何かがおかしい

 つぶれたのどを抑えながら子供の逆鱗に触れた積み木の塔のように崩れ落ちた金髪の男を見ながら考える。


 腕の感覚から考えて相手ののどはしばらく使用できないだろう。普段彼らを守る魔法の守りも、今は起動していない。


 呪文の詠唱ができない以上、音声要素を省略できないのであれば、魔術使用は不可能だ。そして、この男はそれほど技量のある方ではない。


 そして、生身で戦えるような損傷ではない。それは地面をなめている様子から明らかだ。


 そんな様子を見ながら、テンプスは内心の疑問に思考を支配されていた。


『――なんで戦えてる?』


 明らかにおかしかった。


 彼が理解している限り、彼の体を苛む不調は決して軽いものではない。


 先日の一件もそうだが、この『病状』は進行している。


 それは快方に向かっていることの証明――であるはずであり、同時に、彼にそれほど時間がないことの証明でもある。


 じきに彼は動けなくなるだろう、その時明確な意識もあるかは怪しい。


 そして、それを加速させる最大の原因はだ。


 より厳密に言えば、『パターンを認識しての行動』であり、同時に『オーラを多く使う行動』でもある。


 そして、戦闘はそれらの条件を一瞬で満たしてしまう――はずだった。


 症状が悪化していようが、何の問題もないように動き回るこの男が戦闘を避けようとしていた理由はこれだ。


 マギアに止められたからというのもあるが――それよりも何よりも行動不能の時間を増やしたくなかった。


 だからこそ、戦闘を行っていなかったのだが……にもかかわらず、彼の体は何の変調もないように動き、そのうえでいまだに動ける程度の頭痛しか感じていない。


 あの『攻撃予測』にしてもそうだ、普段の自分ならばともかく、今の自分にあれほどの精度で攻撃予測などしようものなら確実に動けなくなるはずだった。


 脳が勝手に行う演算――いや、『情報の混合』はもはや彼には完全に制御できない。


 故に、この戦闘は長引くはずだったし本来ならあの起動予測もする予定ではなかった。


 が、彼の脳は勝手にそれを実行し――なぜだか、彼はいまだに動ける。


『何が起きて……?』


 わからない、何か、彼の知らない要因が絡んでいる。


 そしてその原因はおそらく――


『こいつの後ろにいるやつ――黒幕ってか?』


 だとしたら、いったいどういう理由で自分の不調を癒す?


 この件で何かに恩を着せたいのか?


 それとも、何かの事故でこうなっているだけか?


 そもそも、いったいなぜ自分の不調を知っている?


 自分の不調を知っている人間などごく限られている。


 理事長、ステラ、そして――


『マギア……』


 このうちの誰かが漏らしたのだろうか?


 そうだとしたらいったいなぜ?


 理事長はあり得ない。自分以外にスカラーの技術を扱える人間はいない。であるならあの女が自分を切ることはあるまい。


 ステラ……こちらも怪しい、基本的に彼女が転ぶような対価を持たれせる物が学生にいない。


 マギア……マギア・カレンダ。


『あのこは……そういえばよく知らないな。』


 思い返す。


 彼女が何を好きで、何が嫌いで、何に喜ぶのか、厳密に言えばよく知らない気がした。


 わかっていることは家族が好きで、自分をひどい目に合わせた魔女が嫌いで、魔術を扱うことに強い喜びを感じていて――ひどい目にあっているのに、いまだに他人のことを気遣う人間だということだけだ。


 慕ってくれている……ような気はするのだが、そもそも慕われたことがないのでパターンが読めない。あれが本当に好意なのかあるいは何かの打算なのか、彼にはいまいち判断できなかった。


 そんな彼女が自分を裏切っているとしたら……そう考えて、テンプスは思う。


『……まあ、彼女になら――』


 裏切られていてもいいか。と。


 うれしいわけではない、むしろ、自分でも少し引くぐらい悲しい。それを回避するために精神界にいくつの計画があるのか数えるのすら億劫なほどだ。


 が、彼女が裏切っているとして、それで、あのひどい目にあっている人間が幸福になれるというのなら、まあ……自分の人生の使い道としては悪くない気がした。


 最後の一年でできる善行としては破格だろう。1200年分の不満を晴らす一助になれるというのは。


 とはいえ、自分はいまだに死んではいない。そして、自ら死ぬ趣味もない。


 対処できる死には対処せねばならない。


 腹に力を籠める。とりあえず、調べるべきことはわかった――この男と接触した生徒、教員を探すしかない。


 誰かがこの男をけしかけたはずだ。それを探せばこの件をたくらんだ人間に続く何かしらの情報を持っているだろう。


 そう考えて、舞台から降りようと階段に足を――


「―――――!!」


 かけたときに、突然それは起きた。


 視界がぐにゃりと不安定に歪み、視界がかすむ。


 目の前にある階段と祖父から引き継いだ自宅の階段がダブり、その上からさらに学園の階段がにじむように見えた。


 それは、ある種のパターンの流れの一部……彼が『この時間にいる可能性のあるすべての場所』の映像だった。


 靴の下に感じているはずの訓練施設の石段の感覚と自宅の階段の木製の感覚が混ざり、学園の無駄に作りのいい階段との差異が体の感覚を惑わす。


 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。


 見当識がなくなる。


 膝に力が入らない――おかしい。


 この体の変調は戦闘が終わったと同時に起きた。


 だが彼が理解してる自分の状況なら、この体調不良はに起こるはずだった。


 だというのに――なぜ、今頃になって?


 何かがおかしい。


 何かが――


『「先輩!」』


 叫び声が聞こえたのはその時だった。


 聞き覚えのある声。ひどく近い――耳元だ。


 顔を上げようとして、体が何かに支えられているのに気が付いた。


 不可視で、それでいて柔らかい何か。


 風だ。


 それが大気の生霊の体だと気が付いたのは傍らに走り寄ってきたマギアの存在を見た時だ。


「……マギア……来なくていいのに……大気の生霊もいるだろう……心配性だな……」


 苦笑しながら告げる――よく言うものだ、大丈夫だといっておいてこのざまのくせに。


『……もうちょっと迷惑かけないように考えないと……』


 やはり装置の作成は急務だ。急がないと……


 焦りと共にそう考えるテンプスの内心を知らずに、マギアは


「それを言うなら一人でいいって言ったのに、わざわざ弟さんのこと読んでたあなたも大概ですよ。」


 そういって、どこかからかうように告げるマギアにテンプスが不審そうな声を上げた。


「……サンケイ?なんであいつ……?」


「?あなたが伝えたんじゃないんですか?本人はそう言ってましたよ。」


「……しらん、今日はあいつと話してないはず……?」


 「いや……あれ?」と首をかしげるテンプスを眺めながら、マギは以前より感じていた違和感が再び鎌首をもたげてくるのを感じていた。


 何かが妙だった――が、今はそれどころではない。


「……まあ、その辺の話はいいでしょう。ほら、立てますか?帰りましょう。」


「いや、いいよ……だいじょうぶ……」


「前も言いましたが大丈夫な人は大丈夫だと自ら言ったりはしませんよ、ほら、また簀巻きにして運ばれたいんですか?」


「……わかった……」


 そういいながら、彼は大気の生霊と後輩に挟まれて体の力を抜いた。


 もし、この両脇に感じる献身が嘘なら――それはひどく嫌だなと思っていた。

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