テンプスの領分

 薄手の皿の上で縛り上げられたステラが映る。


 現状、テンプスの目から見てステラ・レプスの肉体に明確な変化はない。


 あからさまな傷はなく、また同時にあからさまな体調の変調のパターンも見られない。


 胸はかすかに前後しているし、血色そのものも悪くはない。


 無事ではあるのだ。だが同時に決して健常な状態とは言えない。


「……」


 何とかする必要がある、あるが――する方法が思いつかない。


 がりがりと頭を掻いた。もう何度目になるかわからないその行為に頭から血がにじんでいた。


 どうにも思考がまとまらない、自分への苦痛なら我慢できるし起こる前のことに関してはいくらでも対処してきたが、すでに起こったことをいい方向にもっていくのはどうしても苦手だ。


 彼の中のスカラーの力が、無尽蔵にステラの悲惨な結末を作り出し、それを否定できない。


 回避しようにも、回避するために必要な材料が見つからなかった。


 いつもはギラギラと光り輝く脳裏のひらめきもなりを潜めている――ステラの現状を見てしまったせいだった、何とかしなければならないという思いが彼の思考を鈍らせている。


 未然に防げなかったことが気にかかって集中できない。


 何とかしなければならない。ただ――その方法がわからない。


「――去年の事があるから焦ってるのはわかりますけど、私たちがいるんですから、落ち着きなさい。」


 そんな彼の腰を、軽く誰かの手が撫でた。


 その手がだれのものかは、見なくてもわかった。


「……そんな焦ってるように見える?」


「ええ、かなり。普段と手順もやり口もぐちゃぐちゃですから、もうちょっと落ち着きなさい。いままでだって行けたんですから。いつも通りにやればあなたなら大丈夫ですよ。」


 視線が交わる。


 その視線に自分への信頼が見えて、テンプスは深呼吸をした。


 いつか、自分を殺す時とは違うその視線は、今確かに自分の事を信じている。


 信じられることをしたのだ、過去の自分は。


 なら――今の自分でもこなせるだろう。


 空回りしている脳の歯車を元の位置に戻す。閃きに再び色が付き始めた。




 地下の薄暗く、同時にかすかに湿った空気の中で、厳かにテンプスが口を開いた。


「――ひとまず、ステラ先輩が無事であることは判明した。まあ、衰弱してないとは言えないが、今すぐに死ぬほどじゃない、飯ももらってるから即座に危険ではない――まあ、食べてなさそうだったけど。」


「まあ、仕方ないでしょう、拉致った相手からの施しなんて何が入ってるかわかりませんし。」


「ん、まあ、そうね。僕も闘技場の時、飯食えなかったし。」


「……待ちなさい、その話初耳ですよ。」


「言ってないからな――となると、やっぱりマギアの割り出した儀式日時は正しいと考えていい、時間は……夜なんだっけ?」


「ええ、月明かりを保存する魔術なんてこの時代の人間には使えないでしょう、私が知る限り、この時代の人間に扱えるのは力術と防衛術だけです変性に属する術は使えません――というか、待ちなさい。闘技場の話が終わってません――」


「ん、それも、かなり程度が低い。」


「おばあちゃんとかに比べるとダメダメ、だね――あとでみんなで聞けばいいとから、あとにしよう、ね?」


 マギアのセリフを遮るように声を上げる二人の家族を恨めしそうににらんだマギアに苦笑しながら、テンプスは言葉をつづけた。


「月の明かりが必要なら間違いなく月が出てから――ってことは……今の季節なら五時以降だ、これが彼女を探す最低ラインってことになる。」


「……そうなりますね。」


 憮然と、マギアが言った。納得した様子はないが会話には参加してくれるらしい。


「それまでに犯人を見つけて、彼女の居場所を特定し、救出しなけれりゃならない。」


 ずいぶんと盛りだくさんだ、いつもやっていることだが今回は毛色が違う。


 普段は狙われている側が自分かマギアであり、狙われるのは現在進行形だ、対処さえできればどちらにも影響はない。


 が、今回はすでにことが終わってしまっている、普段のように犯人がわかっていなくとも襲撃を退ければてっがりが現れる状況ではない。


 すでに人はさらわれ、それをどのように元の形に近づけるかの話になってしまった。もししくじれば、割れた陶器のように状況は元の形をなくすだろう。そうなれば去年の繰り返しだ。


 人間たるもの進歩していると言い続ける必要がある、去年と同じ結末にするつもりはない。


「面倒だな……」


 手掛かりは映像を除けばないに等しく、どこから漁ればいいのかもわからない。


 その映像も手掛かりたりえるものはほとんどない、気になる点といえば――


「……ステラ先輩、さっきなんで魔術失敗したんだ?」


「おや、知らないんですか?意外ですね……封印技法ですよ、ずいぶん古い手ですが、使い物にはなります。」


「封印技法?」


 突然、かけられた言葉にテンプスが聞き返す。耳慣れない単語だった。


「魔術師の基本的な封印方法ですよ、魔術に必要な要素を防衛術を掛けた糸で縛るんです、ほら、首にも巻き付いているでしょう、あれで魔術の構成要素を果たせなくしてあるんです。」


