弟の言えないこと。

「と、ともかく、本日はようこそお越しくださいました。さあ、こちらへ……歓迎の準備をしておりますので……」


 唖然としていた警備隊長は、数分後、絞り出すようにそういった。


 結局、彼はテンプスの存在を容認し、そのうえで無視することに決定したらしい。


 目標のために行われる冷たい妥協とでもいうべきそれを、テンプスも受け入れることにした。そのほうが影響は少ないし、そうでなくても、もめるつもりはない――これから十日以上暮らす場所の住み心地を悪くするする必要もあるまい。


 そう考えての双方の妥協は、後輩たちの徹底した攻勢で崩れた。


「きれいな花……素晴らしい細工ですね!」


「ええ、素晴らしいでしょう?これ、先輩からのもらい物なんですよ、あの人の作った装置で作られた魔力の結晶で――」


「では、お姉さんとは最近再会されたんですね。」


「ん、兄さん……テンプス先輩が見つけてくれたおかげ。」


「あのでが……テンプスが、犯罪者をですか?にわかには……」


「本当ですよ、学園の生徒に用務員、あそこにいるテッラを助けたのもテンプス先輩です。あの人がいなければ、今頃彼はここにはいなかったと思います。」


「あの男があなたよりお強いと?まさかまさか……この片田舎にもエリクシーズのナンバー2の名は広く知られているのですよ?そのような謙遜は……」


「してないですよ、俺はあの人に二回負けてる、あの学園で勝てるやつがいるとしたら弟とあそこのマギアぐらいだと思います、少なくとも、俺達には無理だ。」


 設けられた歓迎の席、ウェットウィルの街で最も大きい食堂で行われた歓迎の席で繰り広げられるのは奇妙な攻防だった。


 方や、町の住人はテンプスが無能であることを前提に、テンプスの無能さを軸にコミュニケーションをとろうとマギアやアネモス達に話しかけている。


 一方で、後輩たちはテンプスの優秀さ――テンプス本人は認めないだろうが――を軸に、彼らの「話題」を断ち切っている。


 それは一見すると和気あいあいとした会話に見えたが内実は後輩たちが苛立ちを抑えつつ、この町の人間を煽り倒す異様な光景だった。

 後輩たちの計画は簡単だった。


 。ただそれだけだ。


 というか、無理に褒める点を探す必要もなかった。ただ、彼が今まで行ってきたことを列挙するだけでいいのだ。


 街の人間としても、彼らがこのような行動に出るとは思っていなかったのだろう、困惑が表情にありありと出ている。


 彼らの計画では、テンプスをダシにこのチームとの関係性を築こうとしていたのだろう、当てが外れた格好になる。


 そんな混乱の中、テンプスは苦笑交じりにその光景を見ていた。


 彼に話しかけるような奇特な人間はいない。


 この街に住人からして、テンプスはただの雑菌に近いのだ、話しかけるような人間などいない。


 テンプスはそれでよかったし、それをどうこう言うつもりもない話しかけられても、なんと返せばいいのかもわからない。


 一人だけチームから離された席に通された――マギアたちが烈火のように切れて抗議したが食事の都合上これしかないといわれて鎮火した――テンプスは目の前にある食事に手を後輩たちの舌戦を眺める。


