ある弟の決心、もしくはある男の言えないこと。

 彼は迷っていた。


 あの日、地下闘技場で感じた疑問の答えがわからなくて。


 彼にはわからなかった。


 今まで正しいと思っていたことが本当に正しいのか。


 彼は困り果てていた――自分の身の置き場を。


『この世界が本当にNightfallの世界でないとして……』


 だとしたら、自分はいったいどうするべきなのだろう。


 一人、中庭で座り込む彼はまるで足元すら見えない霧の只中にいるようだった。


『五里霧中ってか……』


 乾いた笑いが漏れる。


 あの連中が、何を狙っているのか、彼はもうわかっている。


 聞いたから――ではなく、自分ならどうするか考えればいい。


 自分の兄が危険なところまで行ったのに、生き残っているのはマギアたちがいるからだ。


 そして、マギアたちを超える能力を今の段階で持ち合わせている者はいない。


 だが『マギアが彼を殺す』のなら目はあるのだ。


『変遷の護符』


 厳かな響きのするその道具は『相手の所属を強制的に変更することができる』道具だ。


 『贈答品枠』と呼ばれる、特殊な枠のアイテム。


 贈り物として渡すと特殊な効果を発揮する器物だ。


 例えば、味方にならないものを自分のパーティに入れてしまえる道具。


 相手のパーティーからメンバーを無理からパーティに入れてしまえる道具。


 ――マギアを、彼らの仲間にしてしまえる道具。


 もしそうなれば自分の兄は――テンプスは殺されるだろう。


 ほかならぬマギアが殺す――その可能性は十分にある。


『……止める……』


 べきなのだろうか?


 まだ、この世界が本当にゲームでないと決まったわけではない。


 そんな状況で、自分は以前の世界とのつながりを完全に断つことになるかもしれない。


 そんな決断を、してもいいのだろうか?


 すべては自分の勘違いで、もしかすると、この世界は自分が思っている通りに、自分たちを活躍させるための……


『――ほんとに?』


 脳裏に、この世界に来る前の自分の声が響いた。


 本当に、この世界は自分の思うものではないのか?


 確かに、この世界は自分が知るものに似ている。


 が、すでにこの世界は自分が知るものとはかけ離れた未来を描いている。


 テンプスはこんな活躍はしない。できない――そのはずだ。


 なのに、今、彼は、自分の兄は活躍している。


 絶望の淵にいたマギアを救い、彼女の家族を救った。


 自分の友人の未来を助けたのも彼だ。


 そんなことができる人間が……果たして本当に自分の知るモブなのだろうか?


『もし違ったら――』


 違ったら?


 違ったら――


『もし君が『何か』を恐れてるなら――』


 そういった、兄の顔を思い出す。


 今よりもずっと、笑顔が多い、屈託のない子供の顔。


 あの兄に自分をかばって食って掛かる背中。


 剣技を習っているときの真剣な様子。


 一度、色眼鏡が外れてしまえば彼にはもう、ここが自分たちの活躍のための舞台にはとても思えなくなっていた。


 あれが、あの顔が……死ぬのか?自分が何もしないから?


 ――無理だ、無視できない。


『……昨日、一応、確認しておいた場所に来る……って言ったよな……』


 一応、行ってみよう。


 もし何かあれば、そこで決めればいい。


 消極的ではあるが、彼はそう決めた。







「何もありませんでしたねー」


「なかったね。」


 どこか飽きたように頭の上に顎を乗せたマギアの声に賛同する。


 襲撃の翌日はつつがなく終わった。


 つつがなさ過ぎたといってもいい。


「反応があるなら今日中に襲うかと思いましたけどね。」


「僕が怪我してるうちに襲ってくると思ったが……」


 そう、今日、彼らは何の問題もなく一日を終えられてしまった――襲撃者は何もしてこなかったのだ。


 テンプスの想定では、敵は今日、自分を襲ってくるはずだった。


 彼は先日の戦闘で負傷した――と思われているはずだった。


 そうでもなければ、自分が崩れ落ちた理由の説明ができない。ゆえに、相手はこの好機を逃さないのでは……


 というのが、彼の予測だった。


 これが、彼の能力の限界だ。


 彼の能力は『観察』と『洞察』で成り立つ。


 相手の行動あるいは周囲の情報を観察し、それを洞察力でつなぎ合わせて答えにたどり着く。


 連想ゲームのようなものだ。


 彼の場合その制度が驚くほど高く、鮮明で――悲劇的なだけで。


 今の彼は前述の二つが暴走し、不必要な数の未来を見ていることで不調になっている。


 つまり、彼は手に入れられる情報が少ないと『正解』にたどり着けないこともあるのだ。


『とはいえ――』


 外れることはそうあるものではない。もっと外れてくれるのなら、彼だってここまで苦労はしていない。


『まだ、情報が足りないのか……もしくは単純に襲える状況じゃなかったか……』


 どちらかだ、彼の見えない情報がある。


 これを打開するには情報を集めるしかないが――今は無理だった。


「あ、そうだ、明日は私、ここにいれないので、ノワが残りますので、仲良くやってください。」


 そうさらりと告げるマギアに、眉をしかめたテンプスが物申した。


「……入学そうそうさぼりはまずい気がするけど。」


「そういうと思ったので、対策済みですよ。」


 そういって、胸を張るマギアの体には魔力の対流が見えた。


「まあ、それならいいけど。」


「さ、そろそろ夕飯でしょう、今日は何でしょうねー」


 そういってさらりと部屋から出ていこうとするマギアの背中に、ぶれた残像が重なる。


 その光景では、彼女はこの部屋に入ってきて――こちらに――稲光が……


 目をつぶって首を振る。


 脳を圧迫し、精神に爪を立てる幻視を振り払うように頭が降られた。


「――マギア。」


「はい?」


 気が付いたら、口から言葉が漏れていた。


 振り返る後輩の顔には純粋な疑問だけが宿る。


「ぁ……」


 口をつぐんだ、何を言おうとしているのか、自分でもわからない。


「――ごめん、何でもない。」


「?はぁ……」


 不思議そうな後輩に謝罪しながら、テンプスはベットから起き上がった。


 いつだって、この能力悲劇を運ぶなぁ。と思っていた。

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