あなたがいい

「――そんな状況なら、早く言ってくれればよかったのに。」


 そういって、自室のベットの上で眠る少年の頭を撫でる。


 結局、テンプスはマギアの叫びを聞いて、一言「くちのかるいやつ……」とこぼしてすぐに失神した。


 家族総出で彼の部屋に運び込んで、早四時間が過ぎていた。


「……言いませんよね、あなたですし。」


 思い返すのは彼の性格。


 他人にはひどく気を遣うくせに、自分には全く気を使わない。


「なんとなくわかりますよ、あなたの考え。」


 この短い付き合いで、彼女は彼の性格の根本に近い部分がなんとなくわかるようになってきた。それは――


「自信が、ないんですよね。」


 自分の力や容姿や――あるいはすべてに。


 こんな都合のいいことが起こるはずがないと、そう思っているのだろう……自分のように。


「でもいいんですよ別に――能力や外に出てる部分で気に入ったわけじゃないですから。」


 ではどこに?と不思議そうな少年が訊ねてくる来るのを減資しながら、マギアは言葉をつづけた。


「――弟のために、力もないのに私と戦おうとしたところ。」


 戦えなかったわけではないと、彼は言うだろう、時計はあったと。だが――


「でも鎧はなかった。抵抗する手段はあっても勝算が高いわけじゃなかった。」


 実際、あの状態でマギアと戦えばテンプスは確実に負けていた。実のところ、彼自身自覚もあった。


「それでも私に向かってきた。弟を――それ以外の人を守るために。」


 あんな目にあってるのに。


 学園での生活を思い返して、彼が救いたいと思う行いの人間が何人いたろう。


 皆無だった、断言してもいい。


 それでも、彼はそういった者たちのために戦おうとした。すごいことだと思う。自分にはとてもできない。


「計画を見抜かれてた時は肝が冷えました。こんなにできる人だと思ってなかったから。」


 実際、彼はあそこで問答無用で彼女を追い出しても問題がなかったのだ。弟に近づく不審な存在を排除するためならそれが最も合理的だったろう。


「なのに、あなたはこんな怪しい女の望みを聞いてくれた。私を気遣ってすらくれた、その慈悲の心とか、話してみたら面白い人だったところとか、そういうのが……気に入ってますよ。」


 だが、彼はそうしなかった。


 自分の話を聞き、ここに残る道を残してくれた。


「私のわがままも聞いてくれて……うれしかったですよ。あなたはほかの人と研究とかああいう話したことないって言ってましたけど。私だって、家族以外としたことなかったんですから。」


 1200年前、彼女は逃亡者だった。ほかの人間に教えを乞う余裕などなかったし、他人と意見を交わす機会などなかった。


 彼女がこちらに復活してからもそれは変わらない。


 テンプスに出会うまで、一年と少しの間、彼女とまともに会話できる人間などいなかった。


 大体の人間は自分の容姿を見て、目の色を変えるか自分の魔術の腕を利用しようとしてきた。


 襲おうと――性的な意味を含めて――してくることすらあったのだ。


 そんな彼女に、彼との接触は間違いなく安らぎを与えた。彼にその意図がなかったとしても。


「だから、あなたが馬車にひかれたときは焦りました――死んでしまったかと思って。」


 あの時の肝の冷え方は正直に言って並ではなかった、魔女に襲われた時よりもよっぽど恐ろしい瞬間だったと断言できる。


「あの鎧、見た時驚きました。ああ、あんな武器があるなら私にけんかも売るなぁと思ったんですよ――全然、的外れでしたけど。」


 ぶっつけ本番だったと聞かされた時は、あきれた。


 危ない人だなと思って――その危ない人に救われたことに心底感謝した。


「消えそうな私を引き留めてくれた時、ほんとにうれしかったです。そんなこと、言われたことなかったので。」


 1200年前も今も、彼女はどこに行っても厄介者だ。魔女に追われ、国に追われ、定住などした記憶がない。


 だから、人に引き留められたとき、ついつい乗っかってしまった。


 危ないとわかっていてそれでも、ここに居座ってしまった。


 その結果がこれで――あの日に見た『最悪の未来』だ。


「あなたの助けになれると思ってた剣術部の一軒も、結局私の仇討ちになっちゃいましたし。用務員の件は――まあ、あれは数に入れなくていいですよね、私たちの話じゃありませんし。」


