ある少女の捜査
「ありがとう、ね?」
「いえ!さらわれた方が見つかるように祈ってます!」
そういって、こちらに手を振るトリスに別れを告げて、タリスはするりと影界に滑り込んだ。
「いい人だった、ね。」
「や、まあ、単に母が誑し込んだだけだと思いますが。」
「ん、お母さんはすぐ人を誑す。」
「む、誑してない、単にお話しただけ。」
かすかにむっとしたような表情を浮かべる彼女は心外だと言いたげだ。
彼女からすれば、確かに話していただけなのだろう――その会話の魔力に目をつぶれば、彼女は正しい。
「……お見上げに部外秘の資料の写しまでもらったのにですか?」
「うん、だから、いい人。」
そういって朗らかに笑う自らの母を指さしたマギアの表情は何とも形容しがたいものだった。
「ね、私より母の方がやばい女でしょう?」なのか「こういう人なんですよ、やばいでしょう?」なのか、言いたいことはわからなかったがとりあえず彼女の中で母という物が常識外れの存在であることは間違いなさそうだった。
トリスと別れるまでに聞いた逸話を思い出しテンプスは苦笑する――この調子なら、意志の弱いものは彼女と一時間話すと信者にされるという話も嘘ではなさそうだ。
「ま、そこは諸説あるとして……ノワ、タリ――「お母さん」――お母、さん、頼みがあるんですけど。」
首をかしげる二人にある指示を出した――いよいよ大詰めが近そうな気配がした。
休日に歩く学校の廊下という物はどうしてこうも物寂しいのだろうか。
赤い髪をなびかせて歩く少女は内心で首をひねった。
休日だというのに『仕事』のせいで友人と町を出歩けないことが問題なのだろうか、それとも、その友人がさらわれているのが問題なのだろうか。
『どっちもだな……』
しばし考えて、彼女は首を振った、どちらかに理由を限定する理由はない。物悲しいと感じていることだけが確かなことだ。
つかつかと誰もいない廊下を歩く足音が、ある場所で止まった。
そこは、普段生徒が入らぬ魔術媒体の保存庫だ、教員すら中に何があるのか正確に把握できていないとされるその部屋を、彼女は乱雑に開け放つ。
内部では何の呪文媒介かわからないものが異臭を放っている――何度嗅いでも胸に悪くなる匂いだ。
内心で毒づきながら、彼女は部屋の奥に向かって大股で進んだ。
彼女の目的はこの部屋の奥だ。
まるでなにかを隠すように積み上げられた古い木箱、一つ一つが独立しているように見えるそれにつけられた取っ手に一般の生徒が気づくことはない。
彼女はその取っ手に手をかけると勢いよくその扉を開いた。
そこにあったのは、地下に続く階段だ。
まるで地獄の底に続く入り口のように口を開けているその場所に、彼女は変わらぬ大胆な足取りで進んでいった。
これもまた、凶皇の残した遺産の一つだ。学園中に張り巡らされた異常な数の隠し部屋。
あの時期、狂っていた学園の象徴――使い勝手のいい隠れ蓑だ。
あの女の世話になるのは業腹だったが、今は役に立っている。
通路の終点にあった扉に手を掛けながら、彼女は内部にいる人間に向けて声をかけた。
「おっす、どんな感じだー?」
軽い調子で放たれた言葉に、よどんだ空気の向こうから不機嫌な視線が刺さる。
「うまくは、行ってねぇな?」
「……まあね、ステラ先輩はさっぱり見つかってないよ。」
四角形の部屋の中心で不審な装置につながれた少女はどこかこの世のものではないような声を上げた。
椅子の上でぼんやりとした青髪の少女を見つめながら、彼女は部屋に入った。
そこにあったのは不審な装置だ。
椅子のようなものが部屋のあちこちから引き込まれた鎖によってつながれ、部屋の天井からあまたのコードによって接続されている謎の鉄兜のようなものにつながっている。
謎の発光を行うその装置をテンプスが見てればこれを『周辺知覚強制観測機』と呼んだだろう。それは、正しくスカラーの遺物――のようなものだった。
周辺にある魔力を伴う現象を脳裏に強制的に投影し、それを映像として知覚する装置。簡単に言えば、それは遠隔監視用の感知装置だった。
ルフにもパターン化して搭載されてた機構――のごくできの悪い廉価版。
人の脳への負荷の一切を無視しているその装置はできの悪い失敗作としてこの世に生まれるはずのないがらくただ。
