町の中にて

「――お前、テンプスか?」


 その声が聞こえたのはテンプスが宿から出た時だった。


 一瞬、誰の声かわからなかった。聞き覚えのある声ではない。


 では他人かと言えばそうではあるまい、こちらの名前を知っているのだ。


「なんだよお前、まだ世を儚んで死んでなかったのか?あの死刑執行人の出涸らしが。」


 そういわれて、過去の記憶がよみがえった――気分のいい記憶とは言えない代物だ、それは遠い日の苦痛の記憶。


「――コリン……か?」


 それは、隣町に住んでいた少年の名前だ。


 記憶の中では自分を追いかけまわす質の悪い犬だったが……


「あ?それ以外なんに見えるんだよ、とうとう頭まで狂っちまったかぁ?」


 そういって下品に笑う男には確かに、遥か遠い過去の――といっても五年程度の過去だが――記憶の中にいる下品な知り合いの顔だった。


「……」


 さて、なんと返したものか……とテンプスは一瞬考える。


 彼とはそれほど親しかった記憶はない――というか、殺されかけた記憶しかない。


 そんな人間に、一体何を言えばいいのか、さすがのテンプスにも答えがポンと出なかった。


 彼にしては珍しい悩みを抱えたその様子を、相手はどう解釈したのか、べらべらと饒舌に語り始めた。


「なんだよ、お前、こんなところで。ああ、さては学園だったか?あれ、首にでもなったんだろ?まあ、おまえじゃあ仕方ねぇよなぁ。」


 けらけらと笑う。


 何とも下卑た笑みを浮かべる男はまるで立て板から水でも流すように口を滑らせ続けた。


「それで実家に帰って首切り稼業かぁ?魔術も使えないんじゃあそれしかできねぇもんなぁ?」


 そういってこちらの顔を覗き込んでくる――昔に比べてずいぶんと顔がゆがんだ、性格が顔に出ているように、テンプスには見えた。


「なんか実家の方じゃあ、お前の弟が学園の代表になって帰ってくるとか言ってたが……その調子じゃあ弟にも捨てられたかぁ?どうせまた弟に頼ったんだろ?たすけてよーひぇぇんってか?」


 そういって、泣きまね……だと思われるジェスチャーをしているが、テンプスはそれどころではなかった。


 言いたければ好きに言えばいい、気にすることでは荷脚、気にする必要もない。問題は――いつのまにやらコリンの後ろで瞬き一つせずに相手を見つめている後輩一家の事だ。


 食事処でも探すと別れたが、どうやら見つけたらしい。そして――この現場を見たわけだ。


 一番明らかな怒気をはらんでいるのはマギアだ。


 オキュラスに映る彼女の目はまるで星のように爛々と輝いている。


 テンプスにはそれが何かよく分かった。魔力だ。


 マギアが密閉に使う時と同じ、あの物質にすら見える魔術の燐光が目から漏れている。


 明らかに尋常な力ではない。オキュラスの分析が正しければあれは不壊の王者に入り込んでいた男の魔術――死霊術と同じものだ。


 霊や生命に干渉する魔術と同じ力が、あの青髪が蟻に見えるような量で目線に込められている。


 もし、何かしらで自制心をなくせば――今があるのかどうかは定かではないが――すぐにでもあの魔力が目から飛び出し、この男を……どうするのだろう?想像したくはない。


 他方、ほかの二人は大丈夫かと言えばそんなことはない。


 ノアは見たことのない発光現象を背中に伴って立っており、その顔は普段見ることのないような無表情だ。


 タリスに至っては、テンプスをしてどうなっているのかわからない様相だった、体が不可解な変貌を遂げている。魔力が背から立ち上ってまるで帯のように肩口に渦巻いている。


 その三人がまるで親の仇でも見るようにコリンを見つめている。明らかにまずい。


 何とかしないと。と考えるのと、マギアが動いたのは同時だった。


 つかつかとコリン近寄って――彼を素通りした。


 一瞬、テンプスは面食うことになった。


 彼の予測では、彼女がコリンになにかする確率が高かったからだ、攻撃はしなくとも何か言うだろうと思っていたが――その変わりに、彼女はテンプスの腕をとった。


 まるで恋人がするように絡み、腕を抱いている。


「――先輩?どうしたんです、早く行きましょう?」


 そういって、朗らかに笑う彼女に先ほどまでの怒りの色はない。完璧な猫かぶりだった。


 花も恥じらう――いや、花すらとろけて消えるような笑顔の彼女はコリンを意味ありげに一瞥して問う。


 明らかに様子がおかしい。


 彼女がではない、彼女の身に纏う雰囲気がだ。


 普段の彼女もそうだが、今の彼女は一段と強烈に印象に残る。目に焼き付いたかのように視界に残って離れない。まるで太陽でも直視したかのようだ。


「誰です?お知合いですか?」


 そう考えているテンプスにマギアが問う。コリンの事を示した一言、まるで、彼の事に気が付いていないかのようなセリフだった。腕を抱きながら、まるで恋人にでもするに様に耳に顔を知被けて訊ねる。


