ある少女の暴走
「――えいや。」
気の抜けるかわいらしい掛け声とともに放たれた華奢な体がもたらす結果は決して愛らしいものではなかった。
振り下ろされる異様な脚力によるかかとの一撃が地面に埋まる、爆発にも等しいだけの粉塵が周囲に散る。
交戦開始から30秒足らずだというのに郊外へ続く道はすっかりっ様変わりしていた。
地面には無残なクレータが散逸しており、車輪を持つ馬車はおろか、人の足ですら歩くのが困難なありさまになっている。
攻撃の衝撃ではじかれたように足を動かす、脇に飛びのき、飛び散る石片を服で防ぐ。
靴底を削りながら滑り込んだ先で、相手の次の動きはすでに始まっている。
爆発的な脚力ですでに接敵している相手の大振りすぎるテレフォンパンチ。
しかし、腕の速度が速すぎる、ほとんど瞬間移動に等しい高加速による一撃は余波だけで肌を切り裂く。
首を動かしての寸前回避、頬の皮膚が裂け、血が走った。
体の見た目に決してそぐわぬ異様な膂力。
その力の源こそが、神聖魔術。ノワも扱うこの世でない場所やこの世ならざる者たちの力を呼び出す力。
学園でも数少ない魔術を扱う数少ない人間のうちの一人。
その中でも彼女はかなり特異な人間だ。
信仰による神聖術での強化。
テンプスは知りえぬ彼女の膂力の秘密は、ある分野においてノワにすら行えない秘跡に近しい技術だった。
あの細腕には力などない。あの威力は秘跡による筋力の過剰強化からくるものだ。
〈祈祷〉〈秘跡の武装〉〈神聖の力〉〈庇護〉
それぞれの神聖魔術が祈祷文すらなく発動し、彼女を覆う。その結果が彼女の剛拳だ。
庇護の魔術により物理的な影響から守られ、祈祷の魔術により超自然的な戦闘能力を得る、秘跡の武装と神聖の力の効果が彼女の拳を剣や魔術の武器にも匹敵する武装に変える。
「モーあんま抵抗されると服汚れちゃんじゃん、黙って殴られるか話してくんない?」
「冗談言えよ……埃一つついてねぇだろ」
苦笑交じりに投げを打つ。
腰に腕を回し相手の腰を自分の腰を密着させて相手をぐるりと回転させる――柔道で言えば大腰と呼ばれるだろうその技は以前何かの大道芸か何かで見た技の模倣だ。
彼女の軽い体がひらりと羽のように宙を舞い、そのまま足から着地する。
〈猫の身のこなし〉というその魔術もまた神聖魔術の一種だ、高所から落ちる人間に掛けるその魔術は猫のような身のこなしと落下に対する耐性を与えることができる。
正体は知らなかったが、魔力の流れを見てテンプスはその事実に気が付いていた。
あたりまえのように連続発動される魔術に顔をしかめながらテンプスは距離をとる。
フェーズシフターは使えない、そこまでやれば向こうも武器を抜く、使えば殺し合い――いまは違うのかって?わからん――だ。
そこまでやるつもりはおそらくお互いにない、驚くべきことではあるが、あれで彼女は手加減しているのだ。
テンプスの目には彼女の動揺の身体反応のパターンがわかった、去年もそうだったがあれは友人の危機に焦っているだけだ、何とか説得したい、したいが――
『できそうにねえな。』
どうにもこの娘とは折り合いが悪い。去年争ったときも彼女は自分がステラとその先輩の一件にかかわり、かつ何かしらのよろしくない部分にからんでいると想定して襲ってきた。
別に悪い娘というわけではない――というか、むしろ善良な娘だ、善良すぎるぐらいに。
だから、本来祈祷文が必要なはずの祈祷を唱えることもなく術が使える。心から善の領域に祈祷を行えるのだ、祈祷文なしでもその心が魔術として成立するぐらいに。
それはノワにすらできないことだ、彼女は生い立ちの関係からそこまで善が絶対的だとおもえなくなっている。
術師としてノワに勝てずとも、この連続使用速度は間違いなくチュアリーに与えられた天稟の才だった。
