紫の成約
机の上で大店を広げた彼は、黒い人の頭――を精巧に模した古代兵器の頭部をばらしているさなかだった。
「ステラさんにはずいぶんと細かく話しておいでだったじゃないですか。こちらの疑問にも答えてもらいましょう。」
姉の膝の上で猫のように丸まっているノワを撫でながらそう告げたのはマギアだ。
どうも、生徒会の幼女と遊んだことを聞きつけた妹が何やら嫉妬心を燃やしたらしい。
今日は妙に甘えたがりな妹にまとわりつかれてまんざらでもない様子の彼女が突然口を開いたかと思えば、この調子だ。
逃がすつもりのない視線がテンプスに刺さる。まるで剣山ようにチクチクと痛い。
「勘弁してくれ。」
「む、なぜです?あなたの武勇伝なんでしょう?いいじゃないですか話せば。」
そういって、いたずらな笑みでこちらを見る少女に苦笑交じりに返す。
「……爺さんの死に際にかかわる話なんだよ、今話したい気分じゃない。」
「え、あ……」
驚いたように目を見開いたマギアが途端におろおろと慌てる。
「ぁ、や、その……すいません、知らなくって……その……」
非常に珍しく、しどろもどろに話す彼女に苦笑する――妙なところで気にしすぎる娘だ。
「別に怒ってはないよ、ただ……うれしいときに話したい話じゃないんだよ。」
あれは結構大変な話だったのだ。うれしい気分の時に話す話題ではない。
「……」
マギアは内心でおろおろとしているのが透けて見えるかのように小さくなって体を椅子に押し付けている。
妙な空気が流れる。触れられない話題に触れてしまったとき特有の重く、身動きが取れない雰囲気。
「――聞きたいことがあるんだ。」
だから、空気を換えるためにテンプスは疑問にけりをつけることにした。
「え、あ、はい。どうぞ……その、なんでも答えますよ?」
まだ小さくなったままマギアがそう答えた。
「あの青髪とやらの事だ。」
「!」
すっと、マギアの雰囲気が変わる。
「あいつほんとに――せいやくのしょの契約者なのか?」
「――何が起きてんだ?霊体は物質界には干渉できないって話だったんじゃないのか?」
そうテンプスが聞いたのは先日の晩の話だ。
疲れ果てていたが、それだけは確認しておく必要があった。あの手の霊体が複数いる可能性は正直あまり考慮したくない。
「……ええ、聞かれると思いました、とはいえ、私にもわかってない部分があるので、専門家に聞いてもらうしかありませんが」
「君以上のか?」
「ええ、これに関しては年季が違う人がいるんですよ。彼女ほど明確な答えは出せません、あくまでも、私の私見です、それで良ければお話しします。」
「構わんよ、どうなってんだ?」
疑問符を浮かべるテンプスをまっすぐに見つめ、ノワ尾頭を撫でながら、彼女はゆっくりと話し始めた。
「霊体の成り立ちについて話しましたっけ?」
「聞いてない……と思うぞ。」
「でしたか、ではそこから行きましょう。霊体――つまり、魂のみの実態を有する存在というのは本来、物質界には存在しません。質量がありませんから。」
「ふむ……?」
「では、今までのオモルフォスやジャック、用務員隊の体にいた霊体は何か――それは『幽鬼界からまろび出た魂』です。」
「本来、魂は幽鬼界にのみ存在しえます、あらゆる生物の魂のありかです。この領域において、魂は形を持たず、姿もありません。彼らは心臓と紐づけされ、この物質界に干渉しています。そして、肉体が死んだ時、魂はそのつながりを絶たれ、幽鬼界から飛び出し、精神界にあった心と結合して、それぞれの報じる存在のいる領域に向かいます。」
「……次元移動するってことか?」
「そうです、その際に必ず通るのが裁定の領域です、ここを通り、あらゆる魂はその扱いを定めます――まあ、私は特殊事例だったので行きませんでしたが。」
言われて、マギアの過去を思い返す。
祖母によって何かをされ、気が付くと霊体だったらしい彼女は
確かに一般的な死者とは言えない。
「そこで、魂は次の居留地を決めます、善なる魂は天上界か至極界あたりに行くことになるでしょう、先輩もここじゃないかなと私は思います。悪なる魂はさらなる罰を受けるべく、獄庫の領域やその他の外次元に飛ばされるでしょう、本来ならばあの魔女どももここに行きます。」
「ふむ……天上界っていいとこなのか?」
「ええ、結構。まあ、人間らしい人間はほぼほぼいませんが。」
けらけらと笑うマギアにテンプスは首をひねる――音に聞く天国的な場所ではないのだろうか?
