逃げられないこと
「――ありがとうございます!ありがとうございます!」
屋上の一角で、二人の女子がまるで何かを仰ぐように頭を下げていた。
土下座せんばかりの勢いで礼を叫んでいるのは誰あろうセレエとフラルだ。
彼女たちの手には何かの紙――期末試験の答案があった。
どうにか平均点を超えられているその答案は、彼女たちの頑張りと、長期休暇が守られたことを意味していた。
まともに勉学に励んだことのないセレエと基本的に好きなことにしか食指の伸びないフラルには期末試験は鬼門だった。
特にフラルはまずい、彼女は基本的に周囲からエリクシーズ――今は合併されているが――の一員としてある種の憧憬を抱かれている。
この五人は何でもできて、それでいて、人格も卑しからぬ素晴らしい人間だと思われている。
が、残念ながら、真実を言えばフラルはそんな人間ではないし、ほかの人間にだって苦手なことはある。
実はアネモスは近接戦闘に難があるし、ネブラは対人関係が壊滅的だ、テッラは――あの魔女のせいか、実は限られた人間以外の女性に軽い嫌悪感があるらしい。
ではフラルは……もはや考えるまでもあるまい、勉学が苦手だった。
それでも、彼女はそれなりに対処しようと頑張っていたのだ。これまではテンプスに頼み込んでどうにかこうにかイメージを維持していたのだが……ここにきて起きたのがあのテンプスの体調不良だ。
殆ど死にかけているようなありさまのテンプスの様子を聞いて、彼女としても自分の都合を優先しようとは思えない。
というわけで頼ったのが余裕のあるマギアであり――結果的に起きたのがあのスパルタ学習だ。
期末試験をいつもの倍は緊張した様子で受けた彼女は結果を受け取って――あれだ。
まあ最も、テンプスはおそらく、彼女たちが落第になる可能性はないだろうと思っていた。
理事長曰く、この特任チームは後方を兼ねている、その第一陣である今回の職場体験に人数を欠いて出すことはあるまい。
この前の試験問題と同じように、それなりに始末をつけるだろうと思っていた――何なら、この結果も、本当に合格点だったのかは謎だ。
彼女たちの頑張りは認めるし、信じてもいるが、この学園は人の信認を裏切ることが多い。
「ふっふっふ、そうでしょうそうでしょう。」
「ん、姉と私のおかげ。」
その声を聴きながらない胸を張るのは一回生が誇る天才児たるノワとマギアだった。
彼女たちがこの件のからくりに気が付いていないとも思えないが――いや、気が付いていてあれか。
「いいですか?この合格点は私たちのおかげ、つまりあなたたちは私たちに借りができた!そう考えて構わないですね?」
ふふふと、不敵な笑みを浮かべる――あの顔をするときのマギアのたくらみは、なぜか大体うまく行かないのだが。
「ああ!何をさせたい?訓練の相手なら喜んでするぞ!」
「あ、それはいいです、ノワと先輩で事足りてるので。」
「そういわず。」
「いえ、だからいいって――ええい、まとわりつかないでください!あなたがしたいだけでしょう!?」
「そうだが!?」
「それじゃあ、借りを返すことにならないじゃないですか!ええい、ノワ、手伝いなさい、いっぺん縛り上げますよ!」
何やら混沌としてきた一角を眺めながらテンプスの傍らのテッラがぽつりとつぶやいた。
「……止めてきた方がいいか?」
「大丈夫だよ、ただじゃれてるだけだ。」
そういって、彼は最後の一パーツを外す。
取り出されたのはスカラーが誇る、神秘の結晶。今フラルとじゃれている少女の肩を占有する使い魔と同じ機能を持つそれ――アグロメリットだった。
「きれいだね。」
傍らでしげしげとこちらを見ていたネブラがつぶやく。
「ああ、ほんとに……マギアの使い魔とは違うのか?」
橙色の結晶を一瞥してテッラが告げる、そろそろ昼食だ。
「ほとんど一緒だ。ただ自立稼働はしない。この頭がくっついてた体があって始めて動くんだよ。」
それが通常のアグロメリットだ。
何かの力あるパターンを数億にもなる傷の中で作り上げ、それによって特異な力を発揮させる。
このアグロメリットの中には不壊の王者の『正常な』戦闘パターンと武装の行使能力がこもっているはずだ。それにキャスたちの認知能力を与えれば……
手の上で神秘の結晶をもてあそびながら、目の前の少女に目をやる――こちらはこちらで大変だった。
「――ああ、ここ、そうか、総当たりじゃないといけないのか……っく……」
必死扱いて試験問題とにらみ合い、マギアの試験問題と自分んお問題の違いを漁っている少女――フラルの妹であるアネモスはまたしてもテンプスとマギアに負けたことに本気で悔しがっているらしい。
「……あっちは止めなくていいのか?」
「あれはいつものことだし。」
「まあ……そういうことだから。」
逆にテッラに聞いたテンプスに対して、二人が放った言葉はこんな調子だった。
その光景に苦笑しながらテンプスは傍らで黙して語らぬ弟をちらりと見る。
