叔母の家にて

「――つまり何かい、里帰りってわけだ。」


「厳密にいうと隣町だけど。まあ、たぶん一日ぐらいは帰るよ。」


 苦笑交じりに告げるテンプスは叔母、ヒコメに供されるいつも通りの茶を飲みながら彼女の店にいた。


 里帰り――になるだろう長期休暇の予定の話だった。ただでさえ、一月と少し前に一週間近く失踪を決めていた男だ、何も言わずに消えれば何が起こるかわからない。


 ちょうどよく、大叔母からの呼び出しを受けたテンプスはこれ幸いと彼女に報告を行っていたのだ。


「いつ出るんだい?」


「ん、終業式が金曜だから土曜からか。準備二日ってのもあれだが。」


「まあ、作戦なんてのはそんなもんだよ、んじゃあ、終業式は盛大に祝ってやろう。あんたらも来な!」


「おお!ありがとうございます。おばさまは太っ腹ですねぇ。」


 傍らで茶菓子をもそもそと食べていたマギアが上機嫌に声を上げた。


 彼女の傍らで同じように饗されている妹と母も上機嫌だった。おばの料理の味を知っていれば是非もない、タリスの料理も味わい深いが彼女の物は胸にたまる。


「っていうか、サンケイの奴から聞いてないのか?あいつにも通知行ってるけど。」


「ああ、最近悩みがちでね、こっちの話も生返事さ。心配はしてるんだが……ちょっと話してきてくれないかい。」


「……今日呼ばれた理由はそれか、いいけど、僕にだって話さんぞ。」


「行くだけ行ってみておくれ、どうなるにせよ、やってみなけりゃね。」


「わかった。行くよ。」


 ひらひらと手を振り、席を立ったテンプスを見送りながら、大叔母はぽつりと口を開いた


「しかし……あの町にねぇ、学園の行事でなきゃ反対だが。」


 明らかに嫌悪の混じった声だった。


「おや、意外ですね、叔母さまはこういうことには賛成するかと思っていましたが。」


「普通ならそうだがね……あの町は駄目さ、あの子には相性が悪い。」


「……何か、あったの?」


 おずおずと聞くノワに、豪放磊落を地で行く彼女には珍しい陰気な表情で口を開く。


「……あの子の家は死刑執行人だろう。あの手の田舎は周りの声が強いからね、歓迎されてないのさ。」


「ずっと住んでても、ダメ?」


「受け入れてる連中もいるにはいるが……若いのがね。人魔大戦が終わってから、扱いが急激に悪くなって……私らの代はほとんどダメだったね。」


 思い返すにも腹立たしい故郷の記憶はそれでもましな方だ、年代を経るにつれ、正義を信奉する勢力は常態化して――腐った。


「あの子の代は……ひどくてね、特にあの子は体質があるだろう、あの子の親も抵抗はしたけど……親父の方は遠出も多い、対処できないことも相応にあったのさ。」


「……引き取ったりは、しなかったんですか?」


「本人がね、嫌がって。弟もいるのに逃げられないとさ。あの頃から無茶する子だから――」


 警戒している。と、彼女が語る前に、階段から声が降った。


「――大丈夫だよ。」


 テンプスだった。


 話し合いはうまく行かなかったのか、早々に階段を下りた彼は先ほどまで座っていた席に戻りながら、叔母を見つめて言った。


「おばさんの警戒もわかるけど、僕だってそれなりになってんだから、何とかするよ。」


「そこは疑ってないよ、問題はあんたがまたぞろ妙なことに首を突っ込んで死にかけないかってところだよ。」


「あー……や、だから僕もそれなりになったし。」


「だからかえって危ないってんだ、あんたは力の見立てはいいが、それをフルに使って死ぬ直前まで行くだろう。死ななきゃいいってもんじゃないんだよ。」


 そう三白眼を向けてくる大叔母から、テンプスは目線をそらした。否定できないからだ。


 こちらをじっと睨む大叔母の視線に足らりと汗が流れる。やらないと嘘を吐くのは簡単だが、彼の能力は今までのパターン上、今回も何か起こる可能性を存分に示唆している。


 大叔母に嘘はつきたくない、もうすでに、自分の死期を知っていることを伝えていないのだ、これ以上は避けたい。


 重い沈黙の帳が、テンプスの周りを包む――空気が重くなり始めた。


「ん、兄さんは私たちが面倒みるから大丈夫。」


「ええ、本気でやばそうなら私たちが縛り上げて連れ帰るので。」


「ん、お母さんも行くから、平気です、よ。」


 それを破ったのは誰あろう、部外者であり、当事者でもある三人の家族だった。


 ない胸を張るノワに当然だとばかりに菓子を食べ続けているマギア、そこまではいい、どっちにしても彼女たちは連れていくしかないのだから。


 だが――


「えっ、いや、タリ――「お母さん」――いや、叔母さんの前でそれは……ええっと、大図書院の仕事は……」


「ん、大図書院、司書さんが長期休暇中占拠しちゃうから、お仕事休みだし。」