が、善良すぎるのが玉にきずだった。
彼女の周りにいる貴族連中は、魑魅魍魎跋扈する貴族社会という伏魔殿の魔物だ、その連中の悪意に彼女自身が全く対応できていない。
彼女は周りの人間の示唆をあまりにも直球に受け取る、あいつは悪いやつですよと言われると信じてしまう。
そのくせ、一度こうと決めると意見を変えない頑固さがある、友人にでも諭されないと動きを止めない。
結果がこれだ、何につけても疑ってしまうテンプスとは根本的に相性が悪い。
ただ、テンプスは信じてしまうこと自体は理解できないが、それが悪いことだとは思わない。
だまされる方に問題がないとは言わないが、いつだって責任はだます方が重い。
ゆえに、彼女を傷つけようとは思わない。
思わないが――
『きちんと拳闘の訓練も積んでない僕には……!』
素手での戦闘は厳しい。
受け止め、かわし、反撃はできるが同時に決定打が足りない。
ここにきて、彼の器用さが欠点になった。
彼は大体の肉体的問題を知性による補助で補っている。
どうすれば早く動くのかを最適化し、どう筋肉を使えば筋肉の機能を最大化できるのか割り出し、その通りに筋肉の繊維一本一本を操るような正確さで体を操っている。
精神界に広がる知性の庭である大図書院はその司令塔だ、つい一週間前にどうにかこうにか平穏を取り戻したあの領域には彼の記憶した動きのすべてがある。
まるで動きを体が覚えているように、意識的に体を動かす。それを行えるだけの知性と肉体を隷属させうる精神の強さがその異様な戦闘スタイルを成立させていた。
しかし、それはどこまで行っても付け焼刃だ、真実、動きを体が覚えているわけではないし、本来訓練で得られるはずの筋肉的な性質を得られるわけでもない。
それが、事態を難しくしていた。
彼女の庇護の魔術の防御をぶち抜く技が彼の記憶にないのだ、剣技ならば覚えもあるが拳技となるとてんでわからない。
そもそも、拳法など行っている人間に心当たりがない、学園にもほとんどいない。根本、人間は武器を持った方が強いのだ。
唯一剣技の延長である組打ちはそれなりにできるが――〈猫の身のこなし〉のせいでまともに効きゃしない。
とすれば、酸欠による失神でも狙うしかないが……庇護の魔術のせいで首も絞められない。
高度な魔術師というのは大体こうだ。マギアも物理防御のせいでこうなるらしい、オモルフォスの注射器は防御をぶち浮く特別製だったらしいと後で聞いた。
とはいえ、無理に勝つ必要はない。勝たなければならない理由もない。
勝てないのなら――
〈――先輩。〉
そう考えるテンプスの感覚器に、真後ろで行われていた準備の終わりを告げるマギアの合図が響いた。
アラネアを通しての接触、その意味は明白だった。
「――
響いたのはよく知っているが少し違う、後輩の妹の声だ。
テンプスは目をふさぎ、真後ろに跳んだ。
次の瞬間、突然世界を昼が襲った。
瞬間的に太陽が現れたような閃光が世界を支配し、夜の闇になれたチュアリーの目を焼く。
瞼越しにすら痛みを感じるほどの閃光を引きずりながら後ろに跳んだテンプスの体を小さな熱が包んだ。
「お待たせしました。」
「一分も待ってないよ。」
背後から抱える人間に苦笑交じりの一言、頼りになる後輩だった。言いながら、彼らの体が風景に溶けた。
抱きとめられたテンプスはその体をマギアにゆだねた。何をするにせよ、彼女を倒せないのなら逃げるのが最良だ。
体が空気に沈む感覚。
光が消えた時、その場に残ったのは「ぬわぁー!」と目を押さえて暴れる少女と暗闇だけだった。
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