テンプスの知らないことと背後の影
『――弱った。』
裂ぱくの気合とともに押し出される訓練用の槍の穂先を半身になって交わしながら、テンプスは悩んでいた。
それはテンプスの感じたことのない悩みだった、彼の頭を悩ませる数少ない問題。
『……人に勉強教えるって何したらいいんだ……?』
そう、彼は人に勉強を教えた経験がない。
マギアにスカラーのことを伝えたことはある。
サンケイに剣術を教えていたこともある……あるが……
『勉強……勉強……まともにやってないから何を教えていいのかわからん……』
これが、なんだかんだ頭のいいフラルだの頭はいいネブラだのと言った連中ならまだいいのだが……相手が一般人であるドミネだ。何をどう教えればいいのかわからない。
『資料とか、作った方がいいんだろうか……マギア相手だとなんも選でもいいし……サンケイに勉強は教えたことないし……』
どこを教えればいいのかはわかる。
何を教えておくべきかもわかる。
だが――どう教えていいのかがわからない。
彼は人に勉学を習ったのは祖父に対してだけだ。スカラーの知恵、技、精神、そういったものを習った。
あれでいいのだろうか?
首をひねりながら対戦相手の差し入れてきた刺突を剣で払う――瞬間、脳裏に宿る見たことのない光景。
見えるはずのない背中の風景、広い範囲に走る麻痺の魔術、からめとられる自分。
いつものパターン。だが逃れるすべがない。
手の内に在るのはフェーズシフターではなく訓練用の木剣だ、これで魔術は切れない。
いつもの光景、いつもの展開――違うのはテンプスが想念の戦士の力を得たことだけだ。
真後ろの攻撃をかわせないと悟ると、テンプスの肉体は即座に反応した。
魔術と同じタイミングで放たれるだろう刺突を頭から消す。
足元の石を踏むように蹴り上げて自分の右方に跳ね上げる。
右手に持った木剣が閃き、空中に滞空した小石を打ち据える。
高速で打ち出された小石が生徒たちの待機場所――すなわち、魔術で狙っている生徒の体に的中する。
「イテッ」と声を漏らした生徒の声をしり目にテンプスが前に動く。
魔術を待っていた生徒の動きが鈍る――当然だろう、彼からすれば、テンプスがまだ動いていることが緊急事態なのだ。
それでも、一年学んできただけはあるのだろう、とっさに槍を前に突き出して、距離を取ろうと小細工をした。
その動きに、テンプスがすでに反応しているとも知らずに。
槍が突き出された時、すでにテンプスの体は槍の軌道からかすかに左にずれている。
柄を両手で握り、下手を順手、上手を逆手に持ったその剣に槍を滑らせるように切り上げる。
跳ね上げられた槍が空中をさまよう間に、剣が空中でくるりと回転し、槍を腕と挟んだ。
気が付いて相手が槍を引こうとするが、すでに遅い、引ききるよりも早く一歩を踏み出したテンプスの体が相手を攻撃半径にとらえた。
相手の喉に向けて腕がしなり、柄頭を打ちこんだ。
ごりゅ、っと、人体から聞きたくない音と何かをつぶしたような不快な感触がテンプスの手に伝わる。
かすかに顔をしかめながら、テンプスは体を戻す――残心のつもりだったが、必要はなかったらしい。
白目をむいて倒れ伏す相手を眺めながらテンプスは内心で作る資料はどんなものがいいのか考えていた。
「――そんなわけで、魔法帝国は大体、二万年前に勃興しただろうっていうのがスカラーの遺跡から出てきた文献からわかってる最古の記録だ。ここから魔法文明、ひいては今の魔術文明の礎ができたってことになる。」
大図書院の一角、放課後の暮れていく夕日の中でテンプスは心底自分に向かないことをしているなぁと感じながら教鞭をとっていた。
結局、彼の中で渦を巻く不安は払拭できないまま、彼は大図書院で教鞭をとることになってしまった。
彼自身、この学園の教員と、祖父から習い覚えた教え方でやっとのことで授業のようなものを行っていた。
「えーっと……魔法帝国の勃興は20000年前……魔術文明の基礎……」
授業中にこそこそと作った資料を眺めながら聞いたことを必死にメモしている少女――ドミネを見ながら、自分のやっていることがそれほど間違っていないことを確認しながら胸をなでおろしていた。
「ん……それだと、スカラーはもっと前にあったってこと?」
その傍らでメモを取るでもなく話を聞いていた白銀の少女――ノワが口をはさんだ。
「ああ、うん、滅んだのが約二千年前、できたのが大体その二万年前だろってところまではわかってるかな。」
言いながら、彼の脳裏に祖父と二人でスカラーの言語を読めるように必死に読み解いた日々がよみがえる。
テンプスが場所を割り出し、祖父が取りに行く一連の流れの中で彼らが見つけたいくつもの事実は歴史的にはかなり価値のある発見もあったのだ――最も、それが世間に認められることもなかったが。
