玉櫛笥

「――では、契約は成立ということでいいですね?」


 テンプスとキノトの会話に割り込むように声を上げたのはマギアだった。


「契約って程大層なもんでもないがな。」


『そうね、成立でいいわ――で、私は何かを差し出すんだったかしら。』


「……あん?」


 意味が分からないと言いたげにテンプスがマギアに向き直る。


「そんな顔しないでください、以前に話したでしょう?私達代行者は契約を行う霊体と交わして契約します。それがルールなんですよ。」


「僕にはいらん。」


 憮然と言い放つテンプスに、マギアは幼い弟に噛んで含めるお湯に告げた。


「それだと、この人があぶないんですよ。対価もなしに生者に救われたとなればよその次元の連中に目を付けられます、善の領域か悪の領域かはわかりませんが、決してろくな状況にはなりません。」


 その一言に、テンプスは沈黙した。他次元界の法則についてテンプスはいまだにマギア以上の知見を得てはいない。そうなるのだと言われれば彼には否定の余地がない。


 それでも、と悩む彼に、傍らの霊体からも物言いが入った。


『ちょっと、私に弟弟子に借りだけ作って返せないような恥知らずになれっての?』


「……自分でそんな大層なもんじゃないって言ったんじゃなかったか?」


『姉弟子になるって言ったのはあんたよ?』


 そういって面白がるように笑う彼女に、テンプスは額を掻いた――どうして、この二人には言い負かされるのだろうか?


