ある弟の後悔とある代行者の暗躍……?

「――ってのが、ことの顛末だな。助けになりそうか?」


 そういって、いつもと同じように母性すら感じる笑顔でこちらを見つめる友人に、以前は感じなかった引け目を感じながら彼はかすかにかすれた声を上げた。


「ああ、うん、ありがとう。これで父さんに連絡できるよ。」


「ん、ならよかった。あ、昼どうする?俺らはいつも通り屋上に行くけど。」


「あ、うん、僕もいくよ。じゃあ。」


 そういって、足早に歩き去る。


 背中に刺さる友人の視線が痛く感じた。





『――たぶん、間違いない。』


 先日の兄の不調、そして、自分の知らない何かのイベント、それにかかわる兄。


 先ほど友人――テッラから聞いた言葉を思い返す。


 アニメ本編では決して現れなかった尋問科という連中とそれにまつわる事件。


 英傑教との小競り合いと、それによって殺されそうにになった生徒の救出をノワたちと共に行ったというテッラは兄の慧眼を褒めていた。


 話を聞けば一大スペクタクルだ。対策委員会とやらが途中で現れ空を駆ける馬と共に去っていく場面など彼は見たことがない。


 ここまで違うとなると、おそらく……いや、殆ど間違いない。おそらく――この世界は、自分たちが見ていたアニメやゲームの世界ではないのだ。


 だから、自分の知らない話が多く起こる。


 だから、自分たちの知っている主人公がいない。


 だから――こんなにも、つらいのだ。


 あの地下闘技場での一件以降、ずっと考えていた。


 自分の――自分たちの行いとここにいる意味を。


 なぜ、この世界が自分たちの世界のアニメやゲームに似ているのかはわからない。


 天文学的確率がもたらした奇跡なのかもしれないし、何かとんでもない存在が何かのたくらみの果てに生み出したのかもしれない。


 ただ、彼は確信した、してしまった。


 この世界は――本物なのだ。


 自分達が転生だか、転移だかしてきた世界と異なるだけで、明確に実在し、人が暮らしている、仮想空間に生み出された虚構ではなく、自分達が主人公である世界でもない。


 ここは現実で――だから、ここで得た優しさや友情は真実なのだ。


 兄が向けてくる愛情も、先ほどの友人の笑顔に込められた友情も、マギアに向けられた軽蔑の視線も。


 すべて本当の事だ。過去の……あの、おぞましい日々もすべて、本当の事なのだ。


 思い返すのは襤褸切れのようになっている兄の姿だ。


 体の右側が丸まる炭化しかけていたこともあった。


 筋肉が何かの魔術のせいで動かず窒息しかけていたこともあった。


 陸で溺死し掛けていたこともあった。


 そのたび、兄は何かのよくわからない装置を作り、あるいは祖父に相談して、何とかしていた。


 兄ときちんと会うのはほとんど剣術の訓練の時だけだったが――それでも、家の外に出た時、彼が何かしらの影響で体が傷ついている姿をよく見た。


 これまでの人生で彼が自分の知らない状態になったとしても、それは作品で語られていない部分なのだろうと考えていた。


 モブの幼少期のことなど、誰も気にしないから描かれていないのだろうと考えていたのだ。


 哀れだなと思うことはあっても、それが何か意味があることだとは思っていなかった。


 だが――そうではないとしたら?


 あれはほんとに、命の危機にある人間の姿で。


 自分に向けられた視線や声は真実のもので。


 そして――あの兄から向けられる好意は本当に弟として、彼が自分を愛しているからだとしたら?


 その相手に、自分は何をした?


 あの日、ドリンを止めに行ったときに考えたおぞましい考えが頭から抜けない。


 そう考えた時、彼は人と顔を合わせられなくなった。


 あの一件以降、一週間近く必死で心を押さえつけ、兄から――そう、兄からだ!――教わった方法でどうにか人の顔を見られるようになった。


 それだって、相当の気合が必要になる。


 友人の顔は十秒以上見られないし、兄の顔はいまだに直視できない。


 ここしばらく、兄の前に顔を出せていないのはそれが原因だ。彼を見ると罪悪感で吐きそうになる。


『……俺は……?』


 どうすればいいのだろう?


