最初の手掛かり
「姉。」
「んー?なんです?」
「これ何?」
「んー?ああ、あれですよ、なんて言いましたか……ブラジャー?下着の一種だそうです。」
「さらしだ、ね?」
「ああ、ですです……デカサワタシトカワラナイナ.ヨシ……ありませんねぇ。」
「ん、ない。埃もたまってるし……だいぶ帰ってきてない。」
扉の向こうから聞こえる姦しい会話を、テンプスは何とも居心地の悪い心境で聞いていた。
額を掻きながらあたりを見渡す――広さはそれなりだが殺風景な部屋だった。
街中の決して治安がいいとは言えない一角、そこにひっそりとあるごく安値の家がステラ・レプスの家だった。
過去に住人が消えたのだったか死んだのだったかでひどく安くなっていたこの家は、経緯の関係かひどく安値で、だからこそ、彼女はここを拠点にしていた。
「まー私そういうの気にしないからねぇ。」
そういってへにゃりと力の抜けた笑顔で笑う彼女にこの家を教えられて早一年だ。
テンプス達がここについたのは30分ほど前のことだ。
影界を潜り抜け、鍵も扉も無視して部屋に侵入した彼らは早々に魔術を行使するために必要な材料――彼女の体の一部の捜索に入った。
どのようなものがいいのか。と、魔術師姉妹に尋ねてみれば。
「髪の毛……あたりが一番入手しやすいですかね、人間、基本的に抜け毛は常に起きてますし。」
「ん、できるだけ大きいのでないと難しい、相手の防御に気づかれないようにするとなるとなおさら。」
との返答が返ってきた。
と、なれば自然、探る場所の最有力の候補は彼女の最も無防備な場所――寝室ということになる。
さて、漁るか……と、部屋のノブに手をかけたテンプスを静止したのはマギアの右手だった。
「待ちなさい、なにしてるんですかあなた。」
「へっ?」
「ここ、女子の寝室ですよ、男子が入っていいはずがないでしょう。」
「いや、調べるだけ……」
「だとしてもです、あなた一人しかいないのならともかく、ここには私たちがいるんですから、私たちに任せなさい。」
とのことで、彼はそれほど広くないリビングを捜索することになった。
とはいえ、彼は――あるいはマギアたちも――この場所に痕跡が存在しないことはすでに気が付いていた。
あきらかに、ここに帰宅した形跡がないのだ。
一見するとわからないが部屋には明らかに埃が堆積していたし、生活臭がしない。
食事をしたにおいや、あるいは何かをこぼしたシミ、そういったものがない。
おそらく、魔術の道具で清掃だけはしているのだろう。『ひとりでに清掃する箒』をフラルとアネモスの実家が売り出していることをテンプスは知っていた。
ここに人が踏み入っていないことは明白だった。
それでも、彼らがこの家を探しているのは何かしらの手掛かりがないのか、という希望的観測からだ。
魔術の道具での掃除は画一的な物であり、掃除できない部分というものが明確に存在している。そういった部分に落ちている彼女の一部をマギアたちは探している。
そしてテンプスはというと――
「――起きろ、
瞬間、眼鏡のレンズが銀灰色に染まり、ガラスのごとき透過率から一瞬で金属の輝きを宿した。
彼が体調不良になる以前から作っていたこれ――『
自身の目に完璧に合わせたレンズを自ら削り出し、オーラに適合するための特別な溶液に浸し、ゴミからくみ上げた光波を発する装置にかけてパターンを仕込んだ。
レンズを支える筐体を冷たい鉄――ここにはマギアの協力があった――とパターンで作り上げたこの眼鏡は、真実テンプスの第三の目にである。
あらゆるものの流れを見るテンプスの視界では映らぬもの……霊体やもっと細かい粒子の動きを可視化する機能を有するこの眼鏡であれば、彼は過去を覗き見ることすら可能とするはずだった。
「
銀灰色のレンズが、再び不可解な力の働きで瞬間的に透過性を取り戻す。
そのレンズの色はどこか緑がかっている。
