ある代行者の質問とためらい
特任チーム――オカルタトゥム・シソーラスに割り当てられた部屋は豪勢なものだった。
名門を呼ぶためにずいぶんと奮発したらしい豪奢な内装はテンプスとマギアからすれば無駄に見えるほど華美だ。
一人でいるにはいささか広いその一室、マギアの部屋で一人の霊体と一人の人間が会話をしていた。
『……つまり何?サンケイはその来訪者ってやつなわけ?』
「ええ、この耳で聞きましたから。」
そう、同意する少女――マギアの一言に霊体は眉を顰める。
彼女よりもずっとテンプスとの付き合いの長い霊体からすればその一言は到底信じられないものだった。
テンプスが部屋に移動するのと同時に家族と別れて一人自室に戻ったマギアは、当然の権利のように魔術による盗聴を開始した。
それを婉曲な表現で咎めた霊体の大してマギアは意味深な返しを行った。
霊体はそれを問い詰めて――その理由がこれだった。
『……テンプスは?』
「知りません。」
その一言にさらに眉間のしわが深くなる霊体――キノトはそのマギアの言葉に疑いを深める。
それほど重要なことなら、あの少年につたえるべきだったのではないのか?
そんな感情が鎌首をもたげて、疑念の眼差しでマギアをじっと見ていた。
その疑問が氷解したのは次の一言ゆえだ。
「こんなこと、あの人には伝えられません。」
その一言には、テンプスへの慈しみと葛藤が感じられた。
確かに、自分も言えるか言えないかで言うなら、言えないだろう。
あのハンデを抱えた少年はそれでも弟の兄として弟を守ってきた。
それは彼が自分の家から追い出され、納屋で暮らすようになってからも同じことだ。
そんな彼に「お前の弟はどこの馬の骨とも知らぬ他人の魂が入り込んでいて、実はお前の弟ではない。」などと言えるはずもない。彼がどれほどの衝撃を受けるのかなど、考えるまでもなく分かる。
「わかってもらえますか?」
『……ん、そうね、私が浅慮だったわ。』
その一言に納得したようにマギアが一つうなずいて――
「――本題に入りましょう。」
この霊体を連れてきたのはサンケイの秘密を明かすためではない、それはあくまでも副産物だ。
『ん……いいけど、何が聞きたいの?テンプスの子供の時の失敗なら寝るときにでも話してあげるけど。』
「む、それはとても興味が――んん!あーそういうものではなく。」
脱線しそうになった話題を戻す――どうにも、この霊体は相手をしにくい。
『じゃあ、何よ、私が覚えてることなら全部話したでしょ?』
「ええ、その中の一つに興味があります。」
『時刻魔術のこと?同じようなことできるんでしょ?』
にわかには信じられないが――霊体になった自分をたやすく見つけ出す連中だ、なにができてもおかしくはない。
「それじゃあ、ありませんよ――魔術師協会でしたか、連中についてです。」
言いながら、彼女は眼光を鋭くする。
『あの狸爺たちの事?何よ?入りたいとかいうなら私はお勧めしないけど。』
「興味ありませんね、時刻魔術一つ理解できない連中に価値があるとは思えません。五歳の先輩と話している方が有意義でしょう。」
『ん、そうね、明らかにそっちの方が気分いいわ。役にも立つし。』
からからと笑いながら同意する相手に、マギアは強い視線で声をかけた。
「――私が知りたいのは協会が何を隠しているのかです。」
『……ふぅん?』
思わし気に霊体の眉が上がる。
その目線は品定めをするようにも理解不能なものを見つめているようにも見える。
「あの連中が何か意図をもって魔術を……そうですね、堕落と表現しましょうか……堕落させているのはわかっています。何が目的なんです?」
それは彼女にとって最も興味を惹かれる疑問だった――呪いとマギア自身の意思が合致している。そんなことはめったにない。
『……どうしてそんなことを?』
「先輩のために必要な措置――とだけ言っておきます。」
品定めの目線を鋭い視線で押し返す。何がなんでも答えてもらう必要がある。これがわかれば、一年後に訪れる悲劇に対処できるかもしれない。
マギアの様子を見つめながら、キノトはたっぷり一分、沈黙を貫いた。
重い空気が流れる、霊体とマギアの魔力がわだかまって実際に重量を感じる様にすらなっている。
『いいわよ、答えても――その代わり、あんたにもこたえてほしいことがあるわね。』
マギアをまっすぐに見つめて、キノトが沈黙の覆いを破った。
交換条件。なるほど、霊体らしい選択だ。
「……いいでしょう、なんです?」
言いながら、内心面倒だなと顔をしかめた。
この手の交渉事は苦手だ――1200年前は交渉の余地なくこちらを殺しに来る人間ばかりだったし、天上界には『譲歩』などという物はない。
知性の呪いで相手の行動を予測はできるし、魔術ではったりを利かせることもできるが突飛な行動の人間を相手にするのは苦手だ。