 また、いつものように彼と顔を合わせられるようになるとは、彼にはとても思えない。


 だが――


『もうじき、職場体験がある……!』


 それは避けられない行事だった。


 学園側が定めた職場体験なる質の悪い行事の影響で、彼は兄と顔を合わせなければならない――二週間もだ。


『……どうすりゃいいんだよ……』


 彼――サンケイ・グベルマーレは途方に暮れて頭を抱えた。






「――つまり、魔術が凋落した理由は、あなたにもわからないわけですか?」


 逮捕術の授業中、マギアは自分と似た雰囲気の少女の言葉に落胆もあらわに言った。


「ええ、私もしばらく俗世とつながりを断つことはありますから。ある時期を境に、急激に魔術が低質かつ力をなくしたのは理解していますが原因となると見当がつきません。」


 そういって、真剣な顔で柔軟を続ける彼女――アマノは端的に答えた。


「そうですか……となると……」


 いよいよ、手を伸ばす範囲を広げるべきだろう。でなければ、《一年後》に間に合わないかもしれない。


『急がないと……』


 おちおち眠むれもしない。毎晩毎晩ベットから跳ね起きて吐く生活はいい加減うんざりだ。


 そんな焦った彼女の内心を見透かすかのように、アマノが口を開いた。


「……それほどまでに、まずい状況ですか。」


「……少なくとも、私が本気で焦る程度には。」


 隠せないと思ったのか、あるいは誰かに話したかったのか、マギアはそうつぶやいた。


「内容は話せないのですね。」


「先輩に気づかれる可能性がある以上、誰であっても話しません。あなたにだっていうつもりはありませんでした。家族以外に詳細が漏れたらその場で相手を消します。」


「……そこまで言うのなら深く問うのはよしましょう、ですが、彼には私としても借りがあります、何かお手伝いできることは?」


「……私が知る限り、先輩は私が調べている現象の影響を受けていない可能性が高いです。」


 ぽつりと、マギアの口から声が漏れた。


「私やノワたちに影響を与える広域にわたるきわめて強力な力です、いくら先輩でも完全に防げるとは思えません。なのに、先輩は……影響を受けているように見えませんでした。」


 いつも通りの顔で――いつも通りに自分マギアの過ちを受け入れて――反撃もせずに、しぬ。


 彼の膝で寝たあの日以外、毎日のように見続けるあの景色はもう、目をつぶらずとも思い出せた。


「私の防衛術が効かないというのは考えにくいですが……もしそうだというのなら、その理由が知りたいんです。私の防衛術が効かない理由、その理由さえわかれば、何かしら対策がとれる。」


「それで魔術ですか。ですが、あの方は魔術に弱いのでしょう?」


「ええ、ですがおそらく、この世で唯一おこっていないことがあります。」


「……!なるほど。それで魔術について聞かれたわけですか。」


「ええ、これぐらいしか思いつかないんですよ。」


 顎に手を当て、思案を巡らせる――余人とテンプスの相違点は多いが、最も異なる点はここだ。


「とはいえ、がキーだというのなら、もはや回避は不可能でしょう?」


「いえ、それは相違点であって答えではありません。魔力に干渉された程度で私はあの人を……防衛術を抜かれたりはしません。」


そういって雰囲気を暗くするマギアに目を細めて、アマノは言葉をつづける。


「……そうかもしれませんね、ですが、ではなんだと?」


「魔術を使う工程に何かあるのでは……と思っています。以前のもとの今の者の相違点を探せばわかる可能性があるかと思いまして。」


「ああ……進展はなさそうですね。」


「ええ……こうなると、よその連中に会いに行くしかないかもしれません。」


 その一言で、アマノは得心がいった。と同時に、彼女がこの世界において数えるほどしか行われない偉業をなそうとしているのに気が付いて驚きの声を上げた。


「――できるのですか?」


「ええ、まあ、生身で移動したことはありませんが……理論はわかってますし、《鍵》も持ってますから。行けるでしょう。ちょうどよく、学園も長期休みとやらでしょう?先輩も動けますし。」


「呼び出すのではだめなのですか?」


「話を聞くだけならそれでいいんですけどね、それ以外にも用がありますし、妹たちを見せておきたいんですよ、何かあった時のために。」


「ああ……避難先ですか。」


「ですです、神聖魔術師と呪芸者ですから、向こうでも重宝されます。それに――」


「それに?」


「――向こうの連中に先輩を見せたらどんな顔をするのか、楽しみだと思いまして。」


 「あの堅物どもの驚く顔が見れますねぇ」と、けらけらと笑う魔女を見ながら、アマノは何かに納得したように手を打ち――


「ああ、なるほど、彼氏を見せびらかしたいと。」


「――はっ!?」


 魔女のような笑いが止み、一瞬で驚愕の表情に変わる。


「――な、何を適当なことを!そんな適当な理由なわけがないでしょう!s、そも、そもそもわたしと先輩はそんな関係ではありません!」


「あら、では、魔術に弱いあの方を無理に天上界に連れていく理由がほかにあるとでも?」


「ぇぅ……」


 図星を突かれたように機能を止めたマギアが観念したようにもぞもぞと言い訳のようにか細い声を響かせた。


「……別に見せびらかしたとかそういうわけでは……ただその……調査ついでに先輩が誰にも非難されない場所で……家族みんなでゆっくりしたいなぁと思っただけで……」


 と言いながら、恥ずかしそうに視線を逸らすマギアを見て、アマノは口元に扇を当てて言った。


「……あなた、思っていたよりかわいい方なのですね。」


「おう、なんだ、私が一体どんな風に見えてるっていうのか聞かせてもらおうじゃないか!」


 先ほどまでの重い空気はどこへやら、逮捕術にかこつけたじゃれあいを始めた二人を周りは何やら神聖なものを見るように見つめていた。


 夏が、近づいてきていた。

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