最も賢く、最も後を引く決断
「――お母さん!」
「ん、きた、ね。」
いつもの研究個室の扉ををいまだかつてない勢いで押し開ける。
母から事態を収拾し、ノワを呼んだと連絡を受けたのはつい一分前だ。
母親に連絡し、自分が守るはずだった男を託してから、彼女は即座に駆け出して、この学園に向かった。
道中でテッラに事情を伝えれば、彼はあとはこちらで監視すると頼もしいことを言ってくれた――役に立っていないのは自分だけだ。
本当に嫌になる、自分がまきこんだくせにこのざまだ。
いらだちが魔力に姿を変えて、彼女の体を動かした。
風の魔術を利用した高速移動。
稲妻の付与術に匹敵するほど加速したその足は三十分ある町の郊外から学園までの道のりを物の三分で、そうはして見せた。
肺はひどく傷んだし、足も鉛でも注がれたかのように重かったが、足は止まるつもりがないのだろうよどみなくここまでを駆け抜けた。
ただひたすら自身の共犯者である彼が心配だった。
「お母さん、先輩は……。」
「……だいじょうぶ、だよ。」
そういってかかった声は、まるで荒野に置き去りにされた老人のようにしわがれていて、十七、八の子供のものとはとても思えない。
声のほうに向けば、いつもの椅子にひどく具合が悪そうないつもの少年がいた。
肌は全体が血の気が引いて、土気色になっている。
痛みにぼうっとしているのだろうその顔はいつもの理知の色はなく、ただひたすらに悄然としてた。
体を支えるのすらつらいのか、体からは力が抜けている、今にも倒れそうだ。母に支えてもらわないと座っているのもままならないらしい。
そのくせ、顔はこちらを安心させようしているのか笑顔なのが、ひどく痛ましくて……なんだか癪に障った。
「しゃべらないでください!まったくもう、ちょっと目を離しただけでこんなことになるなんて……!」
自分でも驚くほど焦った声が出ている――もしや、ずっとこんな声で話していたのだろうか?
「……だいじょうぶ……だよ、ちょっと……いつものがひどいだけだから……」
「大丈夫なわけないでしょう!?顔なんて土気色ですよ!闘技場で死にかけてた時よりもひどいじゃないですか!」
非難じみた声が漏れる――こんなことが言いたいわけではないのに。
どうしても『あの日』見せられたものとダブって抑制が効かない――眠れていないせいかもしれないが。
「ん……いいの……いつも、こうだし……ちょっと寝たら――」
「――治るわけないでしょう!?こんな……明日からは家から出しませんよ!」
「……ほんとに、へいきだから……じゅんびもしてるし……その……ちょっと……頭が――」
「――悲惨な未来と過去のことでぐちゃぐちゃなんでしょう!?知ってますよ!」
思わず、口をついて出た。
先ほどまで薄笑いでこちらを安心させようとしていた少年の顔が固まる。
自分に、それが知られていると思っていなかったのだろう、驚愕で引きつった顔で、さっきよりもひび割れた声が唇から漏れた。
「なん、で……」
呆然と吐く言葉に応じる――もはや、事ここに至っては言うしかない。
「知ってますよ!今あなたがどんな状態で、どんなことになってて、普段どんな思いしてるのか全部!あの縞模様のお化けに聞いたんですから!」
ほとんど血反吐でも吐くように叫ぶ。内心、もっと穏やかにいうべきだと理性が抗議しているが……無理だった。
もう少し、彼には自分がどう思っているのか知ってもらうべきだ――いや、まあ、本心はちょっと恥ずかしくて言えないのだが……
「だから!何とかしようとしてるんじゃないですか!!」
――結局すべてはあの日、ステラ・レプスに導かれた地下に端を発するのだ。
『頭痛にこらえるような動作。視界の不良。四肢からの力の盲失。平衝感覚の失認。妙なうわごと……頭か……』
――ステラ・レプスと名乗った上級生に導かれて訪れたくらい地下。
寝息を立てる少年を撫でながら、マギアの脳が高速で回っていた。
『精神界に干渉はできない……いや、待った、精神の干渉が原因なら……』
いま、自分が使っている術はどうだ?
『
この術なら――精神にのしかかる負荷を止められるのでは?
