スカラーの力

 不壊鋼の黒光りする輝きを宿した剣が深紅の鎧に向かって走る。


 眼球狙いの突き、さらに首筋狙いの一撃に続くはずだった攻撃の始動は、深紅の鎧の手のひらによって阻まれた。


 広げられた手のひらは固く、それでいて、何も着ていないかのように滑らかに握りこまれ、不壊鋼の突きをつかんで見せた。


 そのまま、テンプスの腕は相手を引き寄せる様に手前に動いた。


 抵抗はかなわなかった。テンプスの方が膂力が上だと、青髪は何度目かわからない事実を認めて、苦々しくその行動を見ていた。


 引き寄せられて腹部に突き刺さる膝打ちはひどく重い、それでいて、あらゆる攻撃を無効にするかと思われた装甲を無視してダメージを与えてくる。


 たまらずたたらを踏むように後退した不壊の王者に向けて、テンプスの追撃が襲った。


 頭部への拳での一撃、食らうまいと体を後ろにそらした不壊の王者を待っていたのは引き戻した腕の代わりに飛び込んできたフェーズシフターでの斬撃だった。


 横一閃。


 ガギン!と耳障りな音を立てて不壊の王者の体がかすかに削れた――後ろに向かって飛び込んだがギリギリ間に合わなかったためにできた損傷だった。


 追撃をと体を起こしていたテンプスに向けていょう上のないのっぺいりとした顔の一部、口にあたるのだろう部分からごぼりと湧き出して放たれたのは鉄をも溶かす業火だった。


 テンプスを瞬く間に飲み込み、テンプスの背後にあった井戸の枠を一瞬で焼き尽くし、地面の砂利どろどろと溶解させマグマのように煮立たせたその業火も、しかし、テンプスの鎧には大した効果はなかった。


 目線を遮る炎の渦のなか、下がっていく不壊の王者を見ながらテンプスは内心で思う。


 動きが悪い、先ほどから思っていることだが鎧を着てより明確にそう感じていた。


『ただ――中身は変わってないな。』


 あの動きには覚えがある。つなぎは甘いし、動きも遅いが同時に明確に過去に見た動きと同じものだ。


 やはり、あれは自分が五年前に破壊したものだ、いつの間にやら盗まれていたとは……まあ、あの時の自分にこいつがどうなったのか把握する余裕はなかったのだから仕方がない。丸一日動けないほど大けがだったのだ。


 とはいえ、わかるのは不壊の王者についてだけだ。内部の霊体についてはわからない。


『不壊の王者自体にとりついてるわけじゃない、アマノに聞いた関連性の法則に反してる。』


 彼女がスワローの際に自身に話した霊体が器物にとりつく条件は宿るものに対して霊体が関連性を持っている必要がある。


 断言してもいいが、魔術師とスカラーの遺物に関連性などない。


 むしろ正反対だ。古さという点では及第点だろうが……それで現世に魔術が使えるほどの力を保持できるとは思えない。


 そうでなくとも、スカラーの遺物は基本的に魔術・魔法を阻む性質を持つことが多い、不壊の王者もだ。


 そんな中に魔術師が宿るとは思えない。


 だとすれば――おそらく、不壊の王者のどこかに自分の宿った器物を埋め込んだのだろう。おそらくは修理を行う過程で内部に放り込んだまま破損部を強引に癒着させたのだろう。


 おそらく溶接のような方法だ、別の加工可能な金属で強引にくっつけただけ、とすれば、強度的に弱く、なおかつあの霊体のいる場所は――


『首か……』


 自分が五年前に破壊した部位だ。


 あの時は罠にかけて敵の武器を奪い、壊れるまで五時間、ひたすら剣を同一個所に振り下ろし続けたものだが――


『今ならどうにでもなるな……』


 かすかな成長の手ごたえに、かすかにほほ笑みながら、テンプスは敵に躍りかかった。






 迫る深紅の鎧に抵抗のために振るわれた剣が躱されるのをシャリフは苦々しく見つめる。


 武術や殴り合いに不慣れな青髪でもわかった、明らかな劣勢。


『ありえん!』


 内心で驚き、そして慄いた。


 こんなこと、あり得るだろうか?


 自分の――いや、世界の誰にも勝てないであろうあのおぞましき大帝国。


 世界の八割を手中に収めたとされるスカラーの遺物を相手に、接戦を演じ、あまつ圧倒する人間などいるはずがないのだ。


 確かに、これを『共犯者』から受け取った時、「もらい受けた先からは完全な能力が発揮できないといわれた」と聞いてはいた。


 だが――それでも、現代の学生を切り殺す程度造作もないはずだった。


 問題になるのは『血』を宿したもののみ、それであっても圧倒できるはずだったのだ。


 だというのに――今の状況は何だ?


 あの子娘と言い、この男と言い、一体何が起きている?


