がない、扉は生霊の体の剛性に任せて破壊する、確実に体のどこかを負傷するが背に腹は代えられない。


 これならば自分の姿は見られない、そうなれば自分を探るものはいない、見つからなければいいのだ、殺しもいらない。


 間抜けにも路地裏を眺めている騎士たちの脇をすり抜け、襲撃者は事前に調べ上げていた証拠品保管庫を駆け抜ける。


 光以外何もない空間を駆け抜け、掃除されていない部屋の埃に毒づきながら彼は止まらない――根拠はないが急がないといけないと感が叫んでいる、早く物を回収し、あの男から逃げなければならない。


 そんな思い込みにせかされるように、男は全速力で走る。


 あくびをしている騎士の脇をすり抜け、地面に落ちる直前の書類を無視して彼は目的地にたどり着いた。


『――よし、計画とは違うがこれでキノトは俺のものだ、誰にも時刻魔術は渡さねぇ!』


 にやつく顔を押さえながら、襲撃者は体を丸める。体当たりで扉を壊すつもりだった。


 数歩後ろに下がり、彼はその体を全速で前に押し出――


「お前の装置は一度決めた加速度をあとから変更できない。十倍なら十倍、百倍なら百倍、千倍なら千倍。つまり――」


 そんな声が、まるで真横で爆弾が爆発したかのような衝撃とともに襲撃者を襲った。


 ありえないことだ、音よりも速く走る自分の耳に音が聞こえるはずがない。彼の耳に届く音があるとすればそれは――


「――使ったあとに自分よりも早い生き物が現れても対処できない――」


 ――自分と、同じ速度で動く存在が放つ物だけだ。


 呆然とした様子で、彼は顔を衝撃の方向に向ける。


 そこにいたのは、青い鎧のようなもの――襲撃者の認識ではボディスーツのように見える――をまとった人間。


「――つまり、僕だ。」


 その声は先ほど路地裏で聞きつけたものと同じもの――


「テン、ぷす?」


「そうだ――知らかったか?スカラ・アル・カリプトからは逃げられない。」


 そういって鎧越しにこちらに向けられる視線は驚くほど冷たく見えた。

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