激情と安心
「――ごめんなさい!」
美しいドレスのまま、少女が目の前の友人に向けてひざまずいて頭を下げる――俗にいう土下座の姿勢だった。
「……いいから、顔を上げて。人に見られたら困るから。」
「許してくれる?」
「ええ、あなたに情報が洩れればこうなることぐらい考慮しておくべきだった。」
「それ、だいぶ私の事あほだと思ってない?」
「いいえ?誠実な人だと思ってる。」
「え、ほんと?やった!」
先ほどまでの沈んだ顔はどこへやら、途端に喜色に満ちる友人の顔を見て少女――アリエノールは安堵した。
彼女はああいった顔よりもこの手の顔の方が似合う。
「でも、次からはグラディアと二人で来なさい。あの男は危険だから。心配した。」
「うん、わかった。」
そういって神妙な顔つきになる友人を見つめながら、アリエノールは先ほどまで男――テンプスが存在したらしき場所を見る。
チュアリーが作り上げたクレーターの中、人一人が構えをとれる程度の広さの地面に、確かに靴跡がある。
学園指定の靴――男物だ。
テンプスの靴と同じサイズのその靴は、確かに彼のものなのだろう。
チュアリー曰く、突然の閃光――おそらくは彼にどうこうしていたというマギア・カレンダかその妹の仕業だ――に目がくらんで、次に目を開けた時にはもう誰もいなかったという。
彼女が閃光で視界を完全にもう失していたのはわずか十秒。それ以降は目の痛みに耐えながら視界はあった。
となれば、相手はその十秒の間に、視界が通らない場所に逃げたことになる。この、建物もない直線が500mは続く場所でだ。
それは魔術を持たぬテンプスには不可能だ。
何かの魔術で逃げることもできないだろう、彼の体質は有益な効果ですら不利益に変えてしまう。
それこそ、不利益にならないほど魔力を制御できる魔術師でもない限り、彼の体は変質をきたしてしまう。
そして、そんな魔術師はいない。であるなら、彼が行ったのは一つ。
『スカラーの技術による逃走。』
そう考えるべきだ。
そして、この消える能力によってあの男は事件の最有力容疑者に格上げなった。
消えた翌日から今日に至る調査でステラをさらった人間は誰にも見つかることなく彼女をさらっている。少なくともこの数日の調査でそう判断せざる終えない秘匿性を持っていることは明らかだ。
生徒会総員152名による町中への聞き込みと校内の監視、そして魔術による調査――といっても、マギアのように占術の扱えぬ学生にできる範囲でのことだが――はすべて空振りだ。
そこに来て、現行の魔術ではとてもではないが扱えない不可視の移動を行う人間。
それも、あの女と同じ太古の英知を持つ人間が相手だ、これは間違いないと思っていい。
「だから気をつけてって言ったのに。」
ぽつりと、鋭い目つきとは裏腹に気弱な声が漏れる。
以前あの女が行った行為を考えると彼女の友人の無事は絶望的に思えた。
あの日、あの女の『研究室』で見た資料を思い出す。
円筒形の筒の中に安置され、死体なのか生きているのかもわからない数々の人々。
紙面に踊るおぞましい実験の内容。
友人の名前の横に書かれた『処置』の文字――
「……!」
首を二度振る。
いらぬ思考に脅かされている場合ではない、早く友人を見つけ出さなければ……
再び鋭さを増したまなざしの向こうで夜の闇がすべてのものを溶かすようにわだかまっていた。
そこまで考えて、ふと、この少女を迎えに来た原因になったことを思い出して尋ねてみた。
「そういえば、あなたどこであの男が妖しいと?私、この件についてあの男の関与は話してないわよ。」
「んー?貴族会の子が言ってたんだよ、去年も疑われてたし、ステラちゃんの事捕まえられそうなのあいつだけじゃん?」
「……まあ、そうね。」
その言葉に、かすかな引っ掛かりを覚えたが言葉の内容は否定できない。
「さ、帰りましょう。この道とあの男の家は風紀に監視させる、あの男が町に出たらわかるようにしておくから。」
「あ、うん。ふふふー一緒に帰るの久々じゃん?」
「……そうね、最近忙しかったし。」
「ステラちゃん助けたらさ、あの子のおごりでどっか行こうね。ご飯とか!」
「……いいけど、またまずかったからって暴れないでね?」
「保証はできないかな!」
姦しい会話を残して歩く二人の後ろ姿は間違いなく友人のそれだった。
何やら瞼の上がまぶしい。
闇の中でそう思ったマギアはゆっくりと瞼を開いた。
「――お?おきた?」
開いた視界の先で待ち受けていたのはいつものように萎れたいぬのような顔をした自身の先輩だった。
はて、と、首をかしげる。何かがおかしい気がした。
回らない頭で一瞬考えて、彼女は答えにたどり着いた。
「……わたしのへやでなにしてるんです?」
「あー……寝ぼけてるな。」
いまだに起き切っていないしたが、回転数悪く語りかけた言葉にテンプスは苦笑しながら答えを返す。
「一つ言っておくが、ここは僕の部屋だ、君の部屋はあっち。」
「……?」
再び首が傾く。
テンプスのへや、それは結構なことだ、あの部屋にはいられるのは困る。見られたくないものがあるのだ。
それはいいのだが――なぜ自分は彼の弾力のある膝を枕にして、彼のベットを占拠しているのだろうか?
