嵐精招来

「――大丈夫ですか?」


 いつもの研究個室。椅子の背もたれにぐったりと体を投げだしたテンプスに心配のまなざしをしたマギアが訪ねる。


「ん……落ち着いた。悪いな。」


「いいですよ……それより、なんです、あれ。」


「わからん……いや、なんとなく推察はつくけど。」


「なんです?」


「理事長がやりやがった。」


「ふむ……?いや、状況的にそうでしょうけど、何をどうやったっていうんです?」


「たぶん、昨日の時点で――もっと言うと、僕と話す「前」に報道部と広報部に情報流したんだろう。」


 それは半分以上思い付きだったが、内心で言えば間違いないだろうと確信していた。


 先日の段階で


 そのうえで、今日――自分に伝えるまでは自分を含むチームのメンバーへの接触を禁止していたのだ。


「はい?先輩が断ったらどうする気だったんです?」


「断らないと踏んでたんだろ――もしくは、もっと単純に断った事実自体をこの報道でつぶす気だったか。」


 確かに、ノワとセレエを盾にされた以上テンプスにできることはない。断るというのはあり得ない案だった。


 が、それは彼女には確信できる情報ではない。故の保険だ。


 ここまで話が大きくなれば、自分がどれほど話を拒否したとしても周囲はそうだと扱うだろう。


 それを否定できる要素はあるが、それを相手が信じるかは不確定だ。


 周囲からそのように扱われている以上、自分はそれに見合った行動をとるしかなくなる――弟やマギアの名誉や生活のために。


 それを、狙っての初手情報開示だ。


「僕を逃げられなくしたんだろう。」


「……見下げた女……」


「頭がいいともいうがね。」


「性格が悪いの間違いでは?」


「それは……まあ、否定しないよ。」


 苦笑交じりに右手で受け止めた針をくるくると手でもてあそぶ。


「――なんですそれ。」


「わからん、さっき話聞かれてるときに飛んできた。」


「――はい?ってことはそれ。」


「うん、たぶん、狙われてんだろうな、指しびれるし。」


「――毒じゃないですか!」


「たぶんね。まあ、それほど強くもないけど。」


「ちょ、何のんきに話してるんです、とっとと放してくださいよ!」


「あそこに捨ててくわけにもいかんだろう、だれか拾ったらことだ。」


「いや、そうですけど……!」


 言いながら、部屋の机に針を置いた。


 細長い針だ、決して大きいというわけでもない、東の国から来た針治療?とかいう技術に使われるものだとテンプスの知性が語っている。


 手で持っていない部分がいまだに濡れている。触った感触から考えるに――


『魔術の毒じゃない、錬金術の類でもない……単純に植物毒を縫っただけか?』


「……魔術的措置はされてません、毒自体は調べてみないとわかりませんがたぶん、『サーヌの葉の残滓』当たりですかね。」


「……自律神経をつぶす毒だったか、筋肉を機能不全にするやつ。」


「ええ、呼吸ができなくなるやつです。殺す気ですね。」


「ふーむ……」


 面倒なことになった。明らかに殺意がある。


「また、学園で狙われるのか……」


 あの婚姻騒乱の一件で膿は出し切ったと思っていたが、どうやら、まだ問題はあったらしい。


「犯人は見ましたか?」


「見た――が、だれだかわからん、ちょっと……調子悪くてな。」


「……そうですか。」


 そういって、マギアはむっつりと黙り込んだ。


 明らかに不満げだ――当然だろう、またこの手の手合いだ。魔女を叩き潰して日常を送れるはずがまたしても異物が混入した。


『僕狙いで妹の入学にケチが付くのもあれだよな……』


 自分の方だけで手一杯なのに、この上体調不良の先輩の厄介ごとまで押し受けられてはたまるまい。


『……まあ、この程度なら僕一人で解決できるだろう。』


 そう考えてテンプスが口を開くのと、マギアが声を発するのはくしくも同時だった。


「――昨日の話だと、ノワが編入するのは明日ですね?」


「――ん?ああ、確かそういってた……はず。」