「あ?ああうん、これから行くとこの奴。」


「ああ、そうでしたか、どうも、初めまして。マギア・カレンダと申します。先輩にはいつもお世話になって……」


 そういってしずしずと典雅に頭を下げる姿からは普段の彼女の影は見えない。


「あぇ、あ、ああ、こ、コリンだ。」


 まるで、油をさしていないブリキのようにぎこちない動きがテンプスの記憶の扉を再び叩く――これはだ。


 彼女の中の呪いが顔を出していた。これはニンフの力だ。


 直視すれば眼球をつぶすとされる幻想の生物の魅了。それが、本のかすかに――それこそ、米粒ほど――漏れている。


 そして、一般人の心をからめとるだけならそれで十分だった。


「――マギ……!」


「――兄さん、どうしたの?」


「ん、はぐれたらだめ、だよ?」


 静止の言葉を掛けようとしたテンプスを妨害するように声が響く。


 ノワとタリスだ――もれなく、彼女達の魅了も漏れている。


 そんな人間を見たら、それこそもう駄目だった。


 コリンの目は情動の熱で曇り、三人に向きもはやテンプスがそこにいることすら忘れている。


「さ、挨拶も済ませましたし、早く行きましょう?皆さん待ってますよ。」


 そういってマギアが手を引く、その顔に浮かぶのは天使のような笑顔だ――百人が見れば百人が見とれる笑顔。


 そんな笑顔が自分に向けられていないことに、コリンが何を思ったのかはわからない。


 わかるのはマギアの方を向いたまま口をぼんやりと開けてまるで操られるように声を上げたことだけだ。


「な、なぁ、そんなやつよりも俺とこないか。」


「あなたと?」


 相手に向き直り、心底不思議そうに首をひねる。かわいらしいもその様子に、相手の喉が動き、コリンが乾いた声を上げた。


「そう、そうだ、そんな男より、おれ、おれのほうが――」


「――死んでもいやです。」


「!」


 驚きに、コリンの顔がこわばった。


 そうだろう、彼からすればテンプスは出来損ないの出涸らしだ、彼についていくよりも自分の方がいいと本気で信じている彼にこのセリフは想定外だったことだろう。


「な、なんでだ!そんな、そんな出涸らしより――」


「――人の事を出涸らしだのなんだのと呼ぶような品性が下劣な人間と一体どうしてともに歩けると思うんです?」


「!」


 驚いたように体が固まる――彼女の魅力が形を変えて彼に襲い掛かっていた。


「それとも、先輩を貶めれば同意が得られるとでも?お世話になっている人間に罵声を浴びせて?ありえませんよ――そのくだらない目でこちらを見ないでもらえますか、私が汚れる。」


 そういってマギアは


 それは米粒が小石になる程度の表出だったが、一般人の心に衝撃を与えるには十分すぎたらしい。


 その一言を受けて精神に衝撃を受けたコリンはそのショックに意識を手放した、膝から崩れ落ちた彼を三対の目がひどく無感動に見ていた。






「――いいですか、先輩、あの手の奴に言いたい方だにさせるなんて何考えて――」


 テンプスに向けて口を尖らせながら、彼女は振り返る、あれは幼稚な仕返しだった。


 祖母の掛けた封印をかすかながら緩めて――もう張りなおしている――あの男の精神に負荷をかけて、そのうえで見せつけるなどそれこそ子供のやることだ。


 そう思いはするが――あれでいいのだと考えている自分もいた。


 天上界に住んでいたものとして、いわれのない誹謗には相応のばつがあるべきだ。


 そう感じない者たちがこの世に多いことは知っているし、世に配備凝ってるのも事実だろう。


 が、そういった存在を許さないのが天上界だ。


 天上界とはそういうところだ、あそこは人が思い描く天国ではない。


 悪なる存在を許さぬ場所、悔悛せぬ悪を滅ぼす者たちの住処。


 マギアもあの領域に住むものとしていくばくかの戦いに参加したことはある。


 復讐のための力を磨くための工程として参加した争いは決して平たんでもなかったし


 まるで世界を消しゴムで消すように滅ぼす化け物を倒したこともあるし、『設定』なるものを書き換えるわけのわからない生物を殺したこともあった。


 ステータスなるわけのわからないものを操る存在もいた――それほど強くもなかったが。


 魔性の物、聖なる物、堕ちたもの、昇天したもの――様々なものと戦ったことがある。


 そのどれもで彼女は勝ってきたし――だから、魔女たちを殺す計画に同意しているのだ――これからも勝つために最善を尽くすだろう。


 そんな彼女をして、あれは許されないことだった。


 まだ世を儚んで死んでなかったのかだと?そんなふざけた口を利くことなど誰が許したというのだ?いったい誰がこの天地であんな真似を許す?自らの恩人に、この『パランドゥーアの術師』の家族にあんな口を利くなど。たとえ誰が許したとしても、自分が許さない。


「――いいですか!あの不埒なクソガキが跋扈しているような場所にあなたを連れて行けというのなら私はあの理事長とやらの部屋を爆破してやりますよ!」


 そう叫んで、箱の扉を開く――全員に周知して、対策をとる必要がある。

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