残った疑問と安らかな時間

「――以上が今日ここで起きたことのすべてです。」


 そう、猫が言った。


 つい一時間前に男が人生を変えてしまったことなどなかったかのように静かな理事長室で、テンプスはことのあらましを相手に伝える。今日、彼が行うべき最後の仕事だ。


 ザッコを制圧してから一時間、彼はすでに国の騎士に引き渡されている。


 すでに、国際法印からの通達を受けていたらしい騎士たちはザッコの身柄を丹念に拘束し、国際法印に引き渡すと誓いを立てた。


 その事実を伝えられた女性は数度うなずいて見せる。


「――結構、引き渡しは滞りないということですね。」


 そういって、先ほどまでマギアの居た席に座った女性――理事長が最後に一度、大仰にうなずく。


 ここで、聡明な諸兄は疑問に思うかもしれない。


 テンプスはザッコと相対した際、理事長はここにいないと告げたはずではなかったのか?と


 答えは単純だった、テンプスはザッコに一つ、嘘をついたのだ。


 理事長はこの学園内にいた、初めて遭遇した日にテンプスが倒れたあの小さな小部屋で、この一連事件が終わるのを待っていたにすぎない。


 はじめ、テンプスの計画で今日一日、学園を開けてもらう予定だったのだが……理事長はこれを拒否した。


「やらねばならない仕事もありますし、この件が終わった後の始末はあなたたちだけでは難しいでしょう。」


 そういって、彼女は折衷案として、ほとんど誰にも知られていないあの不可解な部屋に潜っていたのだ。


 理事長の言葉に同意しながら、テンプスはこの女性について計りかねていた。


 自分が死ぬ前日――セレエをザッコに引き合わせると同時に接触を図ったこの女はひどくあっさりとテンプスの言うことを信じて見せた。


「了解しました、あなたがそういうのであれば信じるに値するでしょう。」


 そういって、至極あっさりと数々の手配をすませた――まるで、最初から知っていたかのようにあっさりと。


「……?なんです?」


 まじまじと眺める猫に瞳に、こちらを見ながら首をひねる女の姿が映る。


「ああ、いえ……僕の死亡記事は?」


「撤回の号外はすでに配られています、明日からは登校していただいて結構です。」


「どうも。」


 手回しのいい行動にオーラアライザーの前で苦笑する。


 おそらく、前もって行われていたのだろう、自分たちがこの話っを持ってきていた時点で即座に報道と広報に情報を伝えているのだ。


「これで、あなたの実績も、エリクシーズと並びましたね。」


 ぽつり、と理事長がつぶやいた。


 人では聞き取れないかもしれない声をキャスの優れた聴覚が拾う――そこで、テンプスは自分の考えていたいくつかの想定のうち一つが当たっていたことに気が付いた。


 のだという想定。


 こう考えればこの女が、あの不必要な入学やテンプスの装備に関する噂を放置していた理由もわかる。


 だ。それも


 だから噂を放置し、犯人を泳がせた。事件を大きくするために。


 テンプスへの殺人も、この女からすれば渡りに船だったのだ。ことが大きくなればなった分だけ


 そうすることでテンプスに重大事件を解決した実績を与えたかったのだ。公認チームにふさわしい人間であると思わせるために。


 数か月前のジャックの一件では不十分だと彼女は考えた。


 あの一件で、テンプスは彼の罪を暴いた――が、それはマギアの魔術制約を介してのことだ。


 魔術制約抜きなら、彼はジャックをとらえられなかったし、あの魔術制約自体、何か不貞なたくらみがあったのではないかという疑惑がある。


 少なくとも生徒の中にはそう見る人間もいる――用務員の計画に利用された小結の彼女のように。


 転じて、サンケイ達はそうそうたる経歴だ。


 公認チームではないが、エリクシーズとして幾度か騎士やら警邏の仕事に協力し、事件を解決した実績もある。


 マギアは鳴り物入りの編入生だ。魔術分野に関する貢献は学園のだれにも負けないと断言できるし、剣術部相手に同級生を守り抜いた魔術の腕は称賛に値する。


 ノワたちはまだ未知数だが、同時にテッラやマギアの身内であり、こちらも鳴り物入りの編入生、肯定できる要素は乏しいが否定するに足る根拠はもっとない。


 テンプスだけなのだ、人員に物言いがつきかねないのは。


 その煩わしい声を、理事長は嫌った。


 払拭する必要があった、自分が作り上げた最高の傑作を壊されないために、そのためにおあつらえ向きの舞台だったのだ。この事件は。


 今頃号外にはテンプスの活躍が躍っていることだろう。彼女の思惑通り。


「さて、今日は疲れたことでしょう。もう下がって構いませんよ。」


