霊への対策と来訪者の疑問

「やっぱり、あれがそうだったんですか。」


「あら、知っていましたか。」


 お茶をすすりながらつぶやいた一言にアマノが反応する。その声音はどこか驚いているようでもからかうようでもあった。


「噂だけは。悪人と取引をする本は天上界ではそれなりに聞く噂です。せいやくのしょをもらい受けた時にそんな話を聞いていないので眉唾なのかと思っていましたが……」


「あいにくと現存します。私も現物を見たことはありませんがそれにとらわれた霊体と遭遇したことはあります。あれの厄介なところは――」


「――密閉できないのか。」


 思わず声が上がる。だから、あの霊体は驚くほど余裕があったのだ。


「ええ、他の本と契約状態にある霊体は密閉することができません。本の契約に守られるのです。」


「……だとすると……面倒だな。」


 眉間に皺が寄っていた。非常に面倒だ。


「ってことはまんまと逃げられたわけか……」


「いいえ、そうとも言えません。消えたのでしょう?となればおそらく次元を越境し、『浄罪界』か『不浄界』に逃れたのでしょう、あの次元は危険な領域です、せいやくのしょにはその領域にいる霊体を自らのもとに引き寄せる力があります。」


「それで、次元を超えて僕から逃げたわけか。」


「ええ、おそらくは……とはいえ、あなたがやったことは無意味ではありません、あれが物理世界で手を出す方法はもはや代行者に頼るほかなくなったはずです」


「どういうことだ?」


 身に覚えのない称賛と新事実に首をひねるテンプスに、むっつりと考え込んでいたマギアが補足の声を上げる。


「本が持ってるのはあくまでも『霊体を引き寄せる力』でしかないということでしょう、あいつが宿っていた物体は別次元に置き去りにされたんですよ。基本的に霊体が取り付けるのは相性のいい物体だけです。だから――」


「次元を超えて回収しない限り、あいつは相性のいい物質を見つけなおす必要があると。」


「ええ、そして、実体をもってあの領域に侵入できる魔術師は限られます。少なくとも私が知る限りは――この部屋にしかいませんね。」


 そういってマギアに向けられた視線はどこか畏怖を感じるものだった。


 その視線に気をよくしたのか上機嫌に妹を撫でるマギアに苦笑しながら考える。


 現時点で悪しき霊体をとらえる唯一の方法は密閉だけだ、あれでとらえられないとなると何か新しい手が必要になる。


『……奴らは電磁場を乱す、磁場を持ってるってことだ、内側に向けて回転する磁場を張れば拘束……できるか……?』


 わからない。


 スカラーには霊体に対処する技術は


 テンプスは今の時代にそんな物存在していないと思って忘れていたが、そういう記載を見た記憶自体はあった――オモルフォスの一件まで思い出しもしなかったが。


 ただ、それを行うための材料がない。


 スカラーの英知は大したものだが二千年の月日で材料が枯渇した。別の手段を考えなければステラを守り切れない可能性は十分にある。


 渋い顔で沈黙するテンプスにくすくすと笑うマギアの声が届いたのはその時だった。


「大丈夫ですよ先輩。心配しなくても、次に出てきたら私が捕まえます。」


「……先ほども言いましたが、密閉は効きませんよ?」


 あっけらかんとそういった彼女にアマノの指摘が入った。


 ぴしゃりと言い含めるように告げられた一言にマギアは薄く笑って見せる。


「あなたは代行者として、私の先輩かもしれませんが外次元の事に関しては私の方が先達ですよ、魔術についてもね。」


「……方法があると?」


「ええ、天上界由来の奴が。渡し守に直接渡せるわけではありませんが、一所にとどめておくのなら可能です。霊体に干渉する魔術は珍しいですが存在しないわけでもないんですよ。」