次の瞬間彼の視界に映ったのは、この部屋で起こされた磁性体の動きだった。
テンプスの扱うオーラ――精神磁場は精神界と物質界が接触する際に物質界側にもたらされる力の流れだ。
その性質上、テンプスのほどの力ではないが人間は大なり小なりその磁界を有する。
ターシャス・オキュラスはそれを増幅し、過去の磁性体の動きをレンズの上に表現して見せたのだ。
彼の視界に色のないステラ・レプスが現れる――その姿はひどく薄い。
それは、この磁性体がひどく昔のものであることを示している、その薄さから考えると――
『一月以上前か?』
今ターシャス・オキュラスは最も新しい磁性体を再現しているはず。だとすれば、彼女は一月以上前からこの部屋に帰っていないことになる。
彼女の動きを追う、いつものようにがっくりと肩を落とし疲れた様子で腰をたたき――いくつだこの娘――ながら疲れたように椅子に体を投げ出してぐったりと動かない。
じっくり一分、その様子を眺めていたが動き出す様子はない、寝ては――いないようだが、動く気配がない。
「……相変わらず動かないときはとことん動かんなこの人。」
口をへの字にして、テンプスはその椅子に近づく、埃のたまった背もたれ、明らかに使用されている様子はない。
「この分だと帰ってないなこいつ。」
と、なると、テンプスには彼女の立ち回り先はわからない。
ならばと部屋を漁ってみたが、髪の毛のようなものはなかった。
空振りに終わった調査が、テンプスの脳に焦燥感を生み出す。焦りから、彼は再びあたりを見回した。
昨年の一件以降、この家には来ていない――もっと言えば、彼女たちの接触も行っていない。それが彼の決めた秘匿を守るための策だった。
それさえあれば必ず彼女が守れると思っていたわけではない、ないが……それでも、これは想定外だ。
この一件を知った時から感じていた無力感が背筋を伝った。
テンプスの能力は使い方さえ誤らなければ大抵の問題を事前に片付けられるかもしれないものだ。
むろん、太古のスカラーと同じことができるとは思っていないが、もっと有効に使えるのではないかという疑念が頭から離れない。
「……至らんなぁ。」
つくづく自分は兄のようにはならない、あの男ときたら適当で人格が破綻しているというのにどんなこともしれっとこなしてしまう。
『あいつなら魔女ももう全滅してるか?』
いやな予想だ、そんなことはないと思う理性とあり絵うかもしれないと考える経験則がせめぎあって、精神が軋――
「――先輩、どうしました?」
「んぁ?」
掛けられた声に思考が浮上する。
見れば、寝室から出てきたらしいマギアたちがこちらを見つめている。その目に宿るのは心配と怪訝さだ。
「ああ、いや、なんも見つからんかったなと、そっちは?」
ごまかすように告げる、だませたかは――不明だ。
「お目当てのものは見つかりませんね、なんか変な箒が掃除してますし、ゴミと一緒に捨てられたんでしょう。」
肩をすくめるマギアにテンプスは渋い顔を見せた。
こうなってくると、彼に予測できるパターンには彼が避けたいルートしかない。
秘匿を破るのは問題だが、それしか選択肢がないのなら――
「ただし、こんなものは見つけました。」
「んぇ?」
言いながら、脇から差し出されたのは何かの手帳だ。
それなりにきれいに使われているようだが、同時に年季も入っているように見えるそれは、テンプスも見たことがない。
「これは?」
「ステラさんの手帳――だと思いますよ。多分、使い切ったので放置されたんでしょう、最後まで書き込みがありました。日付は一月前。」
「ふむ……みたの?」
「ええ、まあ、無事に帰ってきたらお叱りも受けますよ。」
「……そうね。それがいいか。」
言いながら、彼は手帳を開く、最初の手掛かりだ。無視する理由はなかった。
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