私ごときにできるんだから、無茶じゃない

「んー……」


「使えそうか?」


「ん、問題ない。重要なのは先輩さんの一部だった事実。」


 埃にまみれた部屋の中心、その一角だけ完全に掃除された場所でノワが誇らしげにそういった。


「ならよかった、他に入れたけど使えませんはあほだしな。」


「ん、現物があるのならどうにでもする、ばっちぃけど。」


 そういいながら顔をしかめて髪の毛を魔術で浮かせるノワに苦笑する、先ほどまで一年物の埃の中にあったものだ、何が付いているかわかったものではない。


「ふむ……一回洗っときますか、ゴミのせいで遠見の精霊にへそを曲げられてもことですし。」


「ん、そのほうがいい。あと、私が触りたくない。」


「ん、ばっちぃから、ね。お皿これぐらいでいい?」


「ん、大丈夫、みんなで見られる大きさなら何でもいい。」


 きゃいきゃいと言いながら準備を進める家族をテンプスは手持無沙汰に見ながら、やはり自分も魔術の勉強をするべきだろうかと考えていた。


 学園で習う程度の魔術なら学問の一種として理解しているが、扱えない範囲の古い文献なんかは調べていない。


 スカラーが敵に回していた秘術について書かれた古い資料は持っているが……やはり限界はある。


 こと、神秘機構についてはこの世で五本……いや、三本の指に入る自負があるが魔術となるとてんでだめだ。


 魔女連中も高度な術をマギアほどではないが高度な術を使うのだ、やはり内実を知っておくべきかもしれない――あと、こういう時、蚊帳の外なのはやはりさみしかった。


 ばつが悪いのか、寂しさから目をそらそうとしていたのか、テンプスは視線を窓の外に向ける――日が頂点に達していた。一日が半分終わったんだなぁと、呆けたように考えていた。


 屋敷の奥まった位置にあるこの大広間は、数十人は入れるだろうこの家で最も大きな部屋だ、ステラの暴走を止められないと悟った少年が時間稼ぎになるだろうとここを選んだ。


 この果てが見えないような異様に広い中庭を一望できるこの部屋の大きな窓も、あの日以降掃除されていないのか水垢が目立つようになっている。


 テンプスの家と異なり、本当に汚れてしまったこの家があの一年前から時が止まってしまったことを示していた。


『……もし。』


 もし自分死んでしまったとしたら、あの家もこうなってしまうのだろうか。


 それはすごく悲しいことだと思った。


 祖父と過ごした時間もマギアたちと過ごした時間も決して長いわけではない、ないが――それでも、あの日々がなかったとになるわけではないし、なかったことにしてほしくはなかった。