 わからない、わからないが――


『そんなことを気にしている場合ではない。』


 それだけは確かだ。


 覚悟を決めた彼はこの遺物を貸し出された段階で用意しておいた『武装』を起動した。







 三度目になる接敵、今度こそ首をはねるべくフェーズシフターを首筋へ走らせるテンプスに不壊の王者の動きは半歩下がっての回避だった。


 紙一重で攻撃をかわす動き、薄皮一枚の回避はそのまま、前進し相手を切りつける動きに転用できる。


 すり足でかすかに近寄り、からぶった相手の腕を切り上げる動きで切断しにかかるのだろうことはすでにわかっている。


 テンプスからすればそれは予定調和の動き、明らかな積みの手だ。


 この人形が半歩下がった時点で、腕の動きを止め、首狙いの突きに動きを変える。


 前にすべるこむ動きと自身の前進の力で喉笛を刺し貫き、そのまま、脊椎のあるべき方向に向けて剣を走らせる、これほど重篤な損傷だ、行動に制限が出るのは確実。


 前回切り落とした位置よりもやや上を狙う。霊体の宿った器物に壊れられて逃げられるのを阻止するための軌道だった。


 計画通りに動く金属像にかすかな哀れみすら覚えながら、テンプスは釣り着を差し込もうと突きこんで――


『――グレイマルキン!』


 霊体の叫び声。瞬間的にテンプスの思考に新たな予知が宿る。


 瞬間、突きこんだ剣の柄から右手を離し、体を半身に開く。


 瞬間、背後から襲い掛かってきたのは電撃と氷のやりだ。


 不壊の王者の表皮で稲妻が爆ぜ、氷の槍が背後にあった休耕地に突き刺さった。


 その光景を鎧とオキュラスの全方位視界で確認しながらテンプスはさらに追撃のように飛んできた火球を切り裂いた。


『罠か……』


 テンプスの全方位視界はその魔術の発生の瞬間を見ていた。その光景はまったくもって驚くべきものだった。


 ロータウンを壁のように囲う家の玄関口においてある小人の置物。


 魔よけとして飾られるのそれが、突如として魔術を行使したのだ。


『なんだあれ。』


 テンプスは内心で首をひねる。像が魔術を使うなど聞いたことがない。


 自分にも使えぬ技術を扱う器物に内心かすかに複雑な思いを抱きながらそれを見つめる。


 彼の目にはその像に明確な魔力の流れが見えた。


『……まさか、この家の置物全部魔術砲台に変えたのか?』


 魔術砲台とは、対策委員会のアレクサとかいう彼女が扱っていた『遠隔起動型の魔術発動機』だ。


 すこぶる値がはる上に適性のある人間にしか扱えないそれは、ある特定の魔術の発動条件だけを満たした自然界の魔術の塊を遠隔的に操作できる魔術の道具だ。


 風の魔術による探知――思えばこれは占術ではないのか――そして発射するための魔術とその保存媒体から構成されるそれは、なるほど使い方さえ間違わなければ使い勝手のいい兵器だ。


 何とも面倒で手間のかかることとして、どうやらこの霊体はこの魔術砲台をこの町の置物の中に仕込んで魔術を発動させ罠として攻撃してきているらしい。


『どこまでも手間のかかることを……』


 内心であきれているテンプスをどう解釈したのか、不壊の王者の中から霊体の哄笑が響く。


『フハハハハハ!どうだ!貴様が何者か知らんがわが魔力の決勝を秘めた砲台には勝てまい!このまま、不壊の王者に殴りつぶされるがいい!』


 何ともまあ、芸のないセリフだった。


 いかにも、三下の悪役が言いそうな――それこそ、ひねりがない。


 そんな哄笑を聞きながら、テンプスは再び相手に向かって走り出した。


 今度こそ、首を落とす。


『――っち、間抜けが、無駄だというのがわからんのか!』


 叫んで、青髪は再び彼の僕に命を下した。


 背後で膨れ上がる魔力をしり目に、テンプスは歩みを止めなかった。


 直線に突き進み、相手の懐に届く――


『――グレイマルキン!』


 その瞬間、叫ばれた声に、魔力が反応し、魔術がテンプスを貫く。


 稲妻が鎧を焼き、火球が溶かして、氷槍が串刺しにする。


 そんな未来が見られると、青髪は本気で思っていた――着弾するまでは。


『はっ?』


 霊体の口から漏れたのは啞然の言葉だ。


 自分の自慢の魔術は的中した。鉄の鎧を紙のように貫通し、胴体を半部に貫き通してしまうほどの氷の槍はもろくも崩れ。


 人を骨に変える火球は鎧に触れると同時に飛び散り。


 人の心臓を粉々にできるはずの稲妻は雷の上で火花になって消えた。


 別段、この程度の雷撃、紫の鎧ドレットノートでなくとも物の数ではない――先ほどの不壊の王者の炎の方がまだしもまずかったぐらいだ。


 未知の攻撃だったため先ほどは避けたが――種が割れれば誤差だ。


 スカラーの力を前に、マギアでもない魔術師の一撃程度がどれほど意味を持つというのか?


 そう、スカラーの力を知るものなら言うだろう、しかし、青髪には意味が分からなかった。


 攻撃が失敗に終わったと認識すると同時に眼前に深紅の鎧、その手に握られた武器が振り切られ首元に滑り込――


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