アリエノール・フォーブス
いつもの早朝、テンプスはいつもの訓練に使う街道を全速で駆け抜けていた。
アプリヘンドの広い街を全速で駆け抜けるテンプスの姿は正しく風のように見える。
普段よりも遅い時間、休日の町を行きかう人々の間を影のようにするすると駆け抜けるさまは猫のようでも影のようでもあった。
普段の訓練よりも早く、それでいて不規則に軌道を変える疾走には理由があった。
「――追え!捕まえろ!」
「魔術も使えないくせになんでまったく速度が落ちないんだ……!」
テンプスの背後から追いすがるような声――風紀委員会の追っ手だった。
今朝、特任部隊によって発見されてから始まった追尾はすでに一時間は続いている。
すでに三十人近く脱落させたデスマーチに、しかし、テンプスは小動もしない。
それは日ごろの鍛錬の成果であり、同時に、想念の戦士の力だった。
想念の戦士は精神磁場を精神的に制御し、オーラの力を変質、増幅する能力を持つ。
オーラは精神界と物理界が接触し、反応することで起きる電磁気力だ、物理法則によると二番目に強い力であるこのエネルギーは通常の磁気と異なり物体に様々な影響を与える。
肉体に磁気を流し肉体を強化し、物体を引き寄せ、弾き、あるいは精神界に悪性ないしは良性の影響を与えることもできる。
そのうちの一つが体の高速回復だった。
テンプスの並外れた精神力によって生み出されるオーラによって機能するその能力は並の剣士の鉄剣による一撃をたやすく癒す。
傷を高速で回復させ、体力を補填するこの能力によって『スカラ・アル・カリプト』は無限に近い時間活動し、敵と戦い続けられたとされる。
目覚めて間もないこの力を、テンプスはどうにか制御できていた。
急減速からの鋭い切り返しで路地に侵入し予見していた挟み撃ちを躱す。
不意に目標が目の前から消えた風紀委員が一瞬あっけにとられて挟み撃ちのために対面から来た生徒に激突して昏倒した。
『三十二……まだ、出てこないな。』
路地を走り抜けながらテンプスは内心でパターンを確認していた。
彼はひたすら待っていた、特記戦力の到来を。
あの雑兵達――失礼――では自分をとらえられない。そして、少なくともアリエノールは自分が犯人だと疑っている、ここで確保しに来ると踏んでいた。
一昨日、昨日とチュアリーやミュオに見せていた影に逃れる魔術は彼女たちにとって未知の技術だ、アリエノールはおそらくそれをスカラーの技術かマギアの魔術だと考えるだろう。
となると、彼女たちは焦る。
もしも影の中にステラを隠されているのなら、彼女達には打つ手がないのだ。
あんな魔術を知っている人間は今の時代にはいない。あるいは、天上界とやらにしかいない可能性すらあった。
スカラーの技術にしても、テンプス以外にそれを扱える人間はいない。
彼女たちは影界に侵入できないのだ、ゆえに、テンプスを何が何でも捕まえる必要がある。
影界への進入路を開かせるか――もしくは、マギアと交渉するための人質として。
昨日、生徒会長が行ったのも同じことだ。影の世界に入れない以上、自分かマギア、その家族を確保するしかない。
『サンケイを狙わないあたり、妙に真面目というか……』
あるいはそういった行為を忌避しているのかもしれない。
どちらにしろ、影に潜っていない自分を確保できる機会を逃がしはするまい。
そのための追いかけっこだ。自分一人では影に潜れないと思わせる必要がある。
アリエノールは見ていないが、チュアリーとミュオはマギアが自分を影界に潜り込ませているのを見ている、マギアの協力なしで潜れないと判断するには十分な状況証拠だろう。
そのためにマギアにも隠れてもらっている――できることなら、早くできてきてほしいものだが。
『たぶん、そろそろチュアリーかドルミネが焦れて出てくるはず……』
相手の行動パターンから、最も手薄な場所に向かって駆け抜けながら、テンプスはじっと待っていた。
「――追尾は?」
「失尾しました。現在、貴族会と先進情報開発部が合同で追跡を開始。」
「マギア・カレンダは同行していないのね。」
「はい、おそらく、別行動なのでしょう。」
「……そう。」
報告に来る部下のセリフに、アリエノールはかをしかめる。
心の底から厄介だ、魔術が使えない程度問題にならない。
かれこれ三時間近く、
何が最もまずいかといえば、最も質の悪いスカラーの超技術をまったく扱っていない点だ。
謎の道具群も使わず、肉体だけで飛び回る彼を、まだ捉えることができない。
これが、彼の実力だというのなら――正直、今まで隠していた理由側がわからない。
やはり、何かしらのたくらみがあったのだろうか?その延長でステラをさらった?