 そういってからからと笑う少女にアマノが驚きの目線を向けた――千年以上この世にいるが、そのような術を扱える人間は心当たりがない。


「……あなた達を見てると私が大した人間ではないような気分になりますね。」


 その一言に、二人は首をひねりながら。


「「こっちのことでなく?」」


 と、お互いを指さしながら不思議そうに言った。







「――なぜ、私を呼び戻した!」


 広い居室に幽鬼界の声が響く。霊的な感傷を防ぐ外壁を使わねば表に立っているだろう護衛に聞こえてしまうだろうその声は、しかし、目の前の男にしか届かない。


「あのまま抗っていればお前はあの場でとらわれている可能性があった。」


「貴様も知っているだろう!あの連中に手を出す方法はない!」


 端的なセリフに怒りがさらに燃え上がった。


「あの男の言う代行者が『赤の制約』の魔女だとしてもか?」


「……!」


 その一言に、霊体の顔が引きつる。


 それは、唯一この霊体が恐れる代行者だった。


「そうだ、協力者だろう。お前の話が正しければあの女には『制約の所によらぬ霊魂を封じる力がある』と聞いていたがな。」


 その一言に、霊体は忌々し気に顔をゆがめている。反論の余地はなかった。


「っち、そうだ。あの女は1200年修行を続け、魔術の最奥に到達したもの。不浄界の敵。『魔法使い』だ、あれの居た次元には悪人の魂を封じ込める術がある。」


「それをお前が使われていたらどうなっていた?」


「……制約の有無にかかわらず、捉えられていた可能性はあるだろう。」


「では、お前を助けたことに過誤はなかったわけだな?」


「……その通りだ!」


 憎しみすら感じるおぞましい視線を向け、霊体は不機嫌に消えた。


 彼の持つ本――紫の成約の中に消えたのがわかるのはこの場では彼だけだ。


 まったく小うるさい男だ――男らしさが足らない。


『……ま、そういうキャラ設定の男ではあるが。』


 内心で嘲る。この男の存在に価値などない、必要なのはこの男の持つ死霊術だ。


 ゲーム中最も費用対効果のいいデバフである死霊術は、特定キャラクター以外習得不能な魔術を除けば最も効率よく相手を弱体化できる能力である。


 になった時、アマノから『巫術』の習得をあきらめざる終えなかった彼は代替案としてこの男をとらえた。


 そのために必要な道具はすべてあったし、この男と接触するイベントはすでに知っていた。


 それ以外にも、彼の本には複数の契約条項が躍り、彼はおそらくデータ的に最も強い力を持つプレイヤーであろうことはもはや疑いようがない。


 まさか、献上品の中からこの代行者の書が手に入るとは思っていなかったが……これもまた、この世の主人公である自分に与えられた特権であろう。


 このままいけば、自分はこの世界で最強の存在になれる。そう思うと、彼はにやつきが抑えられなかった。


 ただ、そんな彼をして、理解できないことがあった。あの霊体からの報告で最も興味を引いた一節――


『――鎧とは何だ?』


 まったく理解できない――いったい何なのだ?


 あの霊体を保存してあったはずの不壊の王者を倒したらしき謎の鎧、そして、それを扱う謎の男。


『転生者か?いや、だとして、なぜそんな装備を持っている?』


 謎の装置を胸につけ、謎の文言とともに鎧を生み出したというその装備。


 不壊の王者を寄せ付けないというその力はあまりにも彼の常識を逸脱している。


 自分が知る限りそんな特撮に出てきそうな装備はこの作品には出てこないはずだ。


 彼はこの世で最もこの世界に詳しい人間のはずだ、ゲーム版のイベントはすべて知っているし、裏設定もすべて読んだ。キャラの能力も把握している。


 これはもっと大人な雰囲気の作品であり、出てくる人間はたいていろくでなしかそれにいい様にされる雑魚の山だったはず。


 いや、そもそも、なんだってマギアの家族までいたのだ?ゲーム版で救出するイベントがあることは間違いない。あることはわかっている、が、本来はゲームにおける八章――今からひと月と少し後まで行動不能になるはずだ。戦闘には参加させられない。


 なのになぜ、この件にからむ?


 それに、それを言い出したら高々装備を整えた程度の事でなぜ不壊の王者が倒せる?


 あれはかなりの難敵だ、ゲームにおいて70台までレベルを上げたキャラで戦うことを求められる相手である。それ以外はほとんど足きりになるといっていい。


 マギアの補助か?いや、それでもあの不壊の王者――を倒したりできる性能を発揮するなどありえない。


 行動、複雑極まる行動パターン、鍛えた前衛すら一ターンで削り切る圧倒的な高火力の一撃、圧倒的な防御。


 それに踏まえて、首を切り落とすという特殊な技を使わない限り倒すことのかなわないハイスペックキャラ。


 それをたやすく切り裂ける装備など――ゲームデータ上に存在しないはずだ。


『手に入れる必要があるな……』


 なぁに、世界の救世主たる自分であれば手に入れることなど造作もない。自分には恵まれた生まれとたぐいまれな才能があるのだから。


 そう考えながら、彼は――テラ・イーロアスとなずけられた来訪者は笑った。

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