「……本気で疲れてたんだねぇ。君、昨日帰ってきて飯食ったら急に座った眼で「寝ます、膝を貸せ」とか言い出して、僕の膝に頭の乗せて寝だしたんだよ。」
「……!?」
後輩の顔が驚愕に染まる――鎧を見せた時よりも驚いているように見えるのは気のせいだろうか?
一方のマギアも驚いていた、頭が眠りの泥を跳ねのけて、記憶を復元し始めた、言った記憶がある。
昨日は本当に疲れていたのだ、朝方妹に対抗してなれない訓練に体を使って参加したのがよくなかった。
昼もなんやかんやと妹とじゃれあい、放課後は試験対策教師だった。
で、最後が影界への侵入だ、難しい術でも困難な魔術でもないがそれでも久々の別次元への侵入は多少なりとも体力を削った。
テンプスを抱えて逃がしたのは単なる偶然だ、引き寄せようとしたら彼が飛び込んできたので受け止めた。
受け止めたら――思ったよりも暖かくて居心地がよかった。
剣術部の時にも抱え上げられたがやはり広くて居心地がいい。
だものでついつい適当な理由で居座ったわけだが――彼の背中で、彼の心音を聞いているうちに、気が付いたら半分ぐらい寝ていたのだ。
空腹から食事はした、その記憶もある。が、その時点で半分ぐらい寝ていた。
そして、食事が終わったとき、眠気が頂点に達した。
そこで、彼女の精神は何を思ったのか先ほどの背中を思い出し膝を借りればがっつり眠れるのでは?という謎の発想を行ったのである。
断言してもいい、普段なら絶対にやらない、やらないが――あの時はこの世で最高の思い付きだと思ってやったのだ。
「で、ノワも「私も寝る。」とか言い出して膝の上に載ってきて……で、おかぁ……君のお母さんが「ん、今日は家族で寝よう、ね。」とか言い出してな。」
目に浮かぶようだった、困惑する彼と押し切ろうとする母、いつものことだ。
「僕ごと君らの事なんかの魔術で浮かせ始めたんだよ、で、なんか知らんけど僕の部屋に連れてきて、布団に僕の子と置いたと思ったら抱えてそのまま寝たのよね、で……」
「いまと。」
「うん。」
「……すいません、いろいろと。」
小さくなって謝る――いつものことながら、素っ頓狂なことをする母だ。常人にはついていけない。
「いいよ別に、この前ぶっ倒れた時に君もしてくれたろ。」
「む……」
そういえば、やったな。と思い返す。
あの時は縞模様の化け物のせいで色々と台無しだったが……思えば、あれもずいぶん思い切ったものだ。
「ま、まあ、先輩がいいっていうなら、いいですよね。ええ。」
その一言で自分を納得させる。でないと、相手の顔が見れそうになかった。
「あー……それ、また何か作るんですか?」
露骨な話題変更だった。
指し示す指の先にはキャスを作ったものと同じ四角い水晶のような物体がある。
「というかもう作った後だ、キャスだけだと手が足りんかもしれんから作った、人造生物二匹め。」
「ほう、どんな奴です?」
「鳥。空飛べた方がいいかと思ってな。」
「ふむ、便利そうな……名前は?」
「トリ……」
「ルフにしましょう。」
「……」
「……」
「トリー……」
「ルフです。」
「……」
「ルフです。」
決然とした態度だった。
「……いいじゃないか、トリー、わかりやすいし。」
「ルフです、決定。」
不満そうなテンプスをしり目にマギアは一つ伸びをした。
結構な朝だ、悪くない目覚めだし体の疲れも取れた。
これほど深く眠ったのは久しぶり――
「――ん?」
そこまで考えて、ふとある事実に思い至る。
「どした?」
「ああ、いえ、別に……」
誰何の声に言葉を逃がす、大したことではない、ただ、そういえば、昨日は一度も悪夢で起きなかったなと思っただけだ。
彼の心音や体に流れる血液の流れを聞いていると自然と眠って、そのままだ。夢すら見ずに熟睡していた。
「……」
ボケっと、自分の手を見つめる。
いつになく深く眠った体はまだどこかけだるい。
理由の分からぬ現象にマギアは首をひねった――生まれなおして初めて感じたそれの名が、安心だと気が付くのはもう少し後の話だった。
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