『……僕が死んでからも使うかな。』


 魔術の準備を進める家族を眺める。


 嫌がるだろうか、あれほど蔑んだ相手の家に住むことなど。


 もし嫌でないならいっそ――遠い……遠かったいつかの事を考えながら、テンプスは窓の外に視線を戻す。


 窓の外は、普段と変わらぬ時間が流れ、日差しもいつもと変わらない。


 空の青さも、雲の形も――


 次の瞬間、テンプスの脳裏に危険を知らせる閃きが宿った。


 それは去年、ステラの友人が彼女を助けるために行った無茶、彼の目に映る風景が、風の流れが、家の中に流れる雰囲気が、あの時感じたものと同じ形を示している。


 脳裏に浮かんだ閃きが不確定な未来の暗雲を照らし、彼にパターンが示す未来を見せる。


 ――耳をつんざくような破壊音――

             ――はじけ飛ぶガラスの粒―― 

  ――飛び込んで来る影――


 予知に導かれる様に、意識するまでもなくテンプスの体が跳ねた。


「――マギア!影に潜れ!」


 魔術を行使するためだろう、ノワから離れていたマギアとタリスに向けて叫ぶ――今から魔力を変換して、ノワのところまで魔術を届かせるのは不可能だ。


 魔術の準備を進めるノワの体を飛びつき、そのまま抱えこんでテンプスの足が地面を強く蹴った。体が横向きに回転し、飛び散るガラスの破片の軌道から外れる。


 突然のことで驚いたノワの「のぇ?」という間の抜けた声は耳を壊すような轟音によってさえぎられて誰の耳にも届かない。


 埃にまみれた地面を転がりながら、テンプスはマギアの方に一瞬だけ視線を送る――そこには揺れる影の形跡だけがあった。


 テンプスの体が頭を上にして止まったとき、何かの影の侵入によって砕けた窓と破壊をなした『何か』が埃の上に着地し、まるで粉塵のように埃を巻き上げた。


「――ノワ、無事か?」


 下に目線を向ける、そこには珍しく縮こまったノワがいた。


「ぇ、ん、平気……でも髪の毛置いてきた。」


 その声に視線を前に向ける――水の張ったガラス製のボウルが相手の足元に置かれている、その水面には先ほどどうにか見つけ出した髪の毛が一つ。


「……取り返すさ。」


 軽く告げた、『この女』相手に可能かどうかは考慮しなかった。


 ガシャンガシャンと耳障りな音を立てる窓の残骸を見ながら、テンプスは粉塵の向こう側を見つめた。


「――ここに人がいるって聞いたから来てみたけど……やっぱり、おまえだった。ここに来るならお前しかいないと思ってたよ。」


 ガラスの刃を思わせる声が響いた。


「……チュアリーの次はあんたか……」


 声に苦々しいものが混ざる――できれば、今日一日会いたくはなかった相手だ。


「そう、私。だから、わかってるよね。」


 ユラリと、まるで亡霊のように粉塵の向こう側で影が屹立した。


 その背丈はテンプスよりもやや低く、しかしマギアの身長よりも高い、中性的に見えるその輪郭に、槍のように見える長大な何かを備えて彼女はここに現れた。


「去年ぶり……だっけ?」


「ああ、去年ぶりだ。」


「あの時もお前とはここで会ったっけ?」


「そうだな。あの時と一緒であんたはド派手に入ってくるな。」


「……そんなことないと思うけど……」


 会話をしながら、テンプスは彼女が去年行った無茶を思い出していた。


 この大窓は中庭に面しており、その果てははるかかなただ、周囲に高い建物もない。


 ではどのように窓を破って入ってきたのか?


 簡単なことだ。


 


 より厳密にはのだ。


 彼女の側近の一人である怪力の少女の剛腕によって、彼女は一間空の住人になる。


 去年も見た異様な無茶はしかし、去年も聞いた通り、彼女にとってはそれほど無茶でもないらしい。


「私ごときにできるんだから、無茶じゃない。」


 ユラリと幽鬼のように噴煙から現れたのは雪を固めたような容姿の少女だ。


 線は細く、マギアよりも肉付きが悪く見える。


 肌は一種病的なほど白く、見ているものを不安にさせるほど血の気が引いて見えた。


 髪は白い――というより、透明でその髪が肌の色を映して白く見えているようだった。


 どうやって体を保持しているのかわからない華奢な肉体は、しかし、それに不釣り合いな獲物とともに、テンプスの前に現れた。


「あの時は、かなり後悔したから。だから――」


 彼女は抱えていた獲物を握る――それは、身の丈ほどもある巨大なかぎ爪のようなもの……魔法銃だった。


「――もうあんなことにはならない。テンプス、お前にはステラの拉致容疑がかかってる。風紀に出頭しなきゃならない。そこの子も共犯の疑いがある、同行してもらうよ。」


 そういって、彼女――貴族会所属奉仕活動委員会委員長、ミュオ・ソティスはその長大な銃身を片手で支えてこちらに向けていた。


「――断る、と言ったら?」


 試すように言う。


 実際問題、ステラをさらった疑惑のある四人の中の一人が管理している部署に身柄を預けるわけにはいかない。


 そうでなくとも、アリエノールには好かれていないのだ。同行したい場所ではない。


「抵抗すると……去年より、ひどいけがをしてもらうことになる。」


「そうか、断る。」


「じゃあ、寝て。」


 ゴン!


 まるで岩を巨大なこぶしで殴りつけたような音が響き、砲身が火を吹いた。


 その一撃をすでに知っていたように、テンプスの腕は行動を終えている。


 腰に備え付けられたフェーズシフターは抜き放たれ、水晶の輝きを持つ刀身が相手の砲撃を縦一閃に切り捨てる。


 一年前に避けられたはずの戦いが始まった。

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