夜の同盟

「――我が子?あなたはとてもいい子、私は大変うれしい、でも無理をしすぎだと思う、の。母はとても心配、です。」


 そういって詰めてくる美しい顔に、テンプスは珍しい困り顔で体を遠ざけた。


 いつもの自分の部屋、自分のだらしのなさから決して清潔でもないその部屋に似合わぬほどの光輝をまとって母――を名乗る女性、タリス・カレンダがにじり寄っていた。


「あの、タリ――「お母さん」……いや、僕の母は別に……「別に二人お母さんがいてもいいと思う、な。」えー……あー……んー……お、お母さん。」


「ん?どした、の?」


「そのですね、心配は大変ありがたいんですけど。」


 本心だ、本心ではあるのだが――だからと言って、この状況はどうかと思っていた。


「うん、お母さんはとても心配。」


「や、その……申し訳なくは思ってるんですけどね?思ってるんですけど……」


 どこか不満げに、相手を見つめながらテンプスは告げる。


「鎖でぐるぐる巻きにされなくても晩飯は食えるんですけど……」


 そういいながら、体を縛る鎖を苦笑交じりに揺らした。


 そう、彼は今、先日の夜道と同じように鎖で縛られて自室のベットの上に放り出されていた。


「ん、ダメ。マギアから聞いてる、何か作るのにどっか行こうとしてた、って。」


「いや、してました、してましたけども……」


 だからと言って、ぐるぐる巻きにされることだろうか……


 そう思いながら、こちらに差し出される匙を眺める――病気の時でさえ、このように扱われたことのないテンプスからすると今の状況は非常に……気恥ずかしい。


『って言っても……』


 この調子なら彼女はこの食事を平らげない限りこの部屋から出ていくこともないだろう。


 諦めたように天を仰いで、テンプスは困惑と……かすかな喜びの混じったため息をついた。






「あ、お疲れ様です――どうでした?」


 部屋から出てきたタリスを迎えたのは愛しい娘の声だった。


 マギアのどこか不安げな声を聴きながら、タリスは空いていた席に腰掛ける。


「ん、元気そう、だよ。さっき寝ちゃった。疲れてた、ね。」


 そういって、赤子のように眠る『息子』を思い返す。


 普段はどこかとぼけた犬のような表情をしている彼は眠るときも犬のような顔立ちだ――ただ、ひどくあどけない子犬のようになるが。


「ん、じゃあ大丈夫?」


 そう聞いてきた下の娘――ノワの一言を肯定する。


「いまのところは、ね。」


「調べる。」


「お願いします――ああ、魔術はなるだけ使わないでください、体質がありますから。」


 そういって、指示を飛ばす上の娘に向けて「任せて」と胸を張って魔術の物質要素の準備に向かうノワを頼もしさとさみしさのないまぜになった顔で見つめて送り出す。


 普段はゆるく見える親子だが、これで1200年前は国の精鋭部隊と魔女の追撃をしのいできた過去がある、こういった事態は慣れていた。


 遠い過去に戻ったような現在に思いをはせながら、タリスは『お客様』に顔を見せた。


「――っと、すいません、話が途切れましたね。此処まではわかってもらえましたか?」


 そういって、マギアは相手を――この件に関わるであろうテッラとセレエを見つめた。


「要するに、テンプスくんの頭の中身がピンチってことだよね?」


「……そうです、若干語弊はありますが大雑把にはそうなります。目下治療は施しましたが、効き目のほどは不明です。」


「治るのか?」


「わかりません、症状と……の助言から問題がある点は判断がついてますが魔術で治すのは困難なんです。」


 頭痛にこらえるような動作。視界の不良。四肢からの力の盲失。平衝感覚の失認。聞けば、歩きながら妙なうわごとも話していたという。


 明らかに頭あるいは中の脳、ないしはそれに接続している精神が原因だ。


 この時代において解剖学はそれほど一般的な学問とは言えないが、各部位の名前程度の知識はある。


 おまけに、マギアにはテンプスから習い覚えた――理解しているとはいいがたいが――スカラーの知識があった。


 それだけあれば、今、テンプスの体に何が起きているのかを判断するのはそれほど難しくなかった。


「わかってもらえてると思いますが……先輩の体調は決して良くありません。」


 その一言から始まった会話は、今、到達点を見つけた。


「……ああ、わかった。つまり――」


「――私たちのせいでこうなってるってことだよね?」


「そうは言いません、根本の原因を考えれば私のせいです。先輩を巻き込んでいるのは私ですから。」


 それは事実だった。


 自分がみっともなく幸福にすがらなければこうはなっていない。


 だが、今更、それを言ったところで何も変わらない、もはや問題は起きてしまったし、それを修正はできない。


 何より――今更、彼を捨ててどこか行くつもりはない。


 彼女の母ではないが、彼は特別な相手だ。


「ですが、多少なり、あなたたちが責任を感じるのであればお願いが――」


「――いいよ、やろう、俺たちになにができる?」


「……いいんですか?巻き込んでおいてなんですが、この状況は決してあなたたちの生活にとって足しにはなりませんよ。」


 そう、確かめるように聞いた。


 テンプスの言っていたことはけっして間違いではない。


 何か問題があればセレエの学園生活は愉快なものではなくなるだろう。


 それでも、此処に呼んだのは――たぶん、ささやかな八つ当たりだった。


「いいさ、本当は終わるはずの幸せだ、助けてくれた人のために使うなら上等だろう。」


「私は……そもそも、此処にいるの自体、何かの夢みたいなもんだし、それに――」


 言葉を区切って視線がテンプスの寝室に向かう。


「――私たちが責任を感じないように、話さないでくれたんでしょ?」


 誰が。とは語らずとも、全員の間に共通された顔が浮かぶ。


「いい人だね、闘技場でも思ったけど。」


「……ええ、だから一緒にいるんですよ。」


 どこか誇らしげに、マギアはそういって微笑んだ。


「――では、セレエさんには先輩のことを見ておいてほしいんです。あなた、確か同じ学年でしょう。」


「あ、うん。確か、今日クラス分けの紙来てたよ、テンプス君と同じクラスだったはず。」


「おあつらえ向きですね。お願いします、面倒な輩が彼に関わらないようにしてください、こちらも対策してますが――正直、人の話を聞く人でもないので。」


「うん、わかった。」


「それで、テッラさんの方は――」




「……本気か?」


 怪訝な顔で、テッラが聞き返した。


 彼からすればマギアの頼みはあまりにも荒唐無稽だったからだ。


「ええ、何も彼が犯人だと思っているわけではありませんよ、ただ……違和感があるんです。その違和感の正体が知りたいんです。」


「……わかった、ただ、俺は何もないと思うよ。」


「……そう願ってますよ。」


 どこか緊張感のあるやり取りを終えたマギアにセレエが空気を換えるように声をかけた。


「マギアちゃんは?」


「ちゃん……あー私は――忘れ物をとって来ます。」

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