「あー……」


 休みの間、誰もいない大図書院の書庫で本を積み上げる司書……容易に想像ができた。いつものことだ。


「いや、でも……さすがに学園の行事に親が来るのは……まずいのでは?」


「?何かおかしいんですか?観光ですし、母が行ってもいいかと思ってましたが。」


「ん、お母さんだけ留守番はかわいそう。」


「あー……」


 そこまで話して思い出す――彼女たちは現代の人間ではない。


 これまでは奇跡的に齟齬が起きていなかったが、どうやらここでかみ合わなくなったらしい。


 つまるところ、彼女たちにとって学園の何かに親が付いてくるというのは何ら不思議なことではないのだ。むしろ、離れる方がどうかしているとすら思っている。


「あー……一般的に、親が学園の行事についてくることってないからな。」


「なんでです?親がいるほうが安心でしょう。普段の授業が見せられないのはカリキュラムの漏洩防止だのなんだのでわかりますが……どこかに行くのに親が付いてこれない理由がわかりません。」


「ずっと親元にいるわけにもいかないだろう?独り立ちの時って来るし……。」


「私たちはいる。」


 堅固な反対だった。


 が、考えてみれば当然の事なのかもしれない。


 マギアからすれば1200年ぶりの家族と大して価値のない――実際、彼女は友人とテンプスが在籍していること以外に学園に価値を見出してはいない――学園からの通達でいくばくかの時間とはいえ、別れる気にはならないだろう。


 ノワとタリスにしても、一度別かれて1200年後に再開した家族と再び別れる理由として学園の行事だというだけでは納得できない。


 そうでなくても、1200年後の世界に突然分かれて生活は心情的に容認できまい。


「……まあ、観光地だしいいか……」


 あきらめたようにつぶやく。幸い、行き先は観光地なわけだし、旅行先と被ったとでもいえばごまかしは効くだろう。


「……独特な子たちだねぇ?」


 どこか驚いたようにつぶやく大叔母に苦笑しながら、テンプスは肩をすくめた――独特ではあるだろう、1200年前の偉人なのだから。


「でも、まあ、うちのへんちくりんと付き合うのならこれぐらいがいいんだろうね……任せるよ、うちの孫をよろしく。」


「ええ、最悪縛り上げてでも連れ帰りますので、ご安心を。」


「結構結構!それぐらいじゃないとこの子は止まらんしね!」


 豪快に笑う祖母に苦笑する――変なところで意気投合しないでほしかった。





「――テンプス、ちょっと来な。」


 叔母が真剣な声でテンプスを呼びつけたのは、帰りしなの事だった。


「どした?帰省の事なら――」


「ああ、そっちはいいよ、あんたにお似合いだ。離さないようにしな――同時に三人はきちんと家業を継いだ後にした方がいいけどね。」


 近寄りながらの一言に、大叔母は頭を振る。そういった関係ではないとテンプスが言うよりも早く、大叔母の口が動いた。


「――あんたが倒したあの呪縛生物の遺体が盗まれた。」


 瞬間、テンプスの顔がこわばる。


 あの名声の魔女の孫を名乗る動く汚泥ウーズ、その死体が消えたのだと、大叔母はそういったのだ。


「あんたのことだ、予測してたかい?」


「……可能性があるなとだけ思ってたよ。」


 何せ、1200年前の魔女が作り上げた呪縛生物だ。決して高い確率ではなかったが盗みたがる奴がいてもおかしくはない。


 だが、その確率は決して高くはないと思っていた。国際法院の執行官に襲い掛かれる奴はほぼいないし、国の騎士だって騎士だ、けんかはそうそう売られない。


「何があった?」


「研究機関に移送される途上で、何かに襲撃を受けたらしい。運搬要因は重軽傷で全滅だとさ。」


「輸送は公表情報なのか?」


「まさか!隠してたさ。」


「……輸送ルートが漏れてたのか?」


「もしくは、輸送を担当した人間自体が犯人かのどっちかだね、どっちにしても面倒な話だろうさ。」


 肩をすくめていう大叔母は呆れを含んで見えた。それが犯人にか輸送部隊にか、あるいは輸送部隊の選定をした人間にかはわからない。


「……わかった。ほかには?」


「とりあえずわかってることはそれだけだね。別にどうなるってもんでもないだろうがあの一件の立役者のあんたには話しとくべきだろうと思ってね。」


「ん……ありがとう、叔母さん。」


「いいさ。あんたと私の仲だろう?」


 そういって笑う叔母をしり目に、テンプスはこの一件から何が起こるのか無数に枝分かれした可能性を探り始めていた。


 答えは――まだしばらく出せないだろうと思いながら。

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