天才と呼ばれているくせに、その評価を捨てて妙な魔術に手を出すような相手は特に質が悪い。
相手がこの霊体でないなら強引に言うことを利かせる方法もあるが……それが隣にいる共犯者に知られるのは嫌だった。
『――あんたとテンプスの関係について聞きたいのよね。』
「……はっ?」
さてどんな要求が来るのかと身構えたマギアの耳に飛び込んできたのは、そんな一言だった。
『気になってるのよねーあんたとあの子の関係。付き合い短いんでしょ?のわりに維新電子って感じだし……私、あの子にチャット話してもらえるまで結構かかったのよ?』
「え、あ、や、まあ、いろいろありましたので。」
『ん、まあ、なんとなく想像はつくのよ?たぶん、あの子の事だからあんたのこと助けたんだろうけど――実際どうなの?付き合ってんの?』
「いや、私と先輩はそういう関係では――」
『えー……あの感じで?じゃあ何よ、あの子の事利用でもしてんの?』
「してません!!無礼な人ですね!」
『おお、すごい反応。』
苦笑交じりに反応したキノトは、しかし、一瞬後に顔を引き締めて。
『――真面目な話、私からするとあの子はずっと面倒見てる弟で夢の恩人なわけ、あの子のおかげで時刻魔術をつかえるって確信を持てた。それに対して敵対してるっていうんならあんたに情報は渡さない。』
その声には、何があってもやらないという凄みがあった。彼女の意思を曲げるには相当強力な魔術がいるだろう、少なくとも説得は不可能だ。
そんなキノトにマギアは珍しく気圧された気がした。
魔女相手でもここまで気おくれしたことはない――恐れてはいたが、戦う意思はあったのだ。
視線を斜め下にそらし、ぽつりとつぶやく。
「嫌いでは、ないですよ。嫌いなら一緒にいるはずもないでしょう。」
『じゃあ、どうなのよ。あの子との関係。』
「……私たち親子に先輩とそういった関係になる権利がありません。」
沈痛な面持ちでマギアはそういった。
『権利ぃ?何よそれ。』
「……あなたは知らないでしょうが、私たちの種族は……特殊なんですよ。」
『種族って……あんた達人間でしょ?』
「……違います、私たちは……呪われてるんです。」
細かい話はしない、したくなかったし……たぶん、しても意味はないと思った。
「私たちは天上界の生物の混ざりもの……普通の人間ではありません、天上界の生き物に近いんです、考え方も、体も。」
『……ごめん、わかんないわ、どういうこと?』
「……私たちは無性です。性別がない。この体は女性格に近いですが……結局のところ女性というわけではない。」
それは、テンプスにも語っていないことだ。
語って、彼にどう思われるのかが怖くて言えなかった。
「男女が付き合ってするようなことはほとんどできません、生理的に受け付けませんし、そもそも行うための機能がない。子供も、産めないんですよ。」
それは、天上界の生物にありがちな欠点だった――彼らは生殖を必要としていないのだ。
彼らは純粋な『正のエネルギー』で構成された生物であり、実際的には実体のない生き物だった。
それゆえ、増えるときは『正のエネルギー』を蓄えて子を産む。そこに生理的接触は必要がない。
「私のお母さんが私たちを産んだのは……偶然だったんです、おばあちゃんが呪いを弱めたから、肉体が人間に近くなって、そのせいで私たちが生まれた。」
あの日、マギアたちが腹にいることに気が付いた九人目の聖女はそのミスに気が付いた。
タリスを守るあまり、彼女を危険にさらしていたと気が付いた。だから――守護の魔術を緩めた。
「私と妹は、はじめっから性的機能がありません、その……夫婦になっても、夫婦らしいことなんてできないんです。」
だから、彼に好意を持たれる権利がない。
そう、言外に語るマギアにキノトはひどくあっけらかんと言った。
『気にしないんじゃない?あの子。』
「……なんでそう思うんです?」
『逆に聞くけど、あの子がそんなことであんたの事拒否すと思う?』
その一言に、マギアは答えに窮した――思えないからだ。
『まー家の事とか悩むだろうけど――そこは自分で何とかするでしょ。あの子天才だし。』
そういいながら、何やら一人で納得したキノトはうんうんとうなずいて――
『よっし、わかった、何でも聞いていいわよ、っていってもほとんど知らないけどね!』
と言って胸を張った。自分よりも大きい胸が強調される。
「……その……」
『んー?』
「……この髪の長さって先輩的にはどう見えると思います?髪の毛の色は……その、自分で変えられるんですけど……長さが変えにくくてですね……」
『おおう?』
もぞもぞと落ち着かない様子のマギアを見て、キノトは驚いたように声を上げた――予想外の質問だったがこちらの方が狸爺の話よりは好みだった。
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