献身の護符

「――だから!ここはゲームでもアニメでもないかもしれないんだって!」


 早朝の森に悲鳴のような絶叫が響いた。


 放ったのは白皙の美少年――サンケイ・グベルマーレだ。


 普段の彼からは信じられないほど焦った様子で、彼は対面の男を静止していた。


「はっ、何をふざけたことを……そんなことあるわけないだろ!見ればわかるだろ!ここはどう見たってゲームの世界そのままだ!」


 対する相手も引くつもりがないのだろう抗するようにそう叫んだ。


「じゃあ、なんで、あり得ない挙動のNpcがいるんだよ!テンプスにあんな装備も力もないんだろう!?」


「そりゃ、バグだって!お前が弟なんかに転生しちまったから……」


「それ以外にもいろいろあるだろ!あの魔女たちも知らないの力があったんだろ!?キャラだって同じ動きをしてるわけじゃない!そもそも、なんで原作の主人公がいないんだよ!おかしいだろ!?」


「ここが俺たちのために用意された箱庭だからだろ!?」


 そこまで聞いて、内心で歯噛みした――ここまで話が通じない連中だっただろうか?


 顔をしかめながら、サンケイはやはりやめておけばよかったかと内心で後悔し始めていた。


 やはり、コミュ障の陰キャオタクに他人を説得するなど無理な話だったのだと。


 悩みぬいて特殊商人のイベントエリアなる場所の座標を聞いた彼は前日のうちに特殊商人との接触を果たそうとしていた。


 所定の場所に行き、所定の魔術を使った。


 だが、なぜだか特殊商人は現れなかった。


 数時間、そうして商人を待ったが、結局現れず、結果的に先日は振り出しに終わった。


 そこでやめておけばよかったのだが――彼の中で渦巻く、昔の自分がささやいたのだ。


 『ここで引いたら、テンプスは死んでしまうのではないか?』と。


 そう考えたら、体が勝手に動いていた。


 そして今日、先日掛けた『探知』の魔術――マギアから習った便利な代物だ――に人が引っ掛かったことに気が付き、跳ねるように部屋を飛び出してここまで来た。


 何ができるのかも、何をする気なのかもわからなかったが、そうするしかなかった。


 息せき切ってここまで来て――こいつに会った。


 ドリン・ゾロコフ。


 自分と同じ転生者で、あの婚姻騒乱の際にマゼンタとともにアマノを狙っていたうちの一人だ。


「――あん?なんだよ、お前か。お前も商品ほしさで来たのか?悪いけど今日はもう店じまいらしいぜ。」


 そういってくる彼にその道具で何をするのかと問いかける。


「何ってお前――あの、クソモブをぶっ殺す手伝いだろ?」


 あっけらかんと、そういわれた。


「あの雑魚、結局失敗してやがる、まだやる気らしいけど、信用ならねぇからな。ここらで一発俺も名乗りを上げよと思ったのさ。」


 そういって、手の中にある「二週目限定アイテム」をもてあそびながら、彼はつづけた。


「そうだ、お前も手伝えよ、これでマギアを味方につければあの雑魚だってすぐに殺せるだろ。だから――」


 そういわれて、とっさに思いのたけが口について出た。


「ここは、俺たちが知ってるゲームの中ではないかもしれない。」と。


 彼は当然、反論して――今こうなっている。


「大体、いきなり何言いだしてんだよ!お前だって、あのクソモブがうっとおしいって言ってただろうが!いきなり博愛主義か!?下らねぇ!」


 そういわれて、さらに気分が落ち込む。確かにそうだからだ。


 オモルフォスに連絡し、兄を排除しようとしたことは記憶に新しいし、テッラのことを死んでもいいと思っていたのはつい先日のことだ。


 だから、自分に何か言う資格はないのかもしれない。

 ただ――無視できなかった。


「お前にその度胸がねぇってんなら俺が勝手にやる、あのクソモブを……テンプスをぶっ殺しt――」


「――おや、ずいぶんと楽しそうな話ですね。私も混ぜてくださいよ。」


 そんな、軽やかで耳聞こえのいい声とともに輝く鎖が現れて、彼らを縛り上げた。


「――!?」


 驚いたように双方の視線が声の方向に走る、そこにいたのは――


「ごきげんよう、ひどい朝ですね――まさか、鎖に降られるとは。」


 そういって、花も恥じらうように微笑む銀灰色の少女――マギアは薄暗い森であっても美しかった。


「な、んで――」


 声が詰まった。


 見られたくなかった――マギアと兄には特に。


「なぜ、ですか。方法を答えるのならば、あなたを追ってきました。昨日から、ある人に追わせていたんですよ。」