「そして、それらの魂たちはそれらの領域で刑期や休息を終えて――最後にたどり着く場所、久遠の海にたどり着く。あなたと、あなたのお父様が報じる『闇の父』の領域です。」
その名を聞いてかすかな驚きがテンプスに宿る――そういう神だったのか。教義も何もない神様なので知らなかった。
「ここで、魂とあらゆる罪は闇と消えて――新たな魂としてどこからに行く……らしいです。」
一度、言葉を区切る。重要なのはここからだった。
「ここで問題になるのは最初の工程――肉体が死んだ時、魂はそのつながりを絶たれ、幽鬼界から飛び出し、精神界にあった心と結合しているときです。その時、あまりにも自意識や魔性が強いと――次元を破って、物質界に逃げることができる場合があるんですよ。」
「それが、霊体か。」
「そうです、あの連中は我欲や、あるいはもっと別の使命感によってこの次元に来ます。幽鬼界の存在であり、存在できないはずの存在が法則を破りこの次元に現れるというわけです。」
「そして、漂った魂はそれぞれに器を見つけます――子供の肉体の事もあるでしょうし、物体である事もあるでしょう、それは様々です。そして、同時に本来死ぬべき定めをあり得ぬ技法で捻じ曲げ、その運命を他の者に押し付けようとする者がいます――あの名声の魔女なんかがそうです。」
「……ああ、なるほど、だから長生きだったわけか。」
「ええ、私が、ただあの女を殺さなかったのはあの女が私の執行対象――『魂の法則から逃れている』からにほかなりません。」
「アマノのあれはどうなんだ?」
「アマノさんのはまた違います――あれは選定の領域での裁きから逃げ出したものを追いかけ、拘束し、再度罰を受けさせるためのもの。私より攻撃範囲は狭いですが、探し出すのが事ですね。」
「ふむ……そこまではわかった、で、あれはなんだ?」
「……おそらく、ですよ?確信が持てるほど私も情報がありませんから。」
「構わん、君が言うならその通りなんだろう。で?」
「――おそらく、あれはせいやくのしょの契約者です。」
「……はぁ?」
「あの本には、霊体の魔力の越境を助ける機能があります。それを使えば、青髪がああもあっさり魔術をつかえた理由もわかりす。」
そう、彼女は真剣な面持ちで言った。
「君らが前に話した話だと、あれは罪人によって滅ぼされたもの魂を救うための報復を行う道具なんだろう?なんであんな罪人が契約できる?」
記憶の渦から抜け出し、テンプスが問う。それはアマノが話していた内容だ。
「――わかりません、あの魂は間違いなくせいやくのしょによって拘束された魂です、だから、あいつは幽鬼界の声を放てるあれは半分、幽鬼界にいるんですよ。ただ、あの手の存在はせいやくのしょと契約できないはずなんです。」
「……どういうことだ?」
意味が分からない、まるで――
「――罪人を集めたせいやくのしょがあるかのよう……ですか?」
鈴の転がるような声が、背後から響いた。
その声には覚えがある、これは――
「アマノ?」
振り返れば、そこには長い髪をいつものように流した美しい少女がいた。
「ごきげんよう、言ってくださればこの大捕り物も手伝いましたのに。」
「ん、いや、ほら、あんま関係ないことに巻き込むのもなと……闘技場の時、迷惑かけたし。」
「あら、ずいぶんと友達がいのないこと……こういう時に頼っていただけないと寂しいですわ。」
そういってからかうように笑うアマノを見てかすかに気分を害したようにマギアが声を上げた。
「……はいはい、そこまでにしてください。先輩、彼女が私よりも詳しい人です。必要かと思って呼びました。」
「ええ、呼ばれました――罪人の契約者がいたそうですね。」
するりと、アマノの気配が剣呑な色を帯びた。
「そうだ、死霊術を扱い、像の中から魔術を使った。心当たりは?」
「……あります。古い、とても古い話です。まだ、私すら、そして、マギアさんすらこの世に生まれる以前の事。」
それは、おおよそこの時代の人間には及びもつかぬほど過去の話だ。
「せいやくのしょとは契約者と代行者の間に行われる契約をまとめる書物です、契約者は代行者に何かを差し出し、代行者はその対価に契約者の望みを果たすのです。」
「報復か。」
「ええ、基本的には。ごくまれに生きているものに施しを行うようなものもありますが――本当にまれです。そして、契約は往々にして『善良な、あるいは不条理に消えたものの望みをかなえる』ために使われます。」
「あの男はそれには当たらない。」
「ええ、ですが、ある領域においては彼は非常に有用です。」
「なにがだ。」
「――力を得るということです。あれは、『ただ力を得るため』に作られたのです。ゆえに悪の区別なく契約を行う。」
「……あれ?」
「太古魔法文明の時代だそうです。ある魔法使いが、せいやくのしょの存在を知り、それを――模倣した。」
テンプスの目が大きく見開かれる――一番当たってほしくないパターンがあたりだった時の顔だった。
「そう、魔法使いが大いなる闇の父の御業をまねた贋作、できの悪いイミテーション――紫の成約。」
彼女がどこからともなく黒の大判の本を取り出す。
「罪人たちの望みをかなえることで力を得る、そのためだけに作られた本。その本の契約者が現れたということは――」
「――ステラ先輩をさらおうとしたのは代行者か……」
苦笑する――ずいぶんと、本に好かれる人生だなと思っていた。
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