テンプス・グベルマーレの過誤
「――そもそも去年狙われたのはステラ先輩じゃないんだよ。」
脇にノワの魔術の燐光を浴びながら、遠い日を思い出すように語り始めたのはすでに過ぎ去った悲劇の残骸だ。
「ほう。違ったんですか。」
「うん、あの当時、対策委員会にはステラ先輩の一つ上の先輩がいたんだ。」
思い返すのは数度しか会ったことのない女生徒の姿だった。
「アプリヘンド特殊養成校尋問科:校則違反者対策委員会:会長ソムニ・ガルデニア、いい人だったよ、優しくて……ちょっと抜けてたけどな。尋問科の連中はみんな大なれ小なれあの人のことが好きだった……らしい。」
「ん、女の人?」
「そうだよ、ステラ先輩を拾った人だ。」
ちょうど四年前の事だったらしい。
当時一年であり、同時に対策委員会の生徒だった彼女が路地裏で見つけたのがステラだった。
一人で路地裏にいた彼女を見つけて保護して――それが、あの二人の始まりだったと、テンプスは聞いていた。
「行く当てがなかったステラ先輩をどうにかしてやろうとして、一年近く一緒に暮らしてたとかいう話も聞いたな。」
「ん、いい子なんだ、ね。」
「なかなか類を見ない人ではあったよ。」
そんな彼女がステラを入学させようとしたのはある意味当然のことだったのかもしれない。
彼女にとり、学園は問題はあったが同時に素晴らしい場所でもあったから。
「まあ、簡単でもなかったそうだが……」
ステラが入学できたのは翌年だった。彼女が方々を駆けまわり、必要な書類をそろえて、ステラは晴れて学園の生徒になった。
テンプスがマギアの偽装を見破ることができたのはそのためだ。学園の制度について詳しくなっていた。
「で、何か起きたと。」
「らしいが……詳しくは知らん。ただ、ステラ先輩の入った年に『何か』があったらしい。」
「何か?」
「わからん、調べられないんだよ、記録が一切消されてる。当時、僕は所用で実家の方にいたし、先生をふくめて誰も話したがらないから僕にもわからん。」
それは、あの学園の過ぎ去った悲劇であり、同時に、もしかすると今、降りかかってくる悲劇の証だった。
「先生から聞いてるのは、その時にステラ先輩が活躍して、その過程でアリエノール達と友人になったこと。そのせいで前任の顧問が消えたこと。そして――」
――二人の仲が微妙に溝が開いたこと。
その一言に、テンプスの目の前に座っているマギアが首をひねった。
「……なぜです?今の話で、ステラさんがその何とかセンパイに隔意を持つ理由がわかりませんが。」
「ステラ先輩はな、問題はソムニ先輩の方だった、君と一緒さ、自分のせいで学園の問題にステラ先輩を巻き込んだと思ってる。」
「……ああ、今の先輩と同じですか。」
「ああ、うん、そうね。」
苦笑交じりに認める。確かに自分も、彼女を巻き込んだことを気に病んでいる。
「で、そういう心境になった人間のやることは一つだ。無理をした。」
ジャックの一件の時、テンプスがマギアに頼らなかったように。オモルフォスの一件の後にマギアがひっそりと学園から消えようとしていたように。
無理だ無茶だとわかっていても、止められないことはあるのものだ。善良さが悪い方に向いた。
「責任を感じて、仕事の一人でこなそうとして……いろんなところに仲裁に入って、怪我をして――あるタイミングで取り返しがつかなくなった。」
「……体のどこかが欠損でもしましたか?」
「そこまではしてない――ただ、力を求めすぎた。」
薬を使っていたのだ――という。
「この国の法律では認可されてない薬だった。禁じてる国もある。」
それだけあって、効果は絶大だった。
傷を即座に直し、十人力の力を与え、鉄にもほど近い外皮を与えるその薬は間違いなく有用だった。
「先輩はそれが認可されてない薬だと『知らずに』使っていた。」
「そこは、違和感持ってもいいと思いますが。」
「まあ……割と抜けてる人だったから。それに――」
余裕がなかったのだろう。自分だけで何とかしなければならないと感じて、違和感を打ち消してしまったのだった。
「――それの供給先が財団だったと。」
「そうだ、誰も知らなかったけどな。必死にやりすぎて、薬を打ち過ぎた。体にガタが来て――」
倒れた。
その時ですら、周囲は無理が祟ったのだと考えていたらしい――忙しすぎたのだ。
ステラ入学時に起きた『何か』の後処理がこの時になっても終わっていなかった。尋問科は比喩ではなく死人が出かねないほどの忙しさだった。
アリエノールに曰く『外に出ている部分はともかく、内部的な部分ではあの頃よりも今の方が圧倒的にまし』とすら言われる時勢が、すべてを覆い隠していた。
だから、誰も彼女の変化に気づけなかった――気づいた時にはすでに手遅れだった。
倒れた彼女を見つけた生徒によって、彼女は病院に運ばれた――異常性がわかったのはそこでのことだ。