 言われてみれば、確かにステラの首には紫の糸が幾重にも結ばれている。


「これはかなり本格的な代物ですが、1200年前は城下町あたりだと魔術師が町に入るだけで簡易なこれを強いられていました、私や魔女には効きませんが……」


「……そんなことすんの?僕聞いたことないけど。」


「私が知る限り五百年前までこの方法で魔術師を封じるのが流行りましたよ。」


「ほーん……学園の資料じゃそんなの見たことないな……」


「……ふむ……?」


 いぶかし気に、マギアの顔がゆがむ。


 先ほどの疑問の時も思ったが……何かがおかしい、今伝わっている情報が明らかに偏っている。


 魔術の基本であるはずの魔術円への妙な改ざん、伝わっていない変性術や占術、教わっている術もずいぶんと程度が低い。


 テンプスが気が付いていないのは――仕方がないだろう、彼からすれば魔術は敵だ、対処法を探りこそすれ、魔術の歴史に興味を持つことはあるまい、それよりもスカラーの研究に忙しかったことだろう。


『……調べてみるか……?』


 彼女の魔術師としての勘と彼女の中に眠る呪い由来の好奇心が同時に反応を示した。


 考え込むマギアの脇、テンプスは傍らのノワに声をかける。


「……場所はわからないんだよな。」


「ん……ごめんなさい。多分、流れる水で囲われた場所にいる。」


「流れる水……それだとわからない?」


「ん、のぞき見をする妖霊たちは流れる水の神聖を侵せないから探知できなくなる。」


「ふむ……?」


 あの部屋の見える範囲に水は流れていない、となると、かなり大規模な工事が必要なはずだ。


 床に熱を放射する機構を盛り込んで冬場を快適に乗り越える床というのは既に存在する――まあ、これも祖父が見つけた研究成果をパクられたのだが――であるなら、床に水の道を作り出す技術を持った建築技師がいてもおかしくはない。


「地下か……床下か……?」


 いずれにせよ、その規模の工事ともなれば確実に大事だったはず……


「建築……商工ギルドなら記録もあるか?……」


「ん、じゃあ次はそこですか。」


「そうね、影界通っていくか。あとは……」


「ん、犯人も捜さないと。」


「そっちは――たぶん、あの四人のうちの誰かだとは思うんだよな、でないとつじつまが合わない。」


「辻褄?」


「僕らがあの屋敷にいるとき襲われたろ、なんでだと思う?」


「そりゃ、あの人曰く誰かが――ああ、なるほど、『通報』ですか。」


 その一言にうなずくテンプスにノワとタリスが「?」を浮かべながら首をひねった。


「要は、『誰が何のために通報したのか』です、私たちは影界を通ってあの屋敷に侵入しました、あの状態の私たちを観測できる人間はこの時代にはいません、おそらく、転生者もそれは不可能でしょう。となると。」


 そう、だとするとおかしなことになる。


「では、一体どこの誰が通報などしたのか?あの場所は遺棄された屋敷です、貴族会の監視がいたとは思えない。なら、あの場所を監視していたのは「犯人」と考えるのが妥当です。では、なぜ今回の一件に関係のないあの屋敷を見張っていたのか。」


「……髪の毛?」


「だと思う、占術防御なんてするぐらいだ、占術に髪の毛が役立つことも知ってておかしくない。で、あの場所にステラ先輩の髪の毛が落ちてるのを知ってるのはあの当時あの屋敷に突っ込んできた連中――つまり、対策委員会と友人連中、あとは先生だけだ。」


 そして、彼女に不意打ちができるような技量があるのはあの友人たちだけだ。つまり、あの場所を監視しようと考える犯人一派の人間の中に、友人の中の誰かがいるのは確実だ。


「ただ、その割り出し方が思いつかん。」


「普通に考えると乗り込んできたあの人が妖しい気がしますけどね。」


「ただ、言ってた通り通報を受けてきた可能性は十分ある、決め打ちして、間違ってましたで逃げられるのは困る。」


 最低限、黒幕についての情報が欲しい。こんな真似何度もさせるわけにはいかない。


 さて、どうしたものかと沈黙するテンプスの耳を涼やかな声が打った。


「ん、そもそも、友達だとしたら何でさらってるの?」


「……そこなんだよな。」


 彼もそこは疑問だった。


 少なくとも、去年見た時、彼女たちの関係は悪くなかった。友人を売ることはないはずだ。


 何かあるのだ、明確な理由が、キャスに探させているが見つからない――探し出す必要がある。


「やること山盛りだな……」


「いつもの事でしょう。じゃあ犯人かステラさん諦めますか?」


「まさか。」


 鼻で笑う。それができるのならはなっから首など突っ込んでいない。


 諦めがつかないのならすべて救えばいい。そのための力はすでにもらい受けた。


「――後はこなすだけだ。」


 水の上で、映像が揺らいだ――ここからは彼の領分だ。

 

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