いつだって、物事は計画通りにはいかない

 明るい闇で世界ができていた。


 矛盾した言葉ではあったが、テンプスにはその光景がそうとしか形容できないのだ。


 目の前に移るものの配置も形もありようも変わらない、ただそれらすべてが『闇』でできているだけだ。


 道も建物も道の上に転がる石すら、すべてが固化した闇とでもいうべきもので構成されたその世界には色がない。


 まるで色というものが死に絶えて黒の濃淡だけで表現されるかのようになった世界においてテンプスとマギアたちは数少ない色を持つものだった。


 通常、夜や闇というものは基本的にあらゆる輪郭を溶かし、元の造形を隠すものだ。


 だが、目の前にある闇はそうではない。


 それ自体が光を放つかのように明確に形を持ち、どこに何があるのか明確に区別できる。


 まさしく明るい闇だった。


 色もなく、壊れてしまったようなありさまの空間でテンプスは珍しく動揺していた。


「――……どこここ。」


 ぽつりと口について出た言葉を後ろで抱き着いていた後輩の耳が拾った。


「ふっふっふ、さすがの先輩も驚きましたか、今のちんけな手品師どもではここに入ることなどできませんからね!」


 自慢げな声が響く――確かに、こんな領域の発見を伝える論文や論説を見聞きした記憶はない。


「ここは影界、影の領域。アストラル界の一種であり、扱いとしては精神界や幽鬼界に近い領域ですよ。」


 言われて驚く、すなわちそれは――


「――ってことは何か?次元跳躍したと?」


 それは、現代の魔術師たちが夢にまで見る未決問題の一つだ。


 現代の――少なくともここ500年の魔術師たちの夢の一つに『アストラル界の発見と確認』があるのは魔術に関して門外漢のテンプスですら知っている常識といってもいい。


 あの学園でも何人かの天才児はそういった問題に挑戦し、そして、夢破れたと聞く。


 そんな夢を、彼女は当たり前のことのように実行したというのだから驚きだった。


「ええ、まあ、所詮は隣接次元ですからね。ちょっとわたるぐらいなら昔の魔術師はそれなりにできましたよ。空間転移は太古魔法文明が封じたせいでほぼほぼ不可能ですが、次元移動は封じられてませんから。」


「……僕の体に影響なしで?」


「この程度の魔術の魔力も操作できないのなら天上界でなんて暮らせませんよ、あなたの体についての調べも進んでますし、別次元まで飛ぶならともかく、この程度なら影響など出ません。」


「割と汎用してるのこれ?」


「ええ、これ、移動するときに便利なんですよ、住めませんけど。じゃなきゃ、一日でアマノさんの故郷のあたりまで行って帰ってこられないでしょう?」


「……しれっとすごいことするね君。」


 もはや乾いた笑いしか出ない、自分などよりよほどイカレタことをしている気がする。もしや魔女連中は皆こんななのだろうか?