 彼の前に置かれた料理に何が入っているのかは、テンプスの能力が教えてくれた。過去にあったパターンだ。


 誕生会だと弟と呼ばれて、自分だけ別の席に通されて――中に、ゴミを詰めたパイを食わされた。


 これはあれと同じものだと、テンプスの感覚器がささやいている。


 目の前で冷めていくパイを眺めながら、オキュラスの視界が彼に見せていく映像を精査していた。


 レンズに流れるのはこの建物内部にいる人物の顔だ。知って理宇顔、知らない顔――様々な顔。


 その中で、彼が探していた顔はない。


『あんときの連中はいないのか……ここから逃げたって聞いたけど、マジだったかな。』


 思い返すのはサンケイがこの町で行った大立ち回りの記憶だ。


 この街で幅を利かせていたお偉方の一人ともめた一件の時、相手の取り巻きだった人間が、何やらしてくるのではと考えていたがどうもそれはないらしい。


 結構なことだ、少なくとも弟に下手なちょっかいはかからないということなのだから。


 手持無沙汰になったテンプスに声がかかったのはその時だった。


「あー……兄さん?」


「ん?」


 掛けられた声に振り返る――そこにいたのは件の弟、サンケイだった。


「どうした?」


「あ、いや、マギアから、放置されてるみたいだから一緒にいてやれって言われて……」


「ああ……心配性だな。」


 苦笑する、別段、自分の身ぐらいは自分で守れるのだが……


「仕方ないよ……ここは僕らには相性悪いでしょう?」


 そういって笑う弟も苦笑気味だ。


 とはいえ、それは当然かもしれなかった。テッラとの会話からエリクシーズの事を知っているはずのこの町の住人はサンケイとは会話している様子がない。


 彼らからすると、サンケイもまたテンプスと同じ扱いなのだ――最も、彼は反撃の危険性があるので、面と向かって攻撃もできないのだが。


「確かに……誰か知り合いいたか?」


「ああ、ほら、昔僕らにけんか売ってきた漁師の子がいた、あれだよ、兄さんが落とし穴掘って……」


「あー……いたな、そんなの。泥だらけになって帰って親に死ぬほど怒られたとか言って逆恨みしてた……」


「そうそう、まだ根に持ってたよ。「あいつは人を罠にはめるひどいやつだ――」とか言ってた。マギアにぼろくそ言われてたけど。」


 はははと笑う弟に微笑みで返す――久々の兄弟の時間だった。


「……あの、さ。」


「おん?」


 どっか言いにくそうに、サンケイが口を開いた。


「……その……」


「……」


 なかなか次の言葉を発さない弟の顔には苦渋が満ちている。


 何を言いたいにせよ、彼にとってそれはひどく口に出しにくいことなのだとわかるその様子に、テンプスは何も言わない。


 言えないのなら言わなくていいと彼は思っていたし、言うべきなら弟は言うだろうと信じてもいた。


「……今までの……こと……」


 ようやく口を開いたサンケイは、ひどく言いにくそうにしていた。


 その一言を言えば、元の関係には戻れない、それがわかるからこそ、彼は口を開くことができない。


「……ごめん、何でもない。」


 結局、サンケイはその一言を言えない。


 それを言うのに、彼が要する勇気を、今ここで引き出せなかった、あるいははなっから持ち合わせがなかったのかもしれない。


 唇を震わせてうつむく弟を見つめて、テンプスはそっと言った。


「……ん、ほれ、向こうで呼んでるぞ行ってこい。」


 そういって、テンプスは弟の背を押した――何が言いたいかのあたりはが、本人が言わないのなら口にすることもあるまい。


 それは本人が言うべきことだし、それがどんな言葉であれ、彼の返事は決まっている。


 結局、彼の気持ちの問題だ、彼がそれを受け入れられるかどうか、そういう問題。


 消沈した様子の弟の背を見送りながら、テンプスは頭を掻いた、どうにも、物事が複雑になってきている――あるいは、複雑だったことに気が付けるようになっただけか。


 どちらにしても、弟に関して自分にできることはないだろう。何をしても、追い詰める結果になるだろうと彼の能力がささやいている。


 何かしてやれればなぁと思うが何かができるわけでもない。


 これは自分と、弟の問題で――だから、テンプスにも手が出せないことだった。


「――お話、終わりました?」


 突然かかった声に後ろを振り向く――こんな時に声をかけてくる相手は一人しかいない。


「まあね、君は?」


「終わりました――あの程度で音を上げるくらいなら絡んでこなければいいのに。」


 そういって彼の傍らに座るのはマギアだ。


「それより大丈夫なのか?あいつらの事だから酒でも混ぜたろ。」


「それぐらい対策してますよ、魔女が今の私用に特別に調整した薬でもなければ効きません。」


「オモルフォスの奴か。」


「ですです――そっちは?」


「昔懐かしいゴミ入りパイだ。やり口が変わらん。」


「……っち、この建物ごと消し去ってやろうか……」


 そういって、顔に怒気を宿らせる後輩を苦笑交じりになだめる――心配性め。


「――大丈夫だよ、一人でいても。」


「あなたの大丈夫は信用なりません、ゴミ目の前に置かれてるじゃないですか。」


「これはもともと置いてあったんだよ。あとでおかれたわけじゃない。」


「その飲み物は?」


「……まあ、例外もある。」


 苦笑する、オキュラスの分析とテンプスの能力が正しければこれは汚水だ――たぶん、その辺の雨どいあたりから取ったのだろう。


「……仕方ありませんねぇ。」


 あきれ顔でそういって、彼女はひらりと手を振った。巻き起こった風が彼女の妹の机の残っていたパイを切り裂き持ち上げる。


 それをそのまま手元まで運んで――


「――はい、あーん。」


「……へっ?」


 それを、テンプスの口元に運んだ。


「あーん。」


 口を開けろとばかりに口元でひらひらと口元で踊る切れ恥を見つめて、テンプスは困惑した声を上げた。


「いや、あの……人いっぱいいるけど。」


「知ってますよ――なんです、手ずから食べさせてほしいんですか?」


「いや、自分で食べられるし……」


「あなたの事だから一口で済ませそうだから駄目です。」


「いや……あー……」


 マギアの目は真剣に見える――間違いなく、自分が口を開けるまで終わらないだろう。


「……あーん……」


 結局、彼は折れた――ひどい羞恥だったと、顔を赤くした彼を、マギアが満足げに眺めていたのを見て彼はこれが狙いだったと知ったのは少し後の話だ。


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