聞きたいこと
「遅いですねぇ……あなたの本体は何してるんでしょうか。」
校門の前、かけられた巨大な時計を眺めながら不満を漏らしながら傍らの自分の使い魔に声をかける。
水晶に蜘蛛の足を生やしたような不可思議な生き物――ソリシッドアグロメリットはそれはわからないと言いたげに首をひねっていた。
「もう別れてから三十分ですよ?女性は待たせるなって基本的なことができないのは問題ですね。」
そういいながら、ひし形の体をなでる。
よくよく触れてみれば、この生き物も不思議な感触をしている。
意思のように確かな感触があるというのに触れている個所は人の肌のように柔らかい。
くすぐったいのか、あるいは彼の中にあるとされる『先輩』の精神が子ども扱いを嫌っているのか身をよじるようにして手から逃れる水晶の蜘蛛を眺めながらマギアは視線を前に向ける――まさかと思うが、研究個室にいるなんてことはないだろうか?
「どう思います?アラネア。」
肩に乗りながら大きな方の気配を探っていた水晶の蜘蛛に問いかける。
この人造生物に名前が付いたのはテンプスが意識を失った翌日だ。
周囲のオーラを回収し復活した彼に、マギアはテンプスに語ったものと同じ感謝を伝えて、こう尋ねた。
「――あなたさえよければ、私の使い魔になってほしいんですが。」
そういわれた水晶の蜘蛛はいささか驚いた。
彼の中にある魔術の知識に魔術師が使い魔なる生物を使役することは知っていた。
猫だの犬だの……そういった生物を扱うのだと知識もあったが、自分のような人造生物にそのようなことができるのかはわからなかったのだ。
ただ――できるというのなら、自分に刻まれた使命にこれほど適したことはない。
常にそばにいても問題がないのだ。これほど楽なことはない。
「いや、その……最近、授業でも使い魔を連れている子が何人か出てきましたしその……あなただと安心なんです。」
そういわれて、彼はその役割を了承した。
その時にもらい受けたのがこの『アラネア』という名だ、古代の魔法文明において『蜘蛛』を意味した言葉であるらしいその名を彼は由来以外気に入っている。
問いかけれた問いに首を横に振って答えを返しながら彼は自分の名について考えていた思考を打ち切った。
――なぜだか知らないが、自分の主が自分をまじまじと見ていたからだ。
「……そういえば、あなた、先輩と同じ思考回路なんですよね。」
ぽつり、と、彼女は言葉を漏らす、考え事に集中しすぎているとき特有の反応、ここ何日かで分かった彼女の特徴だった。
「――ちょっと付き合いなさい、暇つぶしです。」
そういって、彼女はおもむろにアラネアの体をつかんだ――逃れられそうもない力。
嫌な予感がした。
「……さて、こんなもんですかね。」
一息つきながら腰を上げる。
地面には逃れようとした結果、鎖で縛り上げられたアラネアが木の枝で描かれた魔術の円陣の上で転がっている。
じたばたと暴れる水晶の蜘蛛をしり目に、マギアは瞬間的に変質させた魔力を放射した。
円陣が鈍く輝く。
次の瞬間、アラネアの体から蒸気が吹き上がりその煙が人の形を成した。
『精神体の接触』
アラネアの中にある思考能力に形を与え、情報を引き出すための魔術は思ったよりも簡単に通じた。
「お、うまくいきましたね。さて……なに聞きましょうか。」
腕を組んで考える――困ってしまった。
聞きたいことは山とあったが、今やる必要があってこの行動に出たわけではないのだ。
手元にアラネアがおり、単純に暇で、それでいて普段謎なテンプスの思考をいくばくか知れるチャンスがあった。
だからやった。知識欲が暴走しているとき特有の反応だった。
それに――知りたいことがある、ただ、聞くべきかどうかがわからない。
「そうですね……ああ、食べ物で何が苦手です?」
ゆえに日和った質問を投げた。
『……ケールとか、苦いもの……』
「ほう、意外ですね、苦いもの好きかと思てましたが……では好きな食べ物は?」
『……甘いの……』
「む、そうでしたか。そういえばアイス食べに行く約束、まだ果たしてませんよ。」
まるで今思い出したかのようにずっと胸に秘めていた楽しみの話を告げる――行く暇がないが、誘われないことに不満はあった。
「ふむ……術は聞いてますね……では――こ、好みの女性って、どんなタイプ……です?」
まるで、爆弾でも抱えているかのようにおっかなびっくり問いかける。
「や、その……別に、好みに興味があるとかそういうわけではないんですよ。ただ、その……あー……術の効きぐあいの確認で――」
