勝利と敗北と
テンプス・グベルマーレは素手で戦うのが得意ではない。
彼が彼の父から習い覚えたのは長剣の扱いだけだ。
スカラ・アル・カリプトの手技としてフェーズシフターのような特殊兵器と修練の延長としてそれなりの単純な武器――槍やこん棒のような鈍器――には精通しているがそれ以外となるとどうにもならない。
つまり、彼の白兵戦技術はスカラーの教本と祖父から習ったけんかの作法がかすかにあるぐらいだ。
だからこそ、彼は攻めあぐねていた。
うねる蛇のように不規則な軌道で走る短剣がテンプスの急所を狙いながら空間を駆ける。
眼球狙いの刺突、はじかれた手を振り下ろしての斬撃、露骨の間を狙っての横薙ぎ、脇腹の血管をかすめるような突き、足の内側の血管を狙って腕を引きながら刃を立てての斬撃。
そのすべてを触覚と音だけを頼りに撃ち落とす。
刺突を手で払い、振り下ろしを体をひねってそらした、肋骨を滑らせる横薙ぎを腰を引いて避け、脇腹の一撃を足を引いて躱す、足の内側に向け斬撃に合わせて足を組み替えた。
からぶった短剣がまるで渦を巻くように体ごと回る腰元を狙った横薙ぎの一撃は先ほどよりも明確に勢いずいて早い。
半歩後退、服の表面を撫でるように通りすぎた刀身が鈍く光った。
手で外に向けて虫でも払うように手を刀身を払う――やはり、素手で武器の相手をするのはことだ。
前に向かってけりを放つ――のを途中で停止、代わりに、背後に向けて回し蹴りを放つ。
「っち」と舌打ちのような音を残して、もう一人の襲撃者が距離をとったのがわかった。
瞬間、わきから襲ってくる一撃を、テンプスは体を縮めて躱す。
苦し紛れに放った裏拳は粉塵を切り裂き、開架式の書架にぶち当たり痛みをもたらした。
「――どうした、テンプス・グベルマーレ、ジャック・ソルダムを倒した実力はそんなものか?」
声が響く――霧の向こうからの声、襲撃者からのものだ。
「当然だよなぁ!お前は所詮、俺らみたいな選ばれた存在のサンドバッグなんだよ!」
「お前の強さなど所詮、道具で人をだます詐術に過ぎない。その証拠にどうだ、使えなくなれば途端に戦えなくなる。」
「お前じゃ俺r……には勝てないんだよ!」
まったく同じ声が異なったしゃべり方でテンプスを攻め立てた、逐一癪に障る声だ。
霧の中に目を細めて、相手の場所を探る――わからない。
『風の魔術で声を反響させてる、何が何でもナイフで始末をつけたいのか……』
あるいは、この程度の魔術しか扱えないのかもしれない。
そう考えればここが戦場になった理由もわかる。
視覚をつぶし、そのうえで自分の武装――フェーズシフターを使えない閉所に誘い込み致命傷を負わせる。
そのための戦力だ――なるほど、納得がいく話ではある。
マギアの話ではこの手の襲撃者は皆何かしらの魔術、もしくは魔法的な技術で精神に干渉されているらしい。
となれば、この彼らを捕まえたとしても主犯をつかまえることはできまい。
『なら多少無理させてもいいか。』
目の前に現れるパターンは揺らいでこそいるが明瞭だ、剣さえ使えればすぐに倒せる。
そして、剣使えば倒せるということは素手でも倒せるということだ――意味がつながってない?構うものか、そう信じられれば戦える。
フェーズシフターは抜けない、抜けば自分の脳裏に浮かぶパターンの量は今の数十倍に広がる、それを支え切るほど脳は頑丈ではない。
耳をすませる、反響の制御によって隠された真実を探す必要があった。
脳内に――いや、そのさらに奥の精神界に宿るオーラが道眉宇感覚に触れる。
覆いを破るように、秘密を暴くように、超自然の力でゆがめられた真実を感覚器が貫く。
いつもは呼吸をするようにできるこの行為も、今の彼にはひどく労力を使う。
それでも、彼の感覚は魔術の覆いを破り、その内に秘められた真相を見抜いた。
足音の数は二つ。ほとんど常に自分を挟む形で自分を囲んでいる。
目を細めて、相手の攻撃を待つ。
下手に動けば本棚に体が当たる――カウンターで決めるしかなかった。
それを知ってか知らずか、相手の攻撃は激しさを増していた。
刃の速度が増し、かわし切るのが困難なほどの速度で銀閃が閃いた。
テンプスはその攻撃を慎重に躱す。
刺突を払い、斬撃を躱し、柄での打撃を受け流した。
