伝わらぬ物には相応の理由がある。

『――俺がお前を信用できない理由は理解できたろう?』


「……ええ、十分に。」


 『生まれてから最も賢く、最も後を引く』決断からしばらくたって、口にするのもはばかられる光景を見せられたマギアは憔悴した様子で膝の上のテンプスの頭を撫でていた。


 どんなものが来ても耐えようと思っていた。


 どんなことでも受け入れようと思っていた。


 思っていたが――見せつけられた光景は彼女の覚悟を破壊するのに十分な力があった。


『大丈夫か?』


「……ええ。なんです?あれだけ言っておいて私の心配なんてしてくれるんですか?」


 自嘲するように笑う。


 正直、ここまで自分を嫌いになったことはない。


 この縞模様の怪人の自分への態度にも納得がいった。これは――許されないことだ。


 吐き気が止まらないし、今すぐここから逃げ出してしまいたかった。


『お前に何かすると彼が怒るんでな。』


「……あんなことをする私をですか?」


 自分でも驚くほど打ちひしがれた声が出た。


 祖母が死んだ時に匹敵する衝撃で、心の制御が全く効かない。


『そうだ、彼にとって、あれは君を救わない理由にはならん。』


 そういわれて、確かにそういう人だなと思った。


 自分には関係がないくせに人の事情にばかり首を突っ込んで苦労する人。


 貧乏くじをそうだと思わない人。


 追い出されてもおかしくない自分をずっとここにおいてくれる人。


 だから、なおのことあんなこと許されないと思った。


 あんな――


『――では、そんなお前に彼を託さなければならない理由を話そう。』


 そんなマギアの鬱屈など気にせず、淡々と縞模様の怪人が告げた。


「……どういう、事です?」


『先ほど聞いたはずだ、お前は彼に『「ニンフの霊験」をささげるほどの好意があるのか』と。』


「……ええ、そうでしたね。」


 衝撃ですっかりと忘れていたがそんなことを聞かれていた……気がする。


『彼がどうにもならなくなったとき、お前のその力が必要だ。には対応できない。』


 そういって、縞模様の怪人が指を一つ鳴らす。


 次の瞬間、暗い地下室が一瞬にして変質し、その姿を変える。


 マギアにはそれが、何の力かわからなかった。


 魔術ではなく、そして、魔法でもない。


 魔力を介さず世界を塗り替えるそれは、


 一変した景色に目を見張り、周囲を振り返って確認する。


 そこは、マギアも見覚えのあるが知らない空間――


「……研究個室?」


 それは、彼女が初めて膝の上の彼に出会った場所。彼女と彼の関係性の始まり――いつか、自分がだった。


 その研究個室が、なぜか『大図書院のど真ん中に鎮座している。』


 病床で見る夢のように不安定な光景が目の前に広がっていた。


『そうだ、彼の精神界の核になる部分であり、彼の心で最も頑丈な空間だ。』


 律儀に縞模様の怪人が答えた――ただ、マギアの耳にその言葉は届いていない。


 目の前の光景に目を奪われていた。


 目の前にテンプスがいた。


 今膝の上で眠る少年とまったく同じ顔の、しかし、どこか子供っぽい表情で何かの本に何か書き付けている少年がいる、そして――彼の前に


 それはひどく大きい影法師のような生き物だった。


 全身が黒いベールのような姿のその生き物は、テンプスの前に立ちふさがり、何かを待っているかのように揺れていた。


 とっさにしたに視線を送る――赤ん坊のような顔で、テンプスが寝ていた。


 一瞬思案し、そして気が付く。


 これは精神の中の映像を投影しているのだ、そして今、彼は精神界で何かを作っている――あの影法師とともに。


『――あれが精神界における彼……あるいは本来の彼だ。』


 マギアの内心の驚きにこたえるように、傍らの縞模様の怪人が告げた。


「……あの手前のお化けは?」


「君らの見ている彼――『無思の法』だ。」


「私たちが見てる?」


「そうだ、普段彼はあれを介して世界と接している、先ほど見たろう、弱っていると彼は少し幼くなる。」


「ああ、なんか、かわいらしかったですね。」


「それがあそこで何かをくみ上げている本来の彼だ、普段君らが見ている彼の人格はあの影法師を介しているものでしかない――精神に異常をきたすものから身を守るためにあれを介していないと日常生活を送るのが困難になる。」