アリエノールは思い至らない――これまで、テンプスはこの動きができなかったということに。
それはある意味、生まれつき超人であったが故なのかもしれない。彼女にとって、力という物は新たに手に入れられる力ではないのだ。
実際には彼はそれなりにスカラーの技を使っているのだが……それはアリエノールにはわからない。前生徒会長はそんな技は使っていなかった。
「……貴族会から使用の申請のあったスタチューは?」
「待機地点に設置済み。誘導完了まであと十五分です。」
「……そう、そろそろね。」
そういって、彼女は事の推移が計画通りに言っていることに、息を漏らした。
細工は流々、あとは仕上げを――というやつだ。
「――悪いけど、ステラは返してもらうわよ。」
そういって、彼女は自分の席を立った。
『追い詰められてる。』
包囲を搔い潜り走り抜けながら、大きな壁に囲まれた町の一角、ロータウンと呼ばれている一角に入り込んだテンプスは思った。
誘いこまれた。わかってはいたがこればかりは仕方がない。
尋問科をほぼすべて動員されて実行された捜索網はすでに町全体に波及し、とうとう、街中で銃を撃とうとするものまで現れる事態になってきていた。
人の居ないところ、監視網の薄いところに向かうと、ここしかなかったのだ。
罠だ――と、わかっていてもこれしかなかった。
この区画で最も広い一角に出た時、彼を突然の白が襲った。
視界が消え去り、見当識を一瞬失う。
全方位から放たれる光の渦、ひかりを放つ鉄製の何か――炎の魔術で作られた光を放つ球体を内に秘めた投光器がテンプスの周りに配置され彼をにらんでいる、罠だ。
「――っと!」
驚いたように、彼の傍らで声が響く。
影の中に隠れていたマギアだ、影が極限まで小さく、薄くなるように輝く発光体の影響で影からはじき出されたらしい。
「まぶしっ、なんですかこれ。」
「学園で使う投光器だ。僕らに対策してきたらしい。」
「――なるほど、影をつぶしたわけですか。考えましたね!」
「――おほめにあずかり光栄だわ、マギア・カレンダ。」
氷のような声がした。
テンプスは去年に一度、マギアは初めて聞くその声の主は投光器の横から、長大な方針を持つ銃とともに現れた。
「初めまして、アリエノール・フォーブスよ、よろしく。」
そういった少女はドルミネと、あるいはステラやマギアとほとんど同じ背丈をした少女だった。
光り輝き後光を背に立つ彼女はほとんど影のようにしか見えない。
「――これはこれはどうも、風紀委員閣下、マギア・カレンダと申します、以後お見知りおきを。」
「ええ、よろしく……よろしくついでに、ステラの居場所に案内してくれると嬉しいのだけど。」
「それは無理です、私たちも身柄は抑えてませんので。」
「じゃあ仕方ないわね――」
太陽のごとき発光を背に、彼女が砲身をこちらに向けるのがわかった。
「――無理に聞かせておらうわ。」
かちりと、鋼のうごく音。引き金に指がかかっている。
ゆっくりと、テンプスは両足に力を籠める。
「ああ、ちなみに言っておくけど、逃げられないわよ。囲んでるもの。」
機先を制するような一言。周囲を囲う気配が増える。
チュアリー・クレセント、ミュオ・ソティス、ドルミネ・ルブリケータ、そして、それぞれが属する組織の役員。
「各勢力勢揃いか。」
苦笑する。
何とも豪勢な囲いだ、並の軍ならこれだけで始末できる。
「ええ、そうね。妹さんだったかしら、あの子が来ても助けにはならない。だから、諦めて捕まりなさい。」
その一言に、テンプスの口が動く――
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