「薬の認可が下りてない理由は体への影響が大きいからだった、内臓に過剰なほどの負荷をかけるあの薬に、先輩の体は耐えられなかった。」
この町の病院は決して大きくはない、未認可の薬に対する知識もなかった。原因不明、だが、明確に弱っている体――異常事態だった。
「ほうぼう手を尽くしたけど無駄だった――当然だ、あれは『老衰』なんだから。治す方法なんかない。」
それが、薬の効能だった。
肉体の――細胞の力を過剰に引き出す『魔法』の薬。
そうそれは――
「財団が『不法に』占有してる魔法文明の遺物で作られてた。だが、一般の人間にそんなことはわからない。」
皆がどうにかしようとして失敗した、現代の技術では魔法文明の奇跡には届かない。
「そこに財団が横槍を入れてきた。」
我々なら救える。彼らはそう言って近づいてきたという。
原因になった薬について語り。その被害者を救う事業を行っていると語った。
「財団はあの人に援助をした――したふりをした。」
善良さの仮面を、彼女の友人たちは見破れなかった。相手が巨大な組織だったのも発覚を遅らせた。
「気づいた時には遅かった。ソムニ先輩は向かったとされた病院にあの人はいなかった。」
消えた彼女について問いただしても、財団は一言『思った以上に深刻な状況であったため本部に送った。』とだけ返したらしい。
「財団の狙いは先輩だった。」
恩師がそれに気づいたのはその時だ。どうにか手を出したかったが手立てがない。彼は善良な男だったが力がなかった。
「僕がかかわったのはその時だ。」
偶然だった、テンプスが恩師に論文の査読をお願いしに来た時に彼はその事実を知った。
「『君を助けてやれない私が頼めたことじゃないが』と言われた。」
彼にはその一言で十分だった。
「ソムニ先輩の立ち回り先を探り出して、売人を突き止め、寝床を探り当て、財団とのつながりを暴いて――あの屋敷の資料を奪った。」
その過程でチュアリーとやりあう羽目になったりもしたが……まあ、そこは些細なことだ。
証拠は十分だった、あとは国際法院に任せればいいというタイミングで――
「ステラ先輩が暴走した。」
ソムニの失踪を自分のせいだと考えた彼女は屋敷への襲撃を企てていた。
そんなことをしたら、ステラ先輩の将来がどうなるのかは明白だった。犯罪者として追われ――最悪、自分の父の出番だろうと。
「見つけたのは偶然だった。決行まで一日半しかなかった。止めて止まるはずもない、戦っても勝てないのはわかってたから――敵を逃がすしかなかった。」
財団との交渉はスムーズだった。デュオ家に比べて、彼らは大変物分かりがよかった。
「あいつらを逃がし終えたのはステラ先輩が来る三十分前だった。」
説得は無意味。敵の一派だと誤認され戦うほかなかった。
「戦って、負けて、死にかけて……それでもまあ、作戦がはまって、どうにか止まった。」
「そこまでやった割にあっさり止まりましたね、殺さないと止まれないような状況に聞こえますが。」
「まあ、実際そうだったと思うよ、ソムニ先輩が見つかっってなければ。」
だから、彼女は財団を追いかける理由がなくなった。
「先生にステラ先輩の襲撃計画を伝えて、僕が割り出したソムニ先輩の隠し場所の候補に突っ込んでもらった。」
かなり強引なやり口だった。あのせいで、恩師は学園を去ることになってしまったのだからもっとましな方法があっただろう。と今は思う。
「見つけたのは三か所目だった。情報が少なくてこれが限界だった。」
当時のテンプスに今ほどの精度の高い予知ができなかったのも問題だった。彼が確固たる事実だと思える予知は自分の――死だけだ。
「大急ぎで取って返して、僕が死ぬ直前で間に合った。」
それでもかなりぎりぎりだったが……何とかなった。
「ただ、まあ、無傷とはいかなかったが。」
それがもたらした余波は大きかった。
ステラの暴走は学園にとって不利益になる。財団の証拠を握っていたとしてもそれは変わらない。
対策委員会は一度解体され、特別に奉仕活動を義務付けられた―体のいい隷属だ。
恩師もまた、責任を取った。
当時、尋問科の顧問だった彼は一般生徒を使用しての行動をとがめられ、学園を去った。
テンプスには――何もなかった。
お咎めもない、が、褒章もない。
誰にも知られることのない活躍の結果、彼の手元に残ったのは死にかけの体だけだった。
「もっと前に気が付いてればどうにかできたかもしれない。もっとうまい手を考えてれば先生はまだ学園にいたかもしれない。」
そして何より――ソムニ・ガルデニアの事だ。彼女はもう、手の届かないところにいる。
それが一年前の顛末――テンプス・グベルマーレの過去の過誤だった。
「先輩は死んだ――」
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