「じゃあ、スカラーの方が二千歳年上?でも、授業だと習ってない。」
首をひねりながら、学園指定の教科書を眺める、そこに踊る文字にスカラーの文字はない。
それも無理からぬことだ、テンプスは笑いながら肯定する。
「まあ、仕方ないさ。学校じゃほとんどやらんしな。」
「なんで?」
首ひねる見慣れない後輩の姿に違和感を感じながら、テンプスは以前祖父が自分に答えのと同じ答えを告げた。
「興味がないんだよ、大多数にとって価値があるのは魔術だ、眉唾のガラクタには興味がないのさ。」
そういって肩をすくめる。変えようのない事実だった。
「でも、兄さんの技術はスカラーの。」
「まあ、そうね。」
「じゃあガラクタじゃない。」
「まあ……そうね。」
「みんなダメダメ。」
そういって肩をすくめる彼女に苦笑しながら、もう一人の生徒の進捗を見つめる。
「……話、早かったか?」
「へぇ?あ、全然平気です!わかりやすくていいですよ!テンプスさん先生やりません?」
「それは無理かな……」
苦笑交じりに告げる、学園もテンプスを雇いはするまい。彼は根本的に被差別対象なのだ。
「えー?いいと思うんだけど……ねぇ、ノワちゃん。」
「ん、兄さんはいつもえらい。」
「えらいはここで使い誉め言葉じゃねぇんじゃねぇかな……」
「何言ってんです、優しいしえらいですよ、あー……ほんとに」
言葉を区切って、首が左方向に向いた。その視線の先にあるのは――
「あっちじゃなくてよかったー……」
「――いいですか、魔術とは魔法から分岐した技術。つまり、詠唱というのは《発動に必要な儀式》です、ゆえに魔術師は基本、どんな状況でも呪文を口にします。メモ!」
「はい!」
「わかった!」
そういって、叱られた子供のように背筋をピンと伸ばしたのはセレエと――不可思議なことにフラルだった。
何やら呪文の詠唱の関することでマギアの逆鱗に触れたらしいフラルが、まるで借りてきた猫のように首根っこをつかまれて連れられてきて早一時間。
悲しいかな頭は悪くないはずなのだが知識の追い付かぬせいでほとんどの教科に不安の残るセレエと二人、すっかり委縮しながらノートにペンを走らせる姿は一回生の成績上位七人に入っていることを忘れそうになるありさまだった。
いつものやる気のなさを感じさせない熱量のマギアに気おされた二人はまるで鞭で打たれる奴隷のようにペンを走らせている。
「……マギア、いい子なんだけど、魔術になると性格変わるよね……」
「姉は基本ああ、好きなことになると暴走しがち。」
「――つまり、呪文学というのは呪文の冗長な部分や不必要な部分を削り、いかに効率的にできるかという重要な学問です!一文節減らすことに成功すれば歴史に名が残ります!さらに、呪文学が完璧にできれば『呪文』という音声的要素を別の儀式要素で構成された儀式で代用できるようになるんで――」
へなへなになっている二人の少女を遠巻きに見詰めて二人の少女が合掌する――正直、テンプスも同じ感想だった。
「――今日はありがとうございました!もらった資料でどうにか期末考査乗り切ります!」
「アイアイ、頑張ってな。」
大図書院の入口、夕暮れに照らされた廊下でドミネとテンプスは別れた。
まだ、利用時間は余っていたのだが、ジャックの一件があってからというもの門限がひどく厳しくなったらしいドミネの事情から、彼らの勉強会はここで終了となった。
役に立ったかと聞いてみれば、返された一言は彼にとってうれしものだった、ひたすら悩んだかいがあろうものだ。
他人に礼を言われる自分の人生では珍しいイベントを終えて、自分の仕事に満足しながら、テンプスは固まった体を伸ばして――
「――動かないで。」
ささやくような小さな声に、動きを止めた。
自身の真後ろ、息のかかる距離にいる何者かが、背中に硬質なものを押し付けている。
テンプスはその硬質の物体が魔術の発動体であることがありありとわかった。
「ずいぶんなご挨拶だな……てっきり僕のファンかと思ってたが。この感じだと違うらしいな。」
冗談交じりに言いながら、相手の気配を探る――知っている気配だ。
それがだれかはわからないが、何者かはわかっている。
今朝がたから自分を付け回している人間だ、朝感じた気配と同じ存在。
それが、とうとう動いたらしい。
「黙りなさい、あんたに質問するのはこっちよ。」
鋭い一言、強い意志を感じる。
声のトーンから女。張りから考えて若い――たぶん、自分の一つ下だ。
はて、一回生に何かされるようなことがあったか?と首をひねるテンプスをしり目に、後ろの少女は強く詰問する。
「答えなさい――ステラ先輩をどこにやったの!」
その一言に、テンプスの目線が細くなる――どうやら、思っていたよりも事態は深刻そうだった。
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