一件落……
「……あの連中が、急に来て。」
それはある日のことだったという。
ちょうど、地下闘技場の一件が片付いたころ――それこそ、テンプスが、意識不明であり、あの縞模様の怪人にあきれ顔をされていたころの事だったという。
やたらと高い馬車で、家の前に乗り付けた男たちは彼女とその両親に言ったのだという、『高名な神聖呪文の使い手であるあなたにお願いがある』と。
それ自体はまれにある話だった、決して、喧伝しているわけではないが、社交界において彼女が神聖術の使い手であることは知れていたからだ、ゆえに、彼女もそれを疑わなかった。
そして――家の中で、彼女は脅迫を受けたわけだ。
「……私が、ステラちゃんをさらうのを手伝わないと、オラちゃったを、殺すって。」
そういわれて彼女は激昂した。
当然だろう、友人二人を天秤にかけて、片方を売れと言われて、唯々諾々と従う女ではない。
相手の脳を壁のしみにするべく振り上げたこぶしは――
「……絵を、見せられたの。」
それは、まるで時間を切り取ったかのような精巧な絵だったという。
テンプスにはそれが、写し絵――切時鏡で切り取った風景であろうことがすぐに分かった。
おそらく、昨年、あの前生徒会長が語っていた「雇い主に渡した技術サンプル」とやらを、今回の黒幕が犯人に渡したのだろう。
その絵は精巧で――だから、余計に恐ろしかった。
それは、あらゆる角度から撮られたオラの近況だった。
どこで、どのように、どうして、それらの状況を克明に写すその絵を、彼女は見せられたという。その一部は……あられもない姿だったとも、言っていた。
「こんなに、近くまで来てるなら、もう、狙われてるんだと思った。」
だから、止まるしかなかった。
「……うん。」
「この国は、勇者様のおひざ元だから、信者も多いって。だから……」
守り切れない、と思った。
「ステラ、ちゃんなら、どうにかなるかも、と、おもって……学院にも信者がいるかもと思って、はなせなくて……」
声に涙が混じる。それしかなかったのだ。
「ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
後は言葉になっていなかった。
泣き崩れて、立ち上がることすらできない。その光景を友人や部下たちは複雑な心境で見ていた。
自分が同じ状況になっても同じことをしただろうと考えるものは多い。ただ――それが許されるかは別だ。
許されるはずはないが、言わないわけにはいかないのだ。
捕まって、二度と日の当たらない場所に行くというのなら――これが最後の機会だと思ったから。
「――いいよ、チュアリーちゃん。許す。」
だから、そういわれた時、チュアリーは心底驚いた。
顔を上げれば、どこか困ったように笑う友人の姿があった。
「や、まあ、普通、許さないんだろうけど……私も去年、びっくりするぐらい迷惑かけたしねー……人のこと言えないよ。それに……」
一瞬、言葉を切って、ひどく恥ずかし気に顔をゆがめて、彼女は言った。
「友達、少ないし、減られたら困っちゃうよ、私。」
そういって、朗らかに笑う彼女に向けて、チュアリーが飛びついた。
それが、彼女の許しだった。いつの間にやら、鎖は消えていた。
「えぇー……許すっていったんだから、泣かないでよー」
そういって、胸で泣くチュアリーの頭を撫でながら、ステラは困ったように笑った。
「お涙頂戴ですねぇ。」
そういって、鼻を鳴らすマギアを見ながら、テンプスは口角を上げて一言。
「でも、ひどい終わりよりいいだろ。」
そう言って笑う。本心でないことぐらい、彼にだってわかっていた。
「……まあ、物別れよりは、いいんじゃないですか?」
そういって、憮然と鼻を鳴らす少女は、しかし、誇らしそうに見え――
『――っち、ことのほか役に立たん餓鬼めが。』
俊寛、空気を揺らさぬ不機嫌なつぶやきが、テンプスとマギアの思考に滑り込んだ。
すべての人間の思考に滑り込んだその声は、思念波の放出――霊体の言語だった。
「―――――!?」
弾かれたように、テンプスとマギアの顔が同じ方向を向いた。
テンプスの脳裏に予知が宿り、マギアの魔術の探知に明確な悪意が引っ掛かったからだ。
だから、二人が動いたのは同時だった。
テッラの時に見せた瞬間移動にもほど近い歩法――オーラの膜を想念の戦士の能力であるオーラの波を使い磁気的にはじくことで加速する電磁加速――一足で距離を埋める。
ステラの背を押し込み、二人を押し倒しながら右の腰から振り上げたフェーズシフターの刀身を相手の刀剣に沿うように置く。
ガチン!と金属同士のぶつかる音が響き、オーラによって形成された刀身に硬質な物体が着弾した。
オーラ……磁場にすら形を持たせる不可思議の技術はいつもと変わらぬ強靭さでもってテンプスの体を守った。