 頭痛と失神のせいでどうにも判然としない記憶だったが、理事長の部屋を出る前にそのようなことを語られた気がする。


「そうですか……では、今日一日、なるべく私から離れないでください。」


 そういって、テンプスを見つめる視線は決然とした覚悟に満ちている、有無を言わさぬ構え。


「大げさだな……これぐらいならどうにでもな――」


「普段ならそのセリフも認めますが、今のあなたでは信用できません。」


 ぴしゃりと反論をつぶす。どうも何かの逆鱗に触れたらしい。ひどく――怒っている。


「……や、あー……君、授業どうすんだ?」


「ああ……いいですよ、さぼります。」


「よせよせ、闘技場の件で結構休んでんだろう?教員もそろそろ許さんぞ。」


「知ったことじゃありま――」


「ノワ、学園入るだろ?姉があれだと――いろいろ言われるぞ。」


 それは経験則から来る警告だ、それゆえにか、どこか重い響きで空間を揺らす。


「……入学自体、私たちの意図じゃありません。」


「でも、今の世の中、生きていくならここの学歴は役に立つ。」


「その程度のことであなたを危険にさらせと?冗談でし……待ちなさい、もしかして、あなた、そのためにあの女のたくらみに乗ったんですか?」


「さてね――せっかく幸せになれるんだ、自分から危ない道に行かなくてもいいさ。」


「……その結果、あなたが死の危険に瀕してもですか?」


 ジトっと、相手を見つめる。


 いい加減この男は自分の価値というものを理解するべきだという思いを乗せた視線を、テンプスは気が付いているのかいないのか、あっさりとこういった。


「――そうだよ。君はもうちょっと自分が幸せになることを考えてもいい。」


 その一言に、マギアは相手に視線を注ぎ――それが効果がないと判断するとそっと視線をそらした。


「……なるほど、これはイラつくな……」


 思わず漏れた声には強い怒りと誰かへの共感がこもっていた。


「?」


 首をひねるテンプスをしり目に、マギアは深く息を吸い、大きく吐いた。


「……わかりました、少なくともあなたは私が授業に出ないと私に守られる気がないと。」


「ん、いや、っていうか、この程度のちょっかいなら――」


「――いいですよ、やってやろうじゃないですか。」


「――へっ?」


 次の瞬間、マギアの体から噴き出した魔力は彼女の実年齢を思い出させるに足る強大で恐ろしい巨大さを誇っていた。


In nomineパランドゥーアの magus Parandur術師の名において, quod ultra est彼方のものをここに


「あの……マギアさん?何して……」


Spiritus estそれは atmosphaerae putrisそれは朽ちたりし大気の生霊, incarnatio cyclonis,低気圧の化生 fratres mei我が同胞.」


「まぎあー?なんかすごい風が……」


「Qui hanc vocationem auこの呼び声が聞こえるdierit, mox hic eritもの速やかに現せ!」


「……聞いてくれない……?」


Atmosphaerae大気の Irae evocatio生霊の召請


 ――瞬間、閉じ切られていたはずの窓が開け放たれ、勢いよくつむじ風の塊が部屋に飛び込んだ。


 強風に一瞬だけ目を閉じる――次に目を開けたときに目の前にあらわになったのは、正しく化け物だった。


 まるで霧か雲が生き物になったかのように形を成して、周囲の塵やごくかすかに残ったごみをかき集めて体内に巻き込んでいた。


 顔に当たる部分に目と口らしき空洞を持つその生き物は、その姿を不定期に崩しては変え、より不吉で不安を掻き立てる姿にかわる。


 それは低気圧の化け物――『スピリット・オブ・エア』だった。


「――ああ、来ましたね。ご苦労。」


 そういいながら、マギアは低気圧の化け物をなでるように手を動かす。


 その姿はまるで――宗教画で描かれる聖女か、あるいは童話の挿絵に描かれる悪い魔女の様だった

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