タイミングを待っていた。
しかして、その瞬間は初撃から数えて十八合目に来た。
がくり、とテンプスの膝が落ちた。
しめた!と襲撃者は思った。
刃に塗った毒が効いたのだ!どこかでかすめた一撃があったのだ。そう考え、彼の攻撃は大きく激烈になった。
胸にめがけての一撃。心臓まで深々と貫くために不利が大きくなた一撃を相手にめがけてふるう――その時を待っていた。
突如、力の戻ったテンプスが刺突の間合いから逃れ、相手の伸ばした腕をつかんだ。
相手が驚くのも待たずに、テンプスの腕が相手の喉元の服をつかみそのまま、右足を滑らせて、コケるように体を回し膝から力を抜く。
体重移動の導きのまま、後ろに倒れる体の自重に相手の崩れた体制では対処しきれない。
後ろに倒れながら、腰と腕の力で相手を回転させて――投げる。
運動の法則から導いた動きは、確かな力で相手の体を浮かせて、ぐるりと空中で回転した。
それに驚いたのは投げられた本人、そして、その隙を消すために待機していたもう一人の襲撃者だった。
彼らは基本、相手を挟む形で陣取っていた。思いのほか鋭いせいで挟撃とはいかなかったが、相手を翻弄することには成功していた。
今回も相手の動きを阻害しようと近づいたちょうどそのタイミングだった、相方が宙に浮き、自分に向けて降ってきたのは。
テンプスの体が地面に落ちるのと二人の襲撃者がぶつかり合って地面にたたきつけられるのはほとんど同時だった。
地面にたたきつけられて、目から火花が散った。相手を確実にたたきつけるために受け身を取り損ねていた。
痛む背中をなだめながら、相手を見つめる――苦痛のかいあってか相手にも相応の痛打を与えられたらしい。
バキン!と何か固いものが壊れる音とともに、地面にたたきつけられた二人の男をしり目に、テンプスはさっと立ち上がる。
完全に行動できないようにする必要があった、そのためにもう一撃必要になる。
そう考えて体を動かそうとした時だった、全身を鋭い痛みが襲ったのは。
膝が崩れて体の自由が利かなくなる――なぜか、頭痛が戻ってきていた。
とっさに頭を抱えてうずくまる。視界の裏でここではないどこかの光景が乱舞していた。
自室、研究個室、町の郊外のどこか、闘技場のわきの自分が燃やしたはずの部屋、町のゴミ捨て場……
数えるのも億劫なほどの風景が彼の視界と思考を埋め尽くして、身動きが取れない。
精神が必死に状況を掌握しようしているが、間に合わない。
体全体を痛みが覆う――自室で夜な夜な跳ね起きるときに感じる苦悩、研究個室で誤ってできた切り傷、町の郊外で受ける魔術の痛み、生物混合器とともに燃え尽きようとしている皮膚の痛み、ゴミ捨て場に捨てられる原因になった荷電粒子砲の熱……
すべてが同時に襲ってきて、テンプスはもはや動けない。どれが『今』の傷で、どれが『いつか』の傷かがわからない。
どれが『起きなかったこと』で、どれが『これから起こること』かもわからない。
精神が必死により分けているがまるで堰を切ったようにあふれた記憶と予見が入り混じって身動きが取れない。
体を丸めて耐えるテンプスに、二つの影が近づく――投げられた痛みから復帰した襲撃者だ。
自分の頭の上で、何かを語る二人をテンプスは遠い異国のことのように聞いていた。
耳がまともに機能していない、聞こえるのは『いつか』自分が聞くであろう近しい少女からの罵声と自分が動かなければ死んでしまう者たちの断末魔と悲嘆の声だけだ。
頭上で気配が動いた――まさか自分を抱きしめはしないだろう、短剣を振り上げているのかもしれない。とどめを刺す気だ。
わかっているが、体が言うことを聞かない。痛みで筋肉が固まってしまった。
気配が再び動き、自分の頭に短剣が降ってくる。
気配が動いている――何とかしないと――ここではまだ死ねない――死んでいいタイミングは決まっている――
濃厚な死の気配、断続的につながる思考が空回りする車輪のように考えて、最後の思いついたのは――
『そういえば、マギアにアイスおごるって言っておごり損ねたな……』
――そんな取り留めもないことだった。
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