ひどく重い一撃がテンプスの体を揺らし、地面に向かって滑り落ちた。
大上段からの振り下ろし。ステラとチュアリーの体を縦一文字に切断してあまりある一撃はロータウンの舗装もされていない砂利道を切り裂く。
一瞬の安定。しかし長く続くものではない。
がたがたとうごめく相手の連撃が放たれるよりも早く、マギアの魔術が起動した。
「――
現れたのは不可解な輝きを宿し、敵対者の前で不気味に揺れている神秘の壁だ。薄く、まるで紙切れのように頼りなくすら見えるその壁が、相手を囲み、その動きを制限していた。
それが、相手の行動を遮る魔術の壁であることを確認するよりも早く、テンプスの体は次の行動に移っていた。
押し倒した二人を確認しながら、真後ろのアリエノール達に向けて叫ぶ――
「――全員離れろ!」
放たれた敵意のもとに目線を離さずに叫ぶ、その姿は明瞭だ。
『――像。なんか宿ってる。』
それは、チュアリーが傍らに立って居た像だ。
これではそれほど注意を払っていなかったが、それは剣を持った人間の兵士の像であり――今は、明確な敵意を持ってテンプスを攻撃してきた敵であった。
不可思議の壁に自らを囲われ、身動きを封じられた像は壁に複数回剣を放ち、壁を壊そうとあがいていた。
テンプスにはそれが何か、すでに見当がついていた。
あの用務員――スワローと同じだ、魂のこもった器物により、この世にあらわれた霊体。
逃れか抜けかは知らないが、何かしらの霊体だろう。おそらくは――今回、占術を防いでいた霊体。
だが、今回、今までの者たちと唯一違うのは――
『……代行者も人間にもつかずに攻撃してきた?』
それはこれまで聞いていた霊体の情報と符合しない。
あの種の存在は代行者か波長の合う人間を介さなければこの次元に手を出せないはずでは……?
これまでの個体はすべて、転生というパターンを経てこの次元に姿を現し、そのうえでテンプス達に攻撃を行ってきたものだが……こいつだけ違うとでもいうのだろうか?
あるいは、テンプスが知らぬ何かの情報があり、その上ではこういった行動も起こりうるのだろうか?
『……考えてる場合じゃねぇな。』
取り留めもない思考を打ち切る。それよりも――
真後ろに視線を送る、そこにはテンプスに倒された姿勢から起き上がり、像をにらむステラとその光景を呆然と見つめるチュアリーの姿があった。
先ほどの一撃は、間違いなくチュアリーかステラを狙ったものだ、あの像はどういう理屈か、あの二人を切り捨てようとしたらしい。
これまでの行動原理と異なる――あるいは、何か別の目的があるのか?
どちらにしても――
『何とか逃がさんと……』
「――ステラ先輩。」
相手に目を向けたまま、テンプスは背後の少女に声をかけた。
「ん、何?」
驚いたように固まっているチュアリーの上、彼女をかばうように――といっても背丈が足りないのではみ出していたが――覆いかぶさったステラが真剣な様子で声を上げた。
「助け出されてそうそうで申し訳ないんですけども、お願いが。」
「いいよ、どうしたらいい?」
「チュアリー先輩の事を連れてこの広場から出てもらえると……あと、アリエノール先輩のこと説得してもらえません?」
「あー……そっち?いいけど……手伝うよ?」
「や、ありがたいんですけど……周りの生徒を下げてほしいんですよね。」
「ああ……じゃま?」
「たぶん。」
「わかった。」
手短な会話、何か言いたげなチュアリーの手を引き、ステラが彼の元を離れる。
こちらの秘密のためにも、彼女たちの安全のためにも彼女たちはこちらにいるべきではない。
「――先輩。」
入れ替わるように傍らから声、後輩だ。
「マギア、なんだあれ。」
「……何かの霊体です、が、通常の霊体の法則に当てはまりません。生きる像に宿ったとしても自力で動けるようにはならないはずです。何か別の魔術によって操っているのか……」
「わからない何かか?」
「いえ、推論は浮かんでますが……それが当たりだとすると相当に厄介ですよ。」
その返答にかすかに眉を上げる――彼女がそこまで言うというのは非常に珍しいことだ。
神秘学に関してはテンプスよりもマギアの方が詳しい、この世界有数の知識があるといっていいだろう、その彼女がここまで言うとなると――
『何もんだこいつ……』
眉を顰める。単純にどこかからまろびでたろくでなしの魔術師の霊だとばかり思っていたが……ことのほか面倒な相手かもしれな。
フェーズシフターを握りなおす。反対の手はすでにポケットの時計の竜頭を回している。
口の中で鎧を呼び出すいつもの呪文を蓄えながら嘆息する――どうにもやすやすと事件は終わらないらしい。
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