 それでも、ともに戦えるのはうれしかった。


 彼はいつだって自分の予想を超えていて――やっぱり優しい人だった。


 助ける必要のないキビノを救い、巻き込まれて襲撃されたというのにアマノを助けた。


「そのうえ――この前は私の家族まで取り返してくれた。」


 それは彼女が蘇った理由のうちの一つだ。


 祖母の汚名を晴らし、家族をとりもどしたかった。


 自分がなすべき夢を、彼が成し遂げてくれた。


「こんな、どこの馬の骨ともわからない女のためにあのおぞましい魔女のところにやってきて戦ってすらくれた。」


 それがどれほど自分を救ったのか、たぶんあなたは知らないから。


「きっとあなたは、鎧なんてなくても、こういうことをする人なんでしょう、なんとなくわかります、スカラーの技術とか、そういうの関係なく、人がひどい目に合ってるのが見過ごせない人。」


 だから。


「――好きですよ、先輩。」


 本心だった。


「恋や愛じゃない……と思いますけど、少なくとも家族のように思ってます、あなたのためなら、危ない橋だって渡りたいと思うくらいには。」


 頬を撫でる、撫でられた少年の顔が緩んだ。


「だから、大丈夫ですよ、先輩。もし、あなたがもう二度と戦えなくても元に戻らなくても、私が面倒見ますから。」


 それだけのことはしてもらった、恩を返すのは人としての義務だし――自分がそうしたいのだ。


「あなたがしたかったことも私が代わりにやります、弟さんだって守りますよ。」


「だから――」


 安心してと告げようとして、口が止まった。


「――早く治してください。」


 本音が漏れた。


「見ててつらいんです、あなたには……もっと元気でいてほしい。」


 椅子に座るのもやっとな彼を思い出す、その都度、胸が引き裂かれそうになった。


「あなたの声が聞こえないとさみしいですよ。魔女のことなんてどうでもいいから、元気になってください。」


 つい数時間前の、憔悴した様子の彼が、瞼の裏に張り付いて離れない。


 いつも泰然としている彼があんな風になると、いなくなってしまいそうでひどく恐ろしかった。


「また、研究とかしましょう?あなたの体質についての論文、形になりそうなんですよ。」


 自分に実験されている彼が思い起こされた。


 ひどく渋い顔のくせに、なぜか妙に楽しそうな彼がうれしかった。


「剣術部から逃げるとき、実はちょっと楽しかったです……あなたは大変だったでしょうけど。」


 あの瞬間が、なぜだかひどく楽しかったのも覚えている。


「アイス……おごってくれるって言ったの、忘れてませんよ?」


 彼には、ただの方便だったかもしれないが、自分は割と期待していたのだ。


「だから――」


 子供のように眠るテンプスに顔を近づける。


「――早く戻ってきて?この家で一緒に暮らすのは私とノワとお母さんと……あなたがいい。」


 そういいながら、彼の額にやさしく口付を落とした。


 唇が接した先から、この次元では見ることのかなわぬ秘跡――霊威が漏れた。


 この世のものに悟られぬまま、彼の体にしみ込んだ霊威が彼の体と魂の健常性を保つために力を放っている。


 それこそが、ニンフ人に与える神秘――霊験だった。


 今の今まで使わなかった神秘。それは縞模様の怪人からの指示だった。


『先ほども言った通り、我々としてもお前のような魔術師に彼をゆだねたくはない。彼の症状がこれ以上悪化しない可能性も十分にあり得る、「最悪の状態」でない限り、霊験を使用してはならない。』


 そういって、あの不可解な生物は、マギアにいくつかの状態への対処法を伝えた。


 一つ、可能限り情報に触れさせないこと。


 一つ、可能な限り戦闘をさせないこと。


 一つ、可能な限り長く眠らせること。


 ただし、魔術を使用してはならず、彼の行動を阻害してもいけない。


 少々面倒な条件だったが、可能な限りそれを守ろうとしてきた。


 あの怪物どもが、果たしてテンプスのなんなのかはわからない。


 ただ、彼女の想定が正しいのであれば、あれが彼と敵対しているとは思えない。


 故に従っていたが――もうやめだ。


 そのせいで、幾分、自分らしくない守りの手を打ったせいでいろいろと後手に回ったが、その結果がこのざまだ。


 縞模様の怪人に見せられた未来のせいで混乱し、焦って――失敗した。


 もうしくじりはなしだ。


 この徴を与えた以上、彼は自分のものだ。誰にもやらないし、誰かに危害も加えさせない。


 敵がいるのなら、すべて叩き潰せばいい。


 自らの徴の輝く額を眺めながら、マギアはほほ笑んでいた。

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