 そういって、女が顔を下げる――どうやらこちらに意識を割くのをやめたらしい。


 ペコリ、と猫が頭を下げる。厄介な一件の終わりは、思ったよりもずっとあっけなかった。











「――お疲れ様です、いい性格してますねぇ、あの女。」


「ん、まあ、とりあえず、うまいこと行ったならいいよ。」


 テンプスの自室、またしても鎖で簀巻きにされたテンプスは自身の新たな僕である黒猫に自宅への帰還を命じながら傍らの少女に返事をした。


「甘いですねぇ……今回、あの女にいいように使われたんですよ?もうちょっと怒ってもいいでしょう。」


「そうは言うけど、あの人便乗しただけだしな、別に悪いことしたわけでもない。何もしなかっただけだ。」


「……それが問題なんじゃないですか?」


「そうは言うけどな、あの学園で『何かしてくれた人』なんて一人だけだぞ。」


 そういって、テンプスは脳裏に浮かぶ禿頭を思い返す――髪の毛がないことが魔力につながると信じて剃っていた彼の頭はまだ日の光に輝いているのだろうか。


「……あの学園、ほんとにどうしようもないですね。」


 吐き捨てるようにマギアが言った。


 実際、彼女からすればこの学園のいいところなど数えるほどもない。テンプスの存在と……


「全員が悪いわけじゃないさ……ま、疑問はあるが終わったんだからいいよ。」


「疑問……ああ、大図書院での襲撃ですか。」


 言いながらマギアの眉間にしわが寄った。確かに、この件において唯一の謎だった。


「そうだ――なんであいつ、?」


 それが唯一の疑問だ。


 あの日、大図書院での襲撃を計画したのはザッコだ。だが……その計画はいったいどのようにして建てられたのだ?


「ドリンの話では、先輩のことは知らないって話でしたし。覗いた記憶でも先輩のことはほとんどわかってませんでした。ザッコのおこしたこの事件もげーむとやらにはないようですし……」


 ゆえに、いべんと、とやらの知識で先回りはできない。


 顧問と接触があるのは『テンプス・グベルマーレ』だ。『主人公』とかいう名前も知らぬだれかではない。


「誰かが教えてるはずなんだ、僕と顧問が会うこと。そのうえであの職員会議のタイミングで襲撃してきたってことになる。」


「誰かが伝えてることは確実でしょうね。」


「と、考えるほうが妥当だ。知ってた人間は限られてくるはずだ、先回りできる人間……」


「あの大図書院の司書か――あの理事長とか?大図書院の襲撃は明らかに大事でしたよ。」


「……ありえなくはないけどなぁ……」


 違和感がある――自分の実績作りのために、貴重な書物をつぶしかねないまねをするだろうか?


 あの大図書院はこの学園の目玉の一つだ。自分の実績作りのためだけに損なうにはあまりにも影響がでかい。


「……やっぱりなんか変だな。」


「ですねぇ……」


 違和感がある――一体だれが、自分たちの行動を先回りできた?


 もう一人可能性があるが……利点がない。


 しばし、二人は黙考する、しかし、結論が出ないことはわかっていた。


 まだ、情報がそろっていない。テンプスの未来予測も、情報が足りなければ精度が落ちる。


「――まあ、とりあえず一件落着したし、いいさ。」


 諦めたように、テンプスが告げる。


 調べるにせよ、今わかることではない。


「ふむ……では――」


 そういって、マギアはおもむろにテンプスの体の鎖をほどき、わきにのけてあったローテーブルをベットの上に渡した。


「――ノワとお母さんが返ってくる前に、明日の掃除当番をきめようじゃないですか。」


 それはここ四日に新たに増えたこの家の新たな慣例だった。


 暇していたらしいマギアが挑戦とばかりに挑んできたのが始まりだった。


「1人の大人と2人の子供が岸にいて、ボートが1艘ある。ボートには、大人は1人だけが乗れ、子供は1人または2人が乗れる。全員が川を渡るにはどうすればよいか?」


 それをサクッと解いてからというもの、彼女はテンプスの家での家事を変わるのを条件に彼女はしょっちゅう、彼に挑んでくるようになった。


「明日から学校行くんだけど。」


「帰ってきてからすればいいでしょう、それよりも、私としては負けっぱなしというのは我慢なりません。」


 そういって眉を吊り上げる後輩をテンプスはほほえましく眺めた。


「いいよ、やろうか。」


 優しく微笑むテンプスは、ふと、祖父が死んでから、ここまで穏やかに過ごしたことはなかったなと思っていた。

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