誰が聞いているわけでもないのだが、口からとめどなく言い訳があふれる。
『……昔、近所に住んでたこ……きれいな……』
「――ほう?どんな娘です?見せなさい。」
一瞬で言い訳が止まった。
先ほどまでの慌てようはどこへやら、まるで氷河にでもいるかのような霊気を放ち、マギアは精神体に命を下した。
蒸気が姿を変え、そこに現れるのは少女の姿だ。
彼が最後に見た姿のせいかいささか幼いが、確かに可憐な少女だった。
まあ最も――
「……私の方が美人ですね。よし、許そう。」
本人がいれば「何を?」と聞きそうな一言が漏れた。
実際、天人や天上界の住人に匹敵するマギアに比べれば、見劣りするのは致し方のないことだった。
「全く、先輩も存外女々しいですね、初恋相手ですか?」
変身したその姿をまじまじとながめながら、からかうように笑う。
かすかに女性的な、けれど子供っぽいその姿を視界に焼き付ける。
黒髪、黒目、かすかにたれ目、桃のような色合い唇、自分ほどではないが美しい肌、胸はほどほど――がたぶん自分よりでかい――優しげな雰囲気。
「……黒か……」
自身の顔の横に流れる髪を手で撫で、口元に引き寄せる。色は銀だった。
見れば見ただけ、自分とは違うタイプの人間だ――だから、ずっと聞きたかった質問が口をついた。
「……その、私のことはどう思ってるんです?」
好みの話から地続きのそれは、しかし、恋愛関係の話ではなかった。
「邪魔だとか……迷惑だと思っていませんか?」
それは、この家に転がり込んだ日からずっと気になっていることだ。
自分は彼の優しい言葉に乗り、この場所に居ついた。
厚意に甘えて、家まで貸してもらっている。
一般人には襤褸屋でも、逃亡生活の長いマギアには十分すぎる家だ、広いし、魔術の実験もできる。望むべくもない環境。
だが――それに比して、自分は彼に何かを返せているとは言えない。
居候の義務として、相応の手伝いはひっそりと行っている。が、それだけだ。
彼が巻き込まれる問題に比べれば、塵ほどの勝ちもない。
「……もし、あなたが私……私たちを邪魔だというのなら、私たちは消えます。どこか適当に泊まれる場所を探せばいいことですから。なので――正直に答えてください、どう、思ってます?」
理性のあるテンプスならば「そんなことはない」と答えるとわかりきった質問だ。
だからこそ、嘘のつけない思考回路だけのテンプスに聞きたかった。
意気地のない彼女にとって、最大限振り絞った勇気と質問は――
『――思ってない。今まで大変だったみたいだから、もっと幸せになればいいと思う――』
ほとんど悩むでもなく、あっさりと告げる蒸気の残影によって報われた。
そういわれたときのマギアの内面の情動を言葉にすることは難しい。
複雑で絡み合っていて、声にならない物だったが――少なくとも喜んでいたことだけは確かだ。
「ふふっ、全く、私のことだい好きじゃないですか先輩。結構結構!それじゃ次は――」
再び質問を口にする――別にテンプスのことを心配していないわけではない。ただ、まだ三十分だ、話が長引いているだけという可能性は十分にあると考えていた。
――この時、彼女がテンプスの体調の変動を考慮していないのはいくつか理由があった。
一つは別れるときにテンプスが平気だといったことに嘘がなかったことだ。
魔術を併用した瞬間的な虚言感知に彼の言葉は引っかかっていない。故に、問題はないだろうと考えていた。
もう一つは――彼女の体内の『魔女の祝福』の影響だ。
卓越の知性を与えられた彼女はその代償に知識欲を抑えられない。
故に、彼女はテンプスのことをわきに置いてしまった。
このことを後悔するのは――この直後のことだった。
「――おっ?いたいた、魔術師ちゃん?」
「!」
肩が大きく浮いた。
質問に集中しすぎて、真後ろに人がいることに気が付いていなかった。
不意打ちを受けたとて、対処できる準備は済んでいるが驚きは驚きだった。
即座に術を解除、蒸気の人型を消滅させ、振り返る。
「……誰です?なぜ私を?」
そこにいたのは自分と同じ程度の背丈の女子だった――一回生にこんな娘いただろうかと内心で首をひねる。
「んー……ま、生徒の情報に詳しい人ってとこかな?それはともかく――」
どこか、どうでもよさそうに彼女はマギアに視線を向けて。一言漏らす。
「――君の先輩、テンプス君のことで話があるんだけど。」
そういって、彼女――ステラ・レプスはゆるい笑顔で笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます