青髪

「あの壁が敗れるまでどれくらいだ?」


「……物理的に破られるものでもないですが持続に不安があります、ついでに言うと――魔術には壁を通り抜けられるものがあります。」


「……」


 そして、あの壁はその魔術で透過できる。


 眉が寄っているのわかる。質の悪い相手だ。


 短い会話、相手の動きは先ほどと変わらないが――どこか、何かを蓄えているように見える。


「ですが、朗報が一つ――たぶん、魔術が扱えたとしても、それほど連射できるわけではないでしょう。」


「その心は?」


「魔力の捻出が霊体だと難しいんですよ、肉体のない世界ならともかく、肉体のある世界ではそうやすやすと霊体は魔術を使えません、次元を越境する必要がありますから。」


「生きる像の中からでもか?」


「生きる像に使わせるための魔力を次元越境させる必要があるんです、霊体はどこまで行っても幽鬼界の存在、こちらの次元にあっても霊体は実体にはなれません。そうでなければ私は霊体のままあの女どもを皆殺しにしてますよ。」


 納得のいくセリフだった。人に迷惑を掛けたがらない彼女がそうしないのだから、その法則はよほど騙し難いものなのだろう。


 周囲を見渡せば、あたりの尋問科の人間はいまだに像とこちらを交互に見ながらおのおのの武器を手にまごついている。


 まあ、当然だろう、自分たちの指揮者が突然裏切り者だと聞かされた挙句的だと思っていた人間に逃げろと言われて即座に逃げられる人間はいない。


 ステラとチュアリーもようやくアリエノールと会話を始めたところだ、即座に委員を捌けさせることはできまい。


 苦々しい顔で思案する――彼女たちが逃げるまで、あいつをあの壁で閉じ込めて置ける確率は低いだろう。


 ポケットの中の時計を撫でる。これを彼女たちの前で使いたくなかった。


 相手がどこで、誰を使って監視しているのかわからないのが気に入らなかった。


 尋問科の人間で敵でないと断言できる人間はあまりにも少ない。手札を切りたくはなかった。


 そうでなくとも、自分よりも上級生はスカラー技術を嫌っている、警戒を強めさせる結果になることは火を見るよりも明らかだった。


 とはいえ――いつだって贅沢が言えるわけではないのだ。


『――小娘、存外やるな。』


 その一言とテンプスの能力が警鐘を鳴らすのは同時だった。


 相手に意識を向ければ、自分の手札を見切られたと察してか、踏み込みの勢いのまま壁に向かって突っ込み――そのまま、壁を透過した。


 即応性と持続時間の関係で選んだ『流れる原子の壁』の魔術は強度、高さともに問題のある壁ではなかったが二元性を持たない。


 壁に対して透過性を付与する『透壁の魔術』には無力だった。


 壁を苦も無くすり抜けた金属の像が、その重量に見合わぬ挙動でもってマギアに向けて襲い掛かる――なるほど、自分を封じた魔術師に対して攻撃することにしたらしい。


 うねりを上げ、大気を切り裂きながら進む戦士像は、しかし、マギアにたどり着くことはない。


 脇構えに構えた腕が横薙ぎに切り払われるのを、横から躍り出た影が受け止める。


 テンプスだ。


 フェーズシフターの刃が、再び相手の刀剣を阻み、異様な強度を持つ磁場と力場の剣が比較的柔らかい相手の刀身に食い込んだ。


 つばぜり合いの形に組み合った二つの影は一瞬の逡巡を経て、即座にお互いの刀身を離した。


 体重をかけても、お互いの防備を破れないと判断してのことだ。


 半歩後ろに下がりながらテンプスは相手の腕前を見て取る。


『それほどじゃねぇな……』


『邪魔をするな小僧!』


 脳にひびく耳障りな声。


 音源は間違いなく像だ、思念を飛ばしたらしい。


 こちらをじっと見つめる像の視線は生気を宿さず、それでいて、どこか攻撃的な色のある目だった。


 その目に攻撃の意思が宿る――のとほぼ同時に、テンプスの肩越しに三つの閃光が走り、敵の肩と胸を貫き、行動を押しとどめた。


「――なんだ、ずいぶんと仰々しく出てきた割にはずいぶんもろいですね。」


 鼻で笑うような気軽さで、マギアが嘲った。


 肩口と胸部が赤熱し、幹部がどろどろと溶けている。溶けた金属が邪魔でその部分がどうなっているのかわからないがけっして 無事とは言えない。


 その様子とぶち当てた時の感触から、テンプスはその素材を特定した――冷たい鉄だ。


 あれで自分の存在を隠していたのだろう、内部に閉じこもるだけならそれでも十分と考えたのだ。


「考えましたね。」


「面倒なことばかりする奴だ……」


「根がビビりなんでしょう、だから、占術防御なんて思いついたんです――しょぼい術でしたが。」


 小ばかにするような調子で、マギアの声が響く。舌戦の一環だが、彼女の舌鋒は相も変わらず敵対者に驚くほど鋭い。


『ずいぶんと生意気な小娘だな……!』


「なんです、事実を言われてご立腹ですか?ずいぶんと小さい男ですねぇ……」


 煽る少女の傍らテンプスは懐から眼鏡を取り出し、即座に起動する――レンズは紫、映し出されるのは、磁界を乱す何かの姿だ。


 霊体がこの世にあらわれた際、明確な磁場の乱れがあることはこれまで数度の接触でわかっていた。


 オキュラスはそれを視覚化し、明確な映像として、テンプスの目に映し出した。


 テンプスが生まれて初めて見た非実体の霊体はひどく陰気な顔をした男だった。


『っち……青髪のシャリフの名も知らんのか?』


「あぁ?知りませんよあなたなんて……知ってます?」


「知らん、魔術はともかく史学にはそれなりに明るいんだけどな……」


『なっ……この、死霊術の大家、50人殺しのシャリフを知らんと!?』


「……しってる……?」


「いえ、全く、魔術に貢献できるだけの能力がある奴は知ってるんですが……ああ、あれですよ、誇大妄想の……精神が妄想にとらわれてしまったんですねぇ。」


 憐れむように、あるいは蔑むようにマギアの口が哄笑に歪む。


『貴様……!』


「なんです?事実でしょう?どうせ片田舎でせこせこと自分の才能とやらに酔って適当に暴れ散らかした狂人でしょう。」


『違う、私は偉大なる死霊の王にして――』


「ああ、はいはい、誇大妄想家はみんなそう言うんですよ、無駄に偉そうな肩書を名乗るあたり詐欺師と変わりませんね。」


『貴様……貴様の程度の低い知性で私の事が理解できぬだけ――』


「寝言は寝て言いなさい、せめて『基軸のミアズマ』くらいは著名になってから誇りなさい、知らぬ異名なんて人に言っても恥の上塗りですよ。」


 生きる像の研究における第一人者だったらしい女の名を上げて、桁けたと相手をあざける後輩に苦笑しながら、テンプスはオキュラスにもう一つ指令を出し、映像の種類を増やした。


 眼鏡のレンズに映ったのは背後の光景だ。全方位視界を得られるこの機能で、彼は周囲の者たちの様子を探っていた。


 皆、像から響く声に驚き、色をなくして慌てている。


 当然だろう、現代において生きる像は声を発する機能を持たないものしかない。


 声を遠方に送る技術が開発されていないのだ、現代における電話のように電波にして飛ばす技術などない。


 ゆえに、生きる像はしゃべらないものだ――いま、目の前にいる個体を除けば。


 無論、真実この像が話しているわけではない。話しているのは霊体であり、その言葉が幽鬼界を通じて周囲の魂に声を響かせているのだ。


 そのような細かい原理はテンプスにはわからなかった、が、同時に、あたりの雑兵――失礼――が引かないだろうことだけはわかる。


 マギアが気を引いているうちに、アリエノールあたりが先導して引いてくれれば――と、考えていた彼が目を剝く。


 即座に体が跳ね、マギアを抱きかかえて地面に伏せた。


「はっ?ちょ……何急に盛ってるんですか!ひ、人が多いでs――」


「――壁!」


「!」


 テンプスが叫び、マギアの鋼魔術が彼らの体を覆うのとアリエノールの手の中でうなりを上げた砲声が生きる像を貫きにかかったのはほとんど同時だった。


 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!


 耳に悪い甲高い音が連続し、テンプス達を覆う壁の魔術が揺れる――激しい連撃だった。


「なんですかあの女、めちゃくちゃしますね……!」


「あー……あの人、見た目に反して割と……怒ると後先考えないところがね?」


 要するに、友人を殺されかけて怒りが閾値を超えたのだ。


 苛立ちのまま、自分の武器ぶっぱなしているのだ、自分の友人を傷つけようとする相手を。


「それでよく風紀委員長なんてしてますね!?」


 覆いかぶさって振動からマギアを守るテンプスに叫ぶようにマギアが言った。


「彼女の口癖は「辞めたい」だそうだ。」


「クソ人事!」


 稲妻のように鳴り響く音がやんだのはそれからすっかり30秒経った頃だった。


「――大丈夫?」


 コツコツと硬いものが壁を叩く。かけられた声はこの惨状を作った女のものだ。


 煩わし気に指が鳴りばらばらと壁が崩れた。


 窮屈な体制から体を起こす――ばつの悪そうな少女と目が合った。


「……ごめんなさい、つい。」


「つい。で殺されかけるのは勘弁知ってほしいんですけどねぇ。」


 マギアの三白眼がアリエノールを貫いた。避難がましい――いや、正当な怒りではあるが――目線にアリエノールはたまらず視線をそらした。


「……ごめんなさい。」


「言葉だけでなく誠意を示してほしいものですけどね。」


「……わかった、何をすればいい?」


「そうですねぇ……とりあえず、期末試験を免除にでも――」


 相手がしょぼくれているのをいいことに無理難題を告げ始めたマギアをしり目にテンプスはオキュラスに映った全方位の視界を見つめていた。


 見たところ、人的被害はないらしい。相手が立っていたあたりは粉塵でまったく見えないが足元でキラキラと光る何かの破片を見るに破壊でき――


 ――破片?


 違う、あれはだ。呪文が込められた魔術の砲弾、あれが着弾し魔術を――


「!」


 気が付くと同時に、テンプスはアリエノールの手をつかみ、体を回転させて位置を入れ替えた。


「キャ!ちょ――」


 アリエノールが背後に非難の声を上げようと顔向けるのとテンプスの構えた刀身に無事だった生きる像の剣がぶち当たるのは同時だった。


 どうやら、まだ戦いは終わっていないらしい。






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