すでに過ぎ去った追憶

『――ごめんなさい。逃げられた。』


「……そう。わかったわ。」


 眉間に皺が寄る。


 予想していたことではあるが、やはりあの男の技術は並外れている、まさかあのミュオ・ソティスをもってしても取り押さえられないとは。


『……ごめんなさい。チュアリーかアリエノールが来てれば捕まえられたのに。』


 そういって、沈んだ声を上げる友人に苦笑する。


 いつだってこの少女は自分に自信がない、自分だってある方ではないが……彼女は度を越している。


 彼女に捕まえられないのなら自分だって無理だったろう、特にあの建物を壊さずにあの男と渡り合えるのはこの少女だけだ。


 アリエノールは優しく声をかけた。


「平気よ、あのステラを捕まえた疑惑があるんだもの、あなたでも対処できないことは十分考えられるもの。後は追えそう?」


『……ごめんなさい、たぶん無理。逃げるとき、どうやったのかわからないけど影の中に入っていった。あの逃げ方だと、私じゃ追えない。』


「……」


 眉間のしわは深さを増している。


 明らかに尋常の技ではない。


 ――やっぱりスカラーの技術……――


 そう考えるのが妥当だ。


 通常の魔術では到底このような真似はできない、影の中に入る魔術などない。


 だから、彼女はこう考えるしかない。


『とりあえず、ここであの男が何をしてたのか、探ってみる。』


「ええ、お願い。それがわかればステラがどこにいるのかわかるかもしれない。」


『わかった。また場所がわかったら呼んで。』


 ガザッと、砂嵐が耳にでも入り込んだような耳障りな音を残して鈴なりの声の魔術が切れた。


 一瞬だけ、緊張する体を弛緩させ、椅子の背もたれに体を投げ出す。


 意味の分からぬ力に理由の分からぬ誘拐、これでさらわれているのが友人でなければ諦めてしまいたいぐらい意味が分からない。


「……ステラ……」


 友人の名前が口について出る。


 思い出すのは最後に彼女と交わした会話だ――他人に気をつけろなんてくだらない内容で別れるんじゃなかったと後悔が胸をひっかいた。


『大丈夫だって、これでも私結構強いし。』


「だめだったじゃないの……」


 思い返すのは去年の一幕だ。


 あの時は本当にどうしようもなかった、学園も頼れず、武力ではどうにもならない問題に直面した。


 友人を止めてしまえば、自分たちも世話になった先輩に危害が加わるあの状況を、彼女たちは対処できなかった。


 それを収めたのは――


『……テンプス・グベルマーレ。』


 脳裏に浮かぶのは最初にあったひょうひょうとした姿……と最後に見かけた時の死体なのか気絶した人間なのかわからないようなありさまでぐったりと地面に横たわる姿だった。


『……本当に彼がさらったのかしら……』


 だとしたら、去年あれほど必死に彼女を助けたわけは?


 あの時の彼は本当に死にかけていた。ステラが本気であわてて、救護を呼んだぐらいだ。


 本人は救護に来た人間に「もっと死にかけたことあるから……」などと苦笑いでのたまったらしいが、どんな人生ならそんなことになるのかさっぱり理解できない。


 誰の目から見てもあの時の彼は常人ではありえないことを成し遂げていた。正直――感謝している。


『でも……』


 


 それだけで、彼女にとっては疑うに足る理由になる。


 何せあの女も――かつても最初は善良に見えたのだから。


 あの力を持つ人間はどこかしら常人には理解できない判断基準で動く。


 それに、自分の耳に入ってきた噂によれば――


『……?』


 そういえば、あの噂はどこから入ってきたのだったか……?


 確か貴族会から――


 ジリリリリ!


