犯人達の夜更け
アプリへンドの街はとある事情でそれなりに発展した地方都市だ。
その街の大きさはテンプスが以前住んでいた町とは到底比較にならないほど巨大であり、その大きさだけでもあの町の住人は目がくらむようだろう。
ここに学園があるのも、ついでに言うとオモルフォスの生家があったのもその理由のせいだ。
観光名所になるような場所はほとんどないが、それでも歴史を感じる街だった。
そんな、アプリへンドの街には貴族の住む領域がある。
俗には貴族街と呼ばれるそこは一般的な――それこそ、テンプスがよく行く領域とは一線を画するほど清潔で、それでいて高級感があった。
この区画にはよく警邏の兵士が巡回をし、その領域と一般の人間の領域を区切るようなもんまであるような立派な区画だ。
その一角、決してこの領域では華美とはいえないその屋敷で、何人かの兵士が巡回を行っていた。
ここ最近、彼らは緊張を強いられていた。
かなりのお偉方が来ているのだ。
平民――と呼ばれるべきなのか、彼らにもわからなかったが――上がりの自分達では決して出会うことのないだろう立場の人間、雲の上の存在。
そういった連中が、近頃妙にこの家に出入りする。
確かに、この家はかなりの金持ちだ。自分たちのような傭兵をぞろぞろと集めて、雇い続けられるその支払能力は彼らの理解を超えている。
だが、これほどの賓客が来ることはめったにないことだ、少なくとも、ここに五年近く務めた年嵩の兵士もそんなことは一度もなかったと記憶している。
「……なんか、やったんすかね?」
ぽつり、と、まだ若い巡回の人間が口を滑らせた。
その声には、職場をなくすかもしれないという不安が満ちている。彼からすれば、それがこの家に対して感じることのすべてだ。
せっかく実入りのいい職場に来たのだ、無駄にはしたくない。
その思いがありありと顔に浮かんでいた、正直な男だった。
「よせ!」と厳しい口調で止めながら、彼も内心でそれを警戒していた。
この家は金払いがいい、どうこうなってほしくはない。
内心でそう考えながら、彼は再び巡回に戻った――その足元に影のようにひそやかに、かつ、風のように俊敏に駆け抜ける影があったことには気が付かぬまま。
「――では、儀式の日取りは以下の通りにお願いします。」
屋敷の一室、ろうそくの明かりだけがともる暗い部屋で二人の人間が密談を行っている。
片や笑顔を浮かべて、片や重苦しい表情で、あまりにも対照的な二人は、しかし、同じ話題を前にしてた。
「……わかった。それで、あの子は返してくれるんだよね。」
重苦しい表情の少女が告げた。その顔に浮かぶ色は深く深く沈んでいる。
一点、その声にこたえる男の顔はひどく喜びに満ちていた――その喜びが一体何から来ているのか、もはや誰にも分らなかったが。
「ええ、もちろんです。」
答える声も朗らかだった。いっそ、忌々しいほどに。
「……」
「気にされているのですね。」
「……当然でしょ。」
親の仇でも見るような視線が男に刺さる。
目線にこもった恨みが呪いに代わって、彼を襲っていた。彼が、それなりに卓越した実力者でなければ、彼は死んでいたかもしれない。
それほどの威力の視線だった。
「何も気になさることはありません、すべては我々が信じるべきもののために行われることですから。」
けろりとそういう男の笑みはさらに深くなっているように見えた。
「……」
眉間のしわが深くなるのが、少女本人にもわかった。今、自分は友人に見せたくない顔をしているのも同じように分かった。
だからと言って、止められるわけでもなかったが。
「不満げですね……ええ、わかりますよ、ご友人をなくされるのはいつだってつらい。」
「――ちょっと!ステラちゃんの身に危害加えないって話でしょう!?」
ガタン!