こちらに意識を向けているのは明白だったが、同時にこちらを避けているようにも見える自らの弟は明らかに挙動不審だった。
聞けば、ここ最近――二週間ほど――はずっとこんな調子らしい。
最初は心配していた彼らも、その様子から触れられたくないのだろうと、心配しないようにしているらしい。
テンプスにしても、このような不思議な態度の弟を見るのは初めてだ。
何かあったのだろうが――何があったのかはわからない。
可能性だけは考えられるが……どれかなどわからない、彼の心は彼のものだ、テンプスにはあずかり知れない。
すでに体、精神、そして、幽鬼界に影響がないのは判定済みだ。オキュラスの霊体探知はこういった用途でも使える。
であるのなら、無理に聞き出しても仕方があるまいと、テンプスは考えていた。
弟にだって秘密はあるのだ――自分が、将来の死を隠すように。
「おーい、そろそろ飯だぞー」
テッラの気の抜けた声をぼんやりと聞きながら、テンプスは後何回これを見て、この輪の中に入ることになるのか、目の間ねい広がるパターンを見ながら考えていた。
「しかし……なんでここなんでしょうか?」
全員が集まった昼食の席で顎に手を当てたアネモスの一言は当然といえば当然の疑問だった。
取り分けられた昼食を食しながら、テンプスは彼の考えを述べた。
「あそこは観光地だろう、港が広いんだよ、よその国から来客が多いんだよ。で、その分問題も多い。ってなると、警邏の詰め所もでかいんだよ。」
「あー……そこで顔を売れと。」
「よその国の人間にもね、うちの故郷にも港自体はあるんだよな。」
小さい上にさびれているが、それでも昔は活気があったと聞いている。最も、隣町が巨大企業の招致に成功するまでの話だが。
「じゃあ、隣町との仲は……」
「あんまよくはないな、まあ、ある程度の年齢――僕の爺さんぐらい――でもないとそこまで気にしてないが。」
というかできないのだ、あまりにも規模に格差がある。あの町との交流を断てば、自分たちの故郷は地図から消えてしまう。
「おかげさまで、僕が生まれたころにはもうすっかり隣町の属領みたいになってたな。」
隣町の住人は彼らの故郷に来ればまるで王侯貴族のようにふるまい、そして、故郷の人間はそれに耐えていた。
決して愉快な状況とは言えなかったが、我慢するほかなかった。それ以外、どうにかするすべはなかったのだ。
「ま、一応、サンケイの奴が一泡吹かせて多少ましになったんだが。」
「――ほう!うわさに聞く、故郷での大立ち回りか?詳しく聞かせてほしいな!」
突然、目の前に現れたのは灼髪の頭だ。
目の前に飛び出すように現れたフラルをマギアが普段の速度に見合わぬ動きで片手で押しとどめた。
「近いですよ――でも、私も興味がありますね。」
そういってこちらを見る目にテンプスは傍らを見つめる。
サンケイの耳がかすかに揺れる。話してほしくないときの動き。
「――詳しくと聞かれても本人に聞いてくれ、僕は最後にちょろっと出張っただけだ。」
「む……本人が話してくれないから義兄上の口から聞きたかったのだが。」
「じゃあ僕だって言えないよ、弟が話したくなったら聞いてくれ――ご馳走様、こいつでやることあるから行くぞ。」
手の内の結晶をくるりと回し席を立つ。明らかにフラルは追撃を掛けるつもりだ、逃げるほうがいい。
「む、ちょっと待ってくださいよ先輩、すぐ食べきるので。」
「ん、すぐ済む。」
「ゆっくり食べなさいよ、研究個室にいるから。」
「あなたの事だから変なことに巻きこまれそうだから駄目です。三十秒待ちなさい。」
そういってまるで穴の開いた容器のように彼女の前に置かれた食事が消え始めた。
まるで魔術だな……と苦笑しながら、それを見ていたテンプスの背に弟の声がかかった。
「……兄さん。」
「ん?どうした?」
振り返る。
弟の顔は先ほどと変わらず陰鬱で――かすかな悲しみが見え隠れしていた。
「その……あの町の事。兄さんが帰りたくないのなら――」
その先に続く言葉は聞かずとも分かる。
そうしたくないといえばウソになるだろう、あそこにはいい思い出がない、あの町にも、故郷にも。
だが――
「……いいさ、いい思い出のある場所じゃないが、逃げ続けられるわけでもない。それに――」
「……それに?」
「――今年は、帰らなきゃいけないと思ってたんだ。」
そう、彼は鎧を手に入れた以上、彼は一度帰る必要があった。
それが彼の――鎧を引き継いだ人間の務めだ。怠るわけにはいかない。
それに……これはたぶん、これが最後の里帰りだ。別れは、告げる必要がある。
なんといえばいいのかはわからないが。それでも、何も言わずに死ぬのは……問題だろう。
逃げられないことはどこにでもあるのだ――彼にとっては里帰りがそれだったということなのだろう。
こちらに向けて歩くマギア姉妹を見ながら、テンプスはそんなことを思っていた。
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