これはその装置をさらに不明な改造によって魔術的に使用できるように改造されていた。
テンプスがこの装置を見れば改善点を百は上げられるその装置は、しかし、現代においては最も優れた検知装置だった。
そういって意識がうすぼんやりとした顔を向けてくる同僚に苦笑しながら、彼女は手に持っていた袋を差し出す。
「昼飯、どうせ食ってねぇだろ。」
「あー……昼?」
「……もう、二時だぞ。」
「……あれ、そんな経ってるか……」
どうにもボケっとした声を上げる同僚の頭に持ってきたお茶を押し当てながら、その頭を撫でる。
この装置を使うといつもこうだ。頭がしゃきっとするまで気が抜けたような様子になる。
手の動きに気持ちよさそうに目を細める猫のような同僚を眺めながら彼女は口を開いた。
「手がかりもなしか?」
「ん……さっぱりだね、一応『広域』で探してるけど、見つかんない。」
「テンプスは?」
「そっちはもっと無理、何がどんな頭してればあんな家にできるのかさっぱりわかんない。マギア・カレンダもいるんでしょ?もっと無理だって。」
心底投げやりに口にする同僚に片眉を上げる――この娘がそこまで言うとは驚きだった。
「そこまでか?やっぱやべぇの?」
「……真面目に言うけど、あれは凶皇よりやばいよ。さっぱり理解できない。」
持ち込んだ食事をもそもそと食べ続ける同僚の言葉に、赤い髪に魔力が走る――どうにも、あの女の名前が出るとだめだ。
「……ほぉ。」
「何知ってんだって顔してるけど、なんも知らない。ただ、あの女が残していった遺物は知ってる。」
これも含めてね。と言いながら彼女は自分が座っていた椅子を撫でる。
そう、これは前生徒会長の遺物だ。
あの女が初めてこの椅子を紹介してきたときは大したものだと思ったものだが……ふたを開ければ、そこに入っていたのは掃きだめのゴミだ。
「これにしたって、ほかの遺物だってそうだけど何をしてるのかわかってる、広域に魔力の網を張る。システムとしてはすごいけど原理は単純。」
「そう、なのか?私にはよくわかんねぇけど。」
「そうなんだよ、でもあいつの――テンプスの使ってる装備は別。いったいどんな原理であの武器が動いてるのか私にはさっぱりわからない。」
すねたように、この学園でも並ぶものがいない情報収集能力を持つこの学園の目は言った。
「私には、あの剣が何かわからないんだよ、うちの部長もそう。賢人なんて言われてるあの人にも、あの武器がどういう原理で動いてるのかわからない。あの光る刃は何?一体どんな原理であの形になってるの?理事長室にいたっていう不可解な猫は何?」
立て板に無図のように流れる疑問にはどこか憤りのようなものが感じられた。
彼がこの学園入学するまでこの学園一の頭脳派であり、最も恐ろしものだと思っていた凶皇に抵抗するために作られた自分達がそれを解き明かせないことにいら立っているのだろう。
「――ま、わかんねぇこと気にしたってしょうがねぇさ。あいつがすごいってんなら私だって結構すごいんだし、気にすんなよ。」
「……それ、慰めてる?」
「さぁな――飯食ったら寝ろよ、連続使用限界だろ。」
「……ん。」
そういって別れる、さて次は何をしたものか――
「あ、そうだ、アルネ先輩から伝言。」
「あん?」
「「大図書院っぽい!」だって。」
「――!わかった、ちゃんと寝ろよ!」
言いながら、彼女は乱雑に部屋の扉をあけ放って駆け出した。
先ほどまでそっと歩いていた廊下を駆け抜け、中庭を突っ切り、渡り廊下を比較的ゆっくりと歩いて、彼女は大図書院に侵入した。
そのままつかつかと歩いて――目的の背中に、彼女の武器を突き付けた。
「――よぉ、やっぱりここに来たな。」
唇に嗜虐的な笑みが浮かぶ、やはり持つべきものは勘が鋭い後輩だ――
「――やっぱあんたかドルミネ。」
目的の背中が……テンプス・グベルマーレがげんなりとした声を上げる。
「おう、私だ――悪いが、ついてきてもらおうか?」
そういって、学園特記戦力の一人にして、ステラ・レプスの最後の友人である少女、ドルミネ・ルブリケータは獰猛に笑った。
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