 だとしたら、今までよく勝てたものだ……


 内心で苦虫をかみつぶしているテンプスはふと、あることに気が付く。


「ノワたちは?」


「ん、嗚呼、そこにいますよ。」


 後ろから指し示すために伸ばされた腕の先で、見知った二人が何やら固まって顔を突き合わせている。


「……何してんのあれ、密談?」


「ん、まあ、それもしてるかとは思いますが……単純に隣接している次元の様子を見てるんでしょう、影界から物質界は触れませんが見えますから。」


「ほう……」


 感嘆の声を上げて歩き出す、驚くべきことにことのほか近しい場所なのだなぁと感心しながら二人に合流する。


「ん、兄さんお疲れ様。」


「かっこよかった、ね。」


「あい、お疲れ様です。」


 こちらに向けて言葉をかける二人に返事を返し隣接次元の様子とやらを眺める。


 そこには陽炎のようにゆがむ空間と先ほどまで自分がいた場所から見える物質界の景色が映っていた。


 そこに映るのは色のある世界――物質界の光景だった。


 目を押さえてふるえて丸まっているチュアリーをなだめるように何者かが彼女の背をなでていた。


 マギアと同じ程度の背丈の少女はまるで雲のように豊な髪をしていた。


「あれは……」


「ん、さっき、兄さんがこっちの次元に来たすぐ後に空から降りてきた。風の魔術じゃない、浮遊の魔術だと思う。」


「浮遊?そんな魔術、今の時代で使える魔術師いるんですか?」


「……いるかどうかは知らん、が、彼女は空を飛べる。去年見た。」

 思い返すのは去年見かけた彼女の姿だ、背中からは根を生やす謎の技術で彼女は空を飛んだ。


「おや、知合いですか?」


 背中からかかる声にテンプスがうなずく。


「風紀委員長、アリエノール・フォーブス。さっき僕を追っかけてた生徒会とためを張る二大勢力のトップ。」


「ほう、あれが。」


 興味深げにマギアがテンプスの肩越しに視線を向ける。


 その先ではアリエノールがチュアリーをなだめている風景が見えた――声は聞こえない。


「音は届かんのか。」


「さすがにそこまでは、次元が違いますからね、今の景色だって、私がつなげた次元の流れから見えてるだけですよ。」


「ほぉん?」


 要するに、水の入った桶に穴をあけて流れに逆らって桶の中に侵入したようなものだろうか。


 穴をふさがれるまでは景色が見えるが、流れに邪魔されて音は入ってこられない。


 そんなことを考えながら、テンプスは顔をしかめる。


「……あの人まで出てきてると結構まずいな。」


「なぜです?そんな強いんですか?」


「君以外だとたぶん彼女かステラ先輩が学園で一番強い……上に、なぜか知らんが僕のことが嫌いだ。あの人まで動いているとなると何されるかわからん。」


 去年の事例を考えると危険だった。痛めつけられはしなくとも強制拘束ぐらいはされそうだ。


「また、ずいぶんと……なんで嫌われてるんです?こっぴどくふりでもしましたか。」


 心底不思議そうな一言に苦笑しながら答える。


「んなわけなかろう、ぼくに惚れるやつなどおらん。」


「……まあ、そこには諸説あると思いますが。じゃあなんなんです?」


「わからん……が、これで余計早く見つけなきゃならん、転生者がらみだとあの人でもどうなるのかわからん。幸い明日から週末休みだから二日あるし……ただ、こうなってくるとどうにか占術とやらで位置の特定がしたい。防衛術とやらは破れないのか?」


「できはしますが……あの手の魔術を使ってるのなら占術に対する探知もやってる可能性があるんですよね。それだとまずいかもしれません。」


「ん、位置を探す呪文は強いからすぐばれる。」


「……あー……」


 声が漏れた、思考するまでもなく、マギアの危惧は理解できた。


「なら、さっきの一発もやばいか?」


「そうでもないと思いますよ。さっきの一発で相手はこちらが自分と同程度の技量だと認識したはず、であるのなら、さらってまで手に入れた相手を無碍にはしないでしょう、警戒は強くなるでしょうが。」


 ただ、と前置きする。


「問題は術で相手の防御をぶち抜いた時です。相手はこちらが上手だと気づく、そうなれば逃れたい相手にとってステラさんは邪魔者以外の何物でもありません、探知されますからね。」


 だとすれば、犯人の行うことは一つだ。


「放棄するか……消すか。」


「相手の目的が彼女の何かはわかりませんが、死体でも構わないとなれば相手も容赦しないでしょう、そうでなくとも後生大事に連れ歩きはしないと思いますよ、ひも付きですからね。」


 そうなれば相手はどうするのかは想像に難くない。


 殺されずとも五体満足で帰れるかは不明だ。


「ばれないように探知できないのか?」


「できる。ただ、準備がいるからやっぱりステラさんとの縁がいる、私会ったことないし。」


 使用者自らの申告。おそらく、それ以外に選択肢がないのだろう。となれば――


「……となると、とりあえず漁る先はステラの家か?」


「場所がわかるのならそこでしょうね。知ってます?」


「去年と変わってなければ。」


 言いながら、内心で顔をしかめる。


 脳裏に浮かぶパターン群はほとんどの場合でここで成果がないことを示している……いるが……低確率でもここに賭けたかった。もしだめなら――


『――最悪、に会うしかない。』


 内心で毒ずく、あの日、二度と会わないと誓ったこと思い出す……自分が過去に行った秘匿を自分が破る羽目になるのはできれば避けたかった。


 とはいえ、これしか選択肢がないのだ。過去の自分に殴られるかもしれないが、そこは甘んじて受けよう。


 いつだって、物事は計画通りにはいかないものだ。


「ところでさ。」


「はい?」


「いつまで張り付いてんの?」


「……次元越境で疲れたんです。おんぶしててくださいよ。軽いものでしょう。」


「……姉、さっき割と簡単って言ってた。」


「……ま、いいじゃないですか。さ、それより早く帰りましょう、おなかすきました。」

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