椅子が後ろ向きに倒れる。勢いよく立ち上がった影響で自らを支えきれなくなったからだった。
机に勢いよく手のひらがたたきつけられ、メキリと音を立てて机にひびが入った。
「ええ、もちろん、危害は起こりえません――少々、目覚めにくくなるかとは思いますが。」
「――!」
視線の魔力が強くなり、呪いの威力が増した――これ以上は、男でも耐えきれないレベルになりつつある。
「さて、これで終わりですね、では、我々はこれで。」
それを察したのか、男が席を立った。その顔には先ほどまでの張り付けたような笑顔ではなく、人を小ばかにしたようなあざけりが宿った。
扉の閉まる音がした。
男が消えた扉に、猛然とした勢いでイスが激突した。破壊された椅子がけたたましい音を立てる。
どうしていいのかわからない顔で、少女は扉をにらんでいた。
その視線の魔性はすでに人を二、三人巻き込んで人を殺しかねないほどの力を持っていた。
「―――――――!」
聞くに堪えない罵倒が、口からほとばしった。
せき止めていた怒りが暴発して、まるで濁流のように口から漏れだしていた。
数分、その暴走は続いた。
数分後、彼女の声に嗚咽が混ざりだした。
手で顔を覆い、すすり泣く少女が最後に漏らした声は「ごめんなさい……」だった。
その光景を、部屋の隅の暗闇の中から爛々と輝くアメジストの瞳が眺めていた。
「――この分なら、儀式は滞りなく進行するでしょう。」
屋敷からの帰りの馬車の中、少女の視線で祟られかけた男は自慢げにそういった。
『結構だ、さすがに司教になるだけはあるようだな。』
彼のつけた腕輪から声が漏れる――鈴なりの声だ。
遥か遠方にいる人間とすら会話を可能にするこの魔術の英知は、彼が所属する組織から独自に貸し与えられたものだ。
クリアな音質で、彼のもとに届いたその声は威厳と――どこか嘘くささにまみれている。
「おほめにあずかり光栄です。」
しかし、そんなことは彼には関係がない。
彼にとって、この声の主はこの世に遣わされた唯一の救いの手の子孫だ。
彼にとってはこの声の主は、王の声にも等しい力を持つのだ。
『では、儀式は?』
「手筈通りに、娘に準備を一任しておきました。お渡しいただいた装置で魔力量の基準を超えていることは確認済み、滞りなく実行できるでしょう。」
『よし、この術を作るのは大変苦労した。ミスをするなよ。』
鷹揚な言葉、横暴にも聞こえるそれが、彼にはそう聞こえたらしい、自身に満ちた様子で返答する。
「ええ、もちろん、滞りなく進んでおりますのでご安心を。」
『そういって、去年の愚図どもは失敗したぞ。』
「信心を持たぬものと同一視されては困ります、私に手抜かりはありません。」
かすかに声に憤りを宿す。
いかに子孫といえど自分の信仰を疑われるのは癪に障る。
『計画を邪魔した何者かもいる。そちらへの対処は?』
「問題ありません、先兵より情報を得ております。その男はスカラー――あの与太話の研究にいそしんでいるようです。いくらかはその技術を扱えるとか。」
『スカラー?ああ、あのおとぎ話か……まあ、本編中も対して出てこないし問題ないか……だがそれによって邪魔された過去はあるぞ。』
「おそらく、国際法院を恐れたのでしょう、それは死刑執行人の息子だという話ですから。」
『ほう……?まあ、いい。手が出せないのなら構わん。しくじるなよ。』
「承知しました。」
ぶちんと、魔力の波形が切れ、風の魔術が消える。
音のしなくなった空間をしばし見つめて、男は胸の前で手を組み、何事かぶつぶつと唱え始めた。
それが、男の信仰の対象への祈りであることを知っているものはここにはいない。
ここにあるのは、闇と静寂と――男の対面の席の上に止まり木のように止まり、男の映像をテンプスに送っている空のしもべだけだった。
「――見つけた。」
夜の静寂の中、スカラーの継承者が、送られる映像を見つめてそうつぶやいた。
一年前の取りこぼしの手掛かりがようやく目の前に現れた瞬間だった。
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