 そこまで言われて、彼女は納得した。


 あれは、自分における『無色の精神ヌウス・アクロモス』のような何かなのだ。


 これで、彼がオモルフォスの魔術にかからなかった説明がつく。あれが防いでいたのだ。


「……それで?先輩は何を作ってるんです?」


『現状を打開するもの――想念の戦士の力を制御するための脳内パターンだ。』


「……よくわかりませんが、それができれば、先輩の状態は治ると?」


『ああ、ただ、それをる繰り上げるのに難航している――彼の死の予測が邪魔なのだ。』


「――!?」


 突然、かけられた言葉に驚いたように化け物を見つめる。意味が分からなかった。


『彼から秘密暴き――エクスプレーネについてなんと聞いてる?』


「……この世にあるパターンをみる力だとだけ。」


『そうだろうな、見えない人間に説明するのは……ひどく難しい職業だ。そして、その説明でも間違いではない。』


 言いながら、縞模様の怪人はどこか悲観的な雰囲気でテンプスを見つめた。


『エクスプレーネの見るパターンは、ごく単純で……この世のすべてでもある。風の流れ、川のせせらぎ、梢の揺れる音、人の動き、町の経済、国の勃興――果ては時の流れ。それらパターンとはすべてだ。あらゆるものにある、普遍的な流れ、導き』


 それはいつだか、あの夕暮れの研究個室でテンプスが彼女に語っていたことに似ていた。


『それらを見る彼のような存在は――言ってしまえばこの世のすべてが見える人間だ。あらゆるものの流れを見抜き、その果てを類推する。それは可能性を見ることだといってもいいだろう、彼がたどり着く可能性――あるいは未来。』


 そこまで言われて、マギアはスカラーが世界を席巻できた理由がわかった気がした。


 つまりそれは――


『隠されたものの流れ――あるいは隠されているという事実が示す流れをつかみ、暴く。人の見ることのかなわないかすかな形跡を逃さない。それが秘密暴きだ。『ハイパープレコグニション超越的な予知』と、そう呼ぶものもいる。』


『一切にはただの予測だが。』と告げる縞模様の怪人の言葉がマギアの耳を素通りしていった。


 それは、人には過ぎた力のように、マギアには思えた。


 自分のように、占術である特定のタイミングで臨む未来を見るわけではない。常に見えるのだ。未来が、強制的に。


 それは、想像を絶することではないのだろうか?


 ということはつまり――


「――も……」


『パターンの見せた未来だ。少なくともこの精神界には君彼を殺そうとする可能性があと545あり、君が危機的状況になる可能性が2674ある。』


「……そんなに信用されてないんですか私。」


 眉を伏せる、付き合いの長さから当然のことかもしれないが、やはり悲しいものがあった。


『むしろ逆だ――君はかなり信頼されてる、ほかの人間は優に30000通りを超えている。すれ違うだけの人間にも、道で小便をする猫にも、その日の天気、風向きにすら反応する。日によって。習い覚えた技によって。接触した人数によって、彼の知らない情報と知ってしまった情報によって、パターンは増える。』


 その言葉に、衝撃とかすかな喜びを覚えた――信用はされているのだ。


この可能性はある。』


「……!」


 それは聞くだに恐ろしい可能性の提示に他ならない。


『むろん、その辺に歩く一般人程度ならどうにでもなる。適当に無視していい。だがお前や……テッラといったか、あの辺になればそうもいかない。魔術の発動動作を見落とせば、その場で死にかねない。』


 そして、そういった人間たちにも彼を害をなす可能性はある。


 精神を支配される。魅了される。だまされる。あるいはテッラのように人質を取られやむなく敵対する。


 その未来を、彼はすべて知っている――知りたくもないのに。


『これがこの時代までエクスプレーネの力を継ぐ人間がいない理由だ。』



 ――耐えられないんだ、普通の人間は。



 そう聞いた時、マギアは祖母に聞いたことを思い出した。


 曰く――伝わらぬ物には相応の理由があるのだと。

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