「……わかったよ、どうすればいい?」


「魔術制約みたいなものです――とはいっても、私の本はサンケイが所持者ですから、彼に頼んで契約してもらうしかないんですが。」


 言いながら眉を顰めるマギアの一言にキノトの一言が飛んだ。


『あら、あの子も巻き込まれてんの?あんたの事だからかかわらせないようにしてると思ってたわ。』


「あいつが先に見つけたんだよ。僕は後追いだ、いつも通りな。」


『……あんたが後追いだったのは先生の研究ぐらいでしょ。ほかは割といつもあんたが先陣切ってたわよ。』


「ほう、そうなんですか?意外ですね、割と受け身な印象がありましたが。」


「ん、兄さんは鷹揚。」


『そうでもないわよーなんか探しに行くときは先陣切ってたし――そういえばあの妙なバチバチする箱、今はつけてないの?」


「……電磁お守りか?人にやった。」


『あら、まあ、割と最後の方は魔術のそばにいてもけがしてなかったしねぇ。進歩を感じるわ。あの私の事ちょこちょこついてきてた子供がねぇ。』


「――ほう!詳しく!詳しく聞かせなさい!」


「ん!」


「興味ある、ね!」


『んー?かわいかったのよこの子、この子の兄と同い年だったからか知らないけど、私になついてね、「お姉ちゃん」とか呼んで、いっつも「褒めて……」って言って――』


「OKOKわかった、この話はよそう。」


 慌てたように、テンプスの声が響いた――今の十数秒で、いまだかつてない尊厳の危機だった気がしてならない。


「む……なんですか、いいでしょう、あなたは私たちの昔の話を知っているんですから、こちらだって知る権利がありますよ。」


「「そうだそうだー!」」


「なんで君らこんなとこでまで息ぴったりなのさ……?」


「「「家族だから」、ね」ですから。」


 まったく同時に放たれた三人の一言にテンプスは色をなくした――聞いたところでこちらのことなど効かないという意思がありありと見えたからだ。


「……好きにしなさいよ。」


 結局、テンプスは折れ、部屋の中心に置かれていた箱に視線をやる――何かしていないと逃げだしてしまいそうだった。




『――なるほど、この箱が時刻魔術の発動体なのか。』


 オキュラスの弦をいじって見える映像の倍率を変えながら、テンプスはそう結論付けた。


 テンプスに魔術の事はわからないが、魔術を行使する機構についてはわかる。


 この機構から考えるに、何かこの時代にはそぐわない魔術を行使する装置であることは明白だった。そして、今回の件にかかわる装置となれば可能性は一つだ。


『箱自体が周囲や所有者の熱を奪って魔力に変換してる。大した代物だ。』


 行ってしまえば、マギアが以前説明していた『自然的なエネルギーを超自然的ファクターによって変性させる』工程を箱とその中身で再現しているのだ。


 言ってしまえば世界の一部法則を箱の中に押し込めているのに等しい。


 同時に、それだけ大層な代物でなければ時刻魔術は扱えないということでもある。


 明らかにこの装置依存の魔術だ。となれば――


『相手もこれを使ってる……盗んだのか、この店から。』


 となれば、相手の残弾は限られているとみていい、ここで一つ、昼に一つ――


『あと何個残ってるのか……』


 知っている人間は一人だ。


 装置から目を離したテンプスはそのあてに向けて視線を向けた。


「ほう!勇者になりたがってたんですか?あの先輩が?かわいらしいことですねぇ。」


『そうなのよ、初めて会ったのが私が十一でこの子が四歳の時、こいつの兄貴も鼻につく奴だったからどんなのかと思ってたらかわいいのが出てきて焦ったわよ。』


「でしょうねぇ……」


 そこにいたのは自分の過去を語って笑いをとる女と自分の過去の話で盛り上がっている近所のおばさんと化した後輩だった。


 より厳密にいえば、後輩たちだ。家族も目をキラキラと輝かせて話を聞いている。


『……何が楽しいんだか。』


 苦々しい顔で声をかける――もういい加減、無視も限界だった。


「あー……キノトさん、聞きたいことがあるんだが。」


『んぁ?なに?』


「この箱についてだ。」


 そういって箱を振って見せる。


『……ああ、玉櫛笥たまくしげね。』


「たま……?」


『そいつの名前よ、どっかの逸話にそんな名前の箱があるらしいわ。』


「ほぉん?で、その玉櫛笥だが……相手も時刻魔術を使ってる以上、たぶん相手はこの装置と同じものを持ってたと考えていいな。」


『そう、なるわね。』


 言いにくそうなキノトの気持ちは察するに余りあるだろう。


「私も修繕の魔術で直した後中身を見ましたが、大した装置ですよ、技量の高さが知れますね。」


『あら、どうも――ただねぇ……私の術、まだ欠点があるのよ。』


「疲労ですか。」


「そっちはどうにもならんからなぁ……」


『……なんでわかんの?』


「「そりゃ似たようなことできますし。」しな。」


『……私って実はそんなすごくないのかしら……?』


 時間が早く進むということはそれだけ体力を多く消耗するということだ。


 代謝の速度が上がり、それだけ早く体が飢え、やせていくわけだ。


 テンプスの青の鎧――『時流掌握鎧装』ガイスト・アジリオスはその欠点を解消した鎧だ。


 時間を加速させるのではなく、時間から外れることで高速化する鎧――その分、正常な時間に戻ると感覚が狂い、動きに支障をきたすことはあるが。


『私の計算上、人の目につかないほどの速度ってなると一秒に百秒分、人の百倍近く疲れることになるのよねぇ。』


「それに、その速度だと音の壁にぶつかるでしょう、強化してない人間がぶつかったら確実にひき肉ですよ。」


 鎧とは作動原理が違うのだ。あの魔術は単純に体に流れる時間を加速させるが鎧は時間から自分を切り離す。


 鎧は時間の影響を受けず、ゆえに物理法則も異なったものになるが、あれは単に時間を多く経過させるだけ。その結果として加速はできるが、同時に疲弊もする。


 ゆえに疲れも増すし、空気抵抗の影響を受ける。


 この状態で音速を越えれば、音速の壁にぶつかるだろう。そうなれば確実に死ぬ。


『それもあるのよねぇ。』


「……だと妙だな。」


「何がです?」


 昼の邂逅を思い返し、テンプスは眉を寄せた。


「あの襲撃者は僕が視認できない速さで動いてた、確実に音速は超えてるはずだ。」


 だが、体がおかしくなっている様子はなかった。だとすれば、一体どういう方法でそれに耐えたのか……?


『……ごめんなさい、私にもわからない。それを避けるために私も音より早く動いたことないのよ。』


 キノトの萎れた顔が映る。さて一体どうやったというのか――その疑問をあっさりと解決したのは傍らの大魔術師だった。


「――強化してないなら壊れるとは言いましたが、強化しているのなら可能ですよ、体をスピリットに変換すればよろしい。先輩も大気の生霊の事は覚えているでしょう?」


「ザッコの時の?」


「ええ、『移ろいの霧』の魔術で体をスピリットのものに取り換えれば、高速稼働時の制限は消えます――最も、それだけで何もかも問題が解決するわけでもありませんが。」


『何よそれ、聞いたことないけど。』


「この時代にはないでしょう、過去にはあったんですよ。」


『……代行者ってのはみんなあんたみたいなことができるの?それともあんたも、先生の生徒ってわけ?』


「いいえ?私は先輩の後輩です。先輩のおじいさまには会ったことありませんよ。」


 その一言に、いぶかし気に眉をひそめたキノトににっこりと微笑んで見せる――見せつけるかのような顔だった。


「……だとしたら、相手はやっぱり転生者か?」


「可能性は高いでしょう、ただ、もう一つ可能性があります。この世に非ざる道具を扱う者たち。あなたも知っているでしょう?かなたからの――」


「――来訪者か。」


 思い返す。


 マギアを操り損ねたドリンやザッコ、あの連中の装備はこの次元においてはそうそう作りえるものではない。


 その機能を使い、体を強化しているのであれば――十分可能性はあるだろう。


「だとすると、つじつまが合います。時刻魔術を筆頭に時間干渉の魔術は魔力の流失が大きい、なのにあのタイミングまで私やノワが気が付かなかったのは――」


「装置を使ったから。」


 それなら、起動分だけの魔力で済む。


「ええ、正直、あの学園にいる来訪者の数だけでもかなり異様ですが、逆にあの数が一所ひとところに集まれるほど数がいるのなら――」


「――別の場所にいてもおかしくはない。」


 テンプスの顔に渋みが走る――面倒なことになったものだ。


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