 突然、鳴り響いた爆音にアリエノールの思考が切れた。


 見れば、鈴なりの声の魔術道具が震えている。テンプスの家を見張らせていた部隊からの報告だった。


『……いいわ、そんなことより――』


 早く友人を探そう。そう考えて、アリエノールは椅子に座りなおす――やはり、この役職はあっていないと思いながら。






「――ありがとうございます、妹の事、かばってくれて。」


 影の世界に足をふみいれたテンプスにマギアとタリスの二人は深々と頭を下げてそういった。


「んぁ?いいよ別に、誰でもやるだろあれぐらい。」


「だとしても、私がお礼を言わない理由にはなりませんよ。」


「そう、だよ?それに、危ない目にあってくれたらなら、感謝するのは当然。」


 そういって真剣な目を向けてくる二人にテンプスは居心地悪く身を縮めた――正直、あの程度の事でここまでかしこまられると困る。


「ん、兄さん。」


「ん?」


「――ありがとうございます。かばってもらえてうれしかった、です。」


 そういって、ノワが朗らかに笑った。


 家族以外に見せないやわらかい笑顔だった。


「――だから、怪我は私が治す。」


「へ?」


 だから油断した。


 気が付いた時にはすでにマギアとタリスが彼の両脇を抱えていた。


「い、いや、僕どこもけがしてな――」


「てい。」


 軽い掛け声、ノワの指がテンプスの脇腹――先ほど、砲弾の漂着した箇所に触れた。


「!!」


 かすかに触れた指先から走った苦痛の電流がテンプスの体を硬直させる。


 一見しただけではわからないが、彼の脇腹は間違いなくそんしょうしていた。


 骨にこそ変化はないが、筋肉が断裂し、内部の臓器から出血しかかっている――端的に言って重傷だった。


「ん、放置するとまずい。」


「ぁー……いや、ほら、怪我ならすぐ治せるから……」


「想念の戦士の力とやらですか?それで治せるのならすでに直しているでしょう。」


「……いや、治るよ?ただ、ちょっと時間かかるけど。」


 苦笑交じりに告げる。実際、治らないわけではない。


 縞模様の怪人が告げていたようにテンプスの新たな力には肉体を補強し、あるいは治すことができる作用がある。


 が、それをもってしても、今回の怪我は少々大きかったのだ。ノワの魔術で防ぐわけにはいかない、もし、それがばれれば、彼女はそれに対処してしまいかねなかった。


 常識外の魔術による奔流で彼女の処理を超えさせて、そのすきに逃げる計画だったあの一瞬には、驚きが必要だった。


 だから、新しい能力で受け止めることにしたのだが……完全に防ぎきれなかった。


「いや、でも、時間かければ治せるから。」


「じゃあ、ここでかけてもいい。」


「いや、でも、早く見つけないと……」


「いいから、黙って治療されなさい、こうなったノワは私でも止められませんよ。」


「でも――」


「デモもかかしもありません、黙って治療されて――ついでに話しなさい。あなた、何を隠してるんです?」


「!?」


 驚いたようにマギアを見る。予想外の一言だった。


「ずっと疑問だったんですよ。先輩?」


 顔をしかめたテンプスを見つめて、マギアは言葉をつづけた。


「最初から妙な話でした、対策委員会でしたか、あの不敬でうかつな一派から話を聞いた時からずっと話を進めている。可能性はほかにいくらでもあるのに。」


「それは……」


「性格?そうでしょう、私だって、あなたが突然弟を置いて色恋沙汰にでもは知ったら洗脳か魅了を疑います。ただ、普段のあなたなら、同時並行で彼女が消えた原因や犯人を探すでしょう、何が眠ってるかわかりませんからね。」


 そこが、違和感の始まりだ。彼の行動にしては手抜かりが多く感じた。


「なのにまるでその工程を省いてる。彼女の身柄を優先する、あなたらしいですけど、同時に妙です、あなたは事態を全部把握してから解決に動く人ですから。根本を解決する人でしょう、あなたは。」


 否定できない。今回彼は急いでいた。


「事態が把握できていないのに動いたのはあの時――私がさらわれた時だけですよ、。それで気づきました。あなたは私たちに話していないことがある。犯人はわかっていなくとも、彼女がどうなるのかや事件の原因はわかってる。でしょう?」


 テンプスがばつが悪そうに視線をそらした。図星だなと思った。


「だから急いでる、怪我をしても止まらない。一年前の事件とやらが関係してるんでしょう?何があったんです?」


「……たぶん、相手は彼女の中にある『秘蹟』を狙ってる。」


 観念したように、テンプスが口を開いた。


「『秘蹟』?何のことです?」


「――血だ。」


 言われて、ハタと思いつく。


 それは魔術と切り離せない領域、ある意味、自分達とも縁のある理論――


「――血統依存の魔術?」


「もっと悪い、『』だ。」


「!」


 以前、セレエに語ったことを聡明な読者諸兄は覚えていることだろう、基本的に魔力というものは人間がもとより持っているものではない。


 意思を変換し、その時初めて生み出されるものだ。人間はそれを使って、自分と魔術を隔てる壁を作る。


 では、人間の肉体という物の中で、魔力を唯一滞留させられる場所とはどこか?


 血だ。


 それだけは、魔力をある程度の期間保存し、蓄えることができる。


 だから、魔法使いの本は血で書かれることがあるのだ、魔力を残すために。


 そして、ある程度以上の魔力を受けた血液、もしくは魔力でできた生き物と交わって生まれた存在の血液は往々にして魔性を帯びる。


 セレエの妖眼もまた、そのたぐい存在の力によって肉体が変異した結果の代物だと目されて、研究されていたのをマギアは古い記憶として知っていた。


「つまり――彼女の肉体には古の魔力が宿っていると?」


「そうらしい……とびっきり位が高いそうだ、あの人だけじゃないけどな。」


「どういうことです?」


「――もう一人いたんだ、彼女クラスに位の高い血が。」


 それは、すでに過ぎ去った追憶だった。

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