 テッラには感謝していた、まさか夜を徹して監視を続けているとは思っていなかったからだ。


「なぜあなたをという意味なら……そこに関しては誤っておきます、てっきりこの件に一枚かんでいると思ったんですが――」


 言葉を切った彼女の視線が、傍らの男に向いた。


「――まさか、別の獲物がかかるとは。」


 目が細まる、明確に敵意を感じる視線が鎖につるし上げられたドリンに向いた。


 そこで、ハタと気が付いた。まずい。


「――マギア、見るな!聞くな!」


 サンケイが叫んだ、自分でも驚くほど必死だった。


 その声に、マギアが反応するより早く、リンの腕が動いた。


「――『マギア、プレゼントだよ。』」


 そういって、手に持っていたを相手に向ける。


 それは睡蓮の花だった。


 七色に輝くそれは美しいようにも妖しいようにも見えた。


 日の光とは異なる何かが発する怪しい光が、マギアの心をからめとり、彼女の属するものを変えようと襲い掛かっている。


 その光景を、サンケイは絶望的な気分で見ていた。


 彼が持っている道具――変遷の護符は所属を変えてしまう。


 相手を自分のチームに強引に引き入れるその道具は、二週目において即座に最強のパーティーを作る際に用いられるお楽しみアイテムのようなものだ。


 その効果は絶大で、贈り物が送れる相手なら、加入条件をすっ飛ばしてチームに参加させられる。


 ゲームについて知らないサンケイも、これについては知っていた。


 この道具さえあればテンプスからマギアを奪い返せると豪語していた同郷人を見ていたからだ。


 あの花を受け取ってしまえば終わりだ。


 マギアはあの男の指示を聞き、兄を殺すだろう。


 不思議とマギアが他人のチームに入る――相手のものになることに嫌悪感はなかった。


 それよりも、兄が死んでしまうことのほうに焦りを感じていた。


 何とかしなければと体をよじるも、動けない――鎖が頑丈すぎる。


 これもまた、見たことのない魔術だった。


 もがいているさなかにも状況は変わっていった。


 その睡蓮の光に導かれるように、マギアの手が伸びる。


 それを受け取ってしまえばおしまいだった――だが、止めるすべがない。


 受け取る瞬間はとても見られなかった。


 顔を背けて、目を強く閉じた。


「――やった!やったぞ!手に取った!」


 耳障りな声が、自分の勝利に酔った声を上げて――


「これでもう、マギアは俺のもn――ヴぅぅぅるるぅぅぅぅるぅぅっぁああぁぁぁぁぁっぁ!」


 絶叫が響いた。


 驚いて顔を上げる――そこには世にも恐ろしい光景が広がっていた。


 先ほどまでと同じように地面に抜つけられたドリンを中心に描かれた電熱の円陣が彼に向けて高電圧、高電流の茨を放っている。


 筋肉が収縮し、鎖を引きちぎろうともがいているが、鎖はびくともしない。


 体が月を描くように弓なりにしなり、背骨がミシミシと音を立てていた。じきに折れるだろう。


 死のキケオス円陣――貞淑の魔術の罰則が一は今日も好調に罪人をさばいていた。


 サンケイは、その光栄を驚きとともに見ていた。


 何が起きたのだ?誰かが邪魔をしたのか?


 脳裏に疑問が渦を巻く彼の耳に鈴鵜が転がるような声が響いた。


「――ああ、《献身の護符》ですか。またずいぶんとややこしいものを……」


 視線を向ければ、そこにはひどく不快なものを見るように目を細めるマギアの姿がある。


「あなたが何を期待してこんながらくたを私に向けたのかは知りませんが、この道具であなたの期待する効果は得られませんよ。この手の認知変更は私には効きませんし、時間に干渉するわけでもない、こんなものちゃちなおもちゃでしかありません。」


 心底どうでもよさそうに、少女が手の内にある睡蓮の花を眺める。


 つくづく気に入らない、何もかもに価値を感じない。


 多すぎる花弁、大きさ、何よりも下品な色だ――魔術の鎖で首元にたれ下げた水晶の花とは比べるべくもない。


לשבור את זה壊れろ


 いらだちのあまり、気が付いたら、古い古い言葉を使い、魔術よりも古い力を呼び起こして砕いていた。


 粉々に――言葉通りに――砕けた破片を乱雑にぶちまけながら、マギアは口を三日月のように広げて笑った。


「――さて、次は私の番でいいですね。」


 そういった彼女は、人食いの魔女のように見えた。

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