噂
「――テンプス・グベルマーレ!勝負だ!」
昼休みの廊下、いつものように研究個室に向かう少年の足を止めたのは後ろから突如としてかけられた声だった。
「えーっと……?」
『なんですかこの不審者』
後ろを振り向きながら困り顔を向ける――知らない顔だ。
制服から考えておそらく同級生だろうことはわかるが交友のある人間でないことは確かだ――もっとも、テンプスと交友のある人間などこの学園にほとんどいないが。
「聞こえなかったのか?勝負だ!」
「……なんで?」
再び放たれた理解不能な一言に、テンプスは首をひねる――以前も同じことがあった記憶があるが、あの時は何が原因だったのだったか。
内心で首をひねるテンプスの様子を知ってか知らずか、目の前の男は意気揚々よ語り始めた。
「お前のような男が公認チームに入ることは許容できん!この学園の恥を晴らすようなものだ!よって、ここで貴様を打倒し、この俺が貴様の席に座ってやろう!」
「……勘弁してくれ……」
げんなりとした声が口から洩れた。
思い至るのは今朝の一幕だ。頭痛と吐き気の渦に飲まれた記憶の中で、報道部か広報部かわからないがこんなことを言っている人間がいたのを思い出す。
『あなたに打ち勝つことで入れ替わりでチームの一員になれるといううわさは本当ですか!?』
噂、そう、噂だ。
世間で言いふらされている話――つまり、正確な情報ではないが世間一般に出回っている情報だ。
それに踊らされて、自分に挑んでくる人間がいるのはなんらおかしなことではない。
つまるところ、目の前の彼がその『踊らされた人間』というわけだ。
「……勘弁してくれ……」
正直に言って、体調は悪くなり続けている。
マギアに支配され、体として扱われている大気の生霊のおかげで、幾分負担は減った。
面倒な音を遮り、こちらに向かうちょっかいを風で阻んだ。
それでも、体を動かす類の授業に出た際の彼の体への影響は大きい。
逮捕術の授業では、またしても頭痛に襲われたし、膝に力が入らなくなりかけてもいた。
今、研究個室に向かっているのもマギアに「この時間中魔術で脳を癒すので来るように」とのお達しがあったからだ。
正直に言って、この男に関わっている余裕は彼にはない。
そもそも、なんだってそんな意味の分からない噂が――
『――噂?』
そこでふと、疑問に思う。一体なぜ――
「――おい!聞いているのか!?早く訓練場に来い!叩き潰してやる!」
思考が途切れる――意識を戻せば、この話の原因である生徒が口をとがらせて叫んでいた。
「あー……その、申し訳ないんだが、その話には乗れない。人を待たせてるんだ。」
努めて穏やかにテンプスは言った。
意味が分からないし、体調は悪い。正直付き合いきれなかった。
「逃げるのか!やはりお前に公認チームのメンバーは無理だ!」
「いや、そもそも、僕をどうこうって話は僕聞いてない――」
「この分ではお前が裏口入学だという話も本当かもしれんな。」
「――あん?」
瞬間的に、頭に血が上った――普段なら抑えられるそれが、今日はどうしても抑えが効かない。
「なんだ、図星か?そもそも、貴様のような不逞の輩がこの学園に在籍していることがそもそもの間違いなのだ、貴様の弟も褒められるような男かは――。」
パキパキと硬いものが何かに触れるような音がした。
それが、自分の指からなっていることに気が付いたのは、すべて終わった後のことだ。
『仮面』が……『無思の法』が壊れかけている、いらだちと相手への害意が漏れた。
それに伴って、せき止めていたパターンが怒涛のように思考を犯す。
彼の目の前を埋め尽くすのは自分が今思い描いている行動をとった後、この男がこの後どう動くのかを映像的に示したパターンの群れだ。
一つのパターンでは男はこちらを恨めしそうに眺めながら踵を返している。
一つのパターンでは顔を赤くしてこちらをにらみ、罵声を発している。
一つのパターンでは男は怒り散らして腰の剣に手を当てていた。
一つのパターンでは男はこちらにこぶしを振り上げている。
一つのパターンでは男はこちらに向けてっ魔術を使うとしているのだろう、エネルギーのパターンがそう教えていた。
この五つから、さらにパターンは分岐する。
恨めしく思いながら背を向けた男は何かを語りながら歩き、罵声を発している男はあまたの罵声をテンプスの耳にたたきつけている。
腰の件に手を当てた男は切りかかるパターンと脅しにかかるパターンの二通りの可能性に分岐していた。
殴りかかってくる男は殴ってくる一が数十に分かれ、その軌道のうちどれを選択するのかがわからない。
魔術はどのようなものを使うのか?火のパターンもあれば、土のパターンもある。
無数に分岐した可能性が彼の脳をきしませる――だが引くわけにはいかない。
この男の話は自分の弟や後輩に対していらぬ噂を立てる、必要のない疑念が、知られる必要のない事実に到達する可能性は十分にあった。
それは例えばセレエが試験に本来であれば落ちている事実であったり、ノワが本来は試験すら受けておらず入学する事実であったり――あるいは、マギアが本来はこの学園にいられない人間である事実であったり。
そういった、いらぬ噂を立てられるのはごめんだ。ここで黙らせたかった。あの少女たちや、弟たちにいらぬ世話をかけるのはごめんだ。
にちもさっちも行かず、ないない尽くしの人生だから。せめて、世話をかける人間になるのだけは嫌だった。
テンプスはこの男の話に乗らねばならない。いまの体調でどこまでやれるのかはわからないが――やらないわけにはいかない。
「――大体、死刑執行人などというゴミの――」
腹立たしいハエを黙らせるために、テンプスが口を開こうとした瞬間だった。
『ガチャガチャうるさい。』
「――かぺっ。」
「えっ。」
男子生徒が奇声と共に倒れた。
その顔を見れば、白目をむいて倒れ伏している――息を止められた人間の反応と同じだ。
「……マギアさん?」
からわらの大気の生霊に目線を向ける。
後輩の姿をとり、常人には見えないように隠れている強大な風の精はまるで何事もなかったかのように返事をした。
『なんです?話し終わってるんだから早く来てくださいよ、お昼終わっちゃうでしょう?せっかくテッラさんがお弁当持たせてくれたんですから。』
「いや、こいつ……」
『ん?ああ、疲れてるんじゃないですか?寝かせといてあげましょう、誰かが拾いに来ますよ。それよりほら、私ノワと違って治癒の術は得意じゃないんですから、さっさと終わらせてお昼です。』
「……うん……いや、せめて、だれか人呼ぶとか……」
『どうせこの手の手合いなら取り巻きの一人二人いますよ、それとも、この男のために私のお昼つぶすんですか?暴れますよ。』
「すごい脅し方するじゃん……せめて、周りのやつに知らせてやれ。」
『えー……ま、いいですけど。』
不満げに空を舞う不可視の後輩を見つめながら、テンプスは途切れていた疑問を再確認する。
『――なんで、公式発表されてないはずの段階で公認チームのなり替わりなんて噂が流れてる?』
あの時は頭痛のあまり考えつかなかったがおかしな話だ。
噂など流れるはずがないのだ――だって、だれも公認チームの存在など知らないのだから。
『……あの時、ぼくに質問した生徒……だれだったかな……』
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