『この人の体質的に不安はある……が、このままkの人を放置はできない。』
やってみる価値はある――マギアの中で方針が決まり、魔力が励起した。
この魔術円は複雑だ、脳にはしまっておけない。
空中に描く必要があった。
励起した魔術を創造魔術の魔術円に通して姿を変えさせる――その姿は光だった。
光学魔術と呼ばれるこの世で最も新しい魔術分野だと誤認されている術だ。
空間に輝く円が描かれる、その姿は三次元的で、一般的な平面の円陣ではない。
現代では理論がようやく提唱されたばかりの魔術円が、今まさにここで生まれようとしていた。
これだけでこの時代の魔術学や、呪文学の権威が憤死するかわからないような絶技を、マギアはその辺に落書きを描くような気楽さで描いていった――彼女からすれば、自身の太ももの上で眠る少年が寝苦しくないか同課のほうがよほど注意を払うべきことだった。
円陣が完成するまで10秒もかからなかった、彼女からすればこれでもかかったほうだ。
あとは詠唱だけだ――ひび割れた声が響いたのは、そう思った時だった。
『―――っち、わきから邪魔されると面倒だな……』
「――!?」
舌打ちのような声を響かせて、瞬間的に目の前に現れた存在に、即座に待機させた攻性魔術がその砲口を向ける。
「……何者です?」
そこにいたのは、人のようでありながら、人ではないもの――縞模様の怪人だった。
その姿は歪み、かすみ――それでいて焦点がかすかに合わない。
幻――いや、そうではない。
何かもっと玄妙な力、不可思議で、それでいて明瞭な力。
『……二元性があるのか』
マギアの知性が正体を見抜いた。
それは二つの次元にまたがり、両方にありながらどちらにも存在しない生き物に特有の気配の変動だった。
『……なにもの……何者か……』
誰何された縞模様の怪人は顎……だろう場所に手を当てて考え込む。
「――答えなさい、次元生物。あなたは何で、どうしてここにいるのか。」
『――ほう、分かるのか。さすがに彼が信用するだけはあるな。』
驚いたように顔を――そんなものがあるのならだが――ゆがめた化け物に再び問いかける。
「――答えろ、この人の体調不良にお前は関係が――」
『ない。』
断言だった。
決断的でよどみがない。
魔術など使わずともこの生き物が嘘をついていないことがわかる。
「……信じましょう、ではなぜここに?」
『お前の愚かしい行為を止めに――といったところで、理解はできんだろうが。』
そういって、見下す化け物にマギアの鋭い視線が突き刺さる――一触即発の空気が空間に満ちた。
『魔術師――お前に合うつもりはなかった。』
「ほう?人様の精神に寄生する虫のくせにずいぶんとでかい口たたきますね。」
『ずいぶんな物言いだなこの状況すべて貴様のせいだというのに。』
「……」
『……』
剣呑な空気が漂う。マギアの魔術が次元を飛び越える力を宿し、縞模様の怪人の周囲の空間がかすかに揺らぐ。
戦闘が始まる――そんな予感を感じさせる一幕は、膝の上から響いたうめき声にさえぎられた。
「……ぅ」
「!」『!』
瞬間、双方から力が抜ける。
マギアがテンプスの頭に再び手を当て、なだめるように頭をなで、縞模様の怪人はその光景を見つめながら何かを考えるように顎――らしき場所に手を当てていた。
『――一つ聞いておきたいことがある。』
だしぬけに、その生き物がそう聞いた。
「なんです?」
『彼が大事か?』
「む……まあ、そりゃあ家主ですか――。」
『その手のおためごかしはいい、「霊験」を与えられるほどの好意があるのか聞いている。』
「――!」
驚いたように、縞模様の怪人を見つめる。基本的にその力を知っているのは自分だけのはず――
『どうなんだ?違うのなら、この話……彼の現状についての話話だ。』
「!」
『嘘をつくなよ、見抜けるぞ。』
鋭い視線――目もないのに?――が突き刺さった。その言葉に嘘がないとわかっていた。
だから――正直な気持ちを告げた。
「――好きですよ。それが恋や愛なんてものかはわかりませんが……好きです。この人のそばにいたい。」
マギアはのちにこの時を「この世に生まれて最も賢く、最も後を引く決断だった。」と語る。
『……そうか、なら――』
――お前に話しておくべきことがある――
まるで世界の終わりを告げる預言者のように重々しく縞模様の怪人は言った。
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