一年前
「ごめんね、ジャックの件、任せちゃって。」
次に口をついて出るのは謝罪だ。
この人と会うときは大体謝られてる気がするなぁ……と苦笑しながら、テンプスは乾いた唇を動かした。
「いいさ、理事から圧力でもかかったんだろう。」
「……わかる?」
その声には無力感がにじんでいる――そうだろう、彼女たちからすれば、忸怩たる思いがあるのは想像に難しくない。
「先生もずいぶん苦心してたからな……」
「一応、被害にあってるのが確定ししてる子たちには謝罪はすませた、それで何かがよくなるわけでもないけど……」
「やらないよりいいさ、先輩さんでも同じことしたよ。」
「……ソムニ先輩ならもっとうまくやったと思うよ。」
「……そうか?ドジって下水で迷子になるような人だぞ。」
「……や、うん、ちょっと私も『いや、ちょっと無理かな』って思ったよ。」
どこか仲の良い友人のように話しながら、二つの影が廊下を歩く。
――ステラ・レプスとテンプス・グベルマーレの関係は一年前に始まった。
当時の恩師の不調に端を発した、三日間の大騒ぎだった。
テンプスの恩師であり、この学園で数少ない敵対していない教員だった彼からの依頼でかかわったステラの先輩と彼女の属する校則違反者対策委員会の問題を解決するためにテンプスは奔走した。
夜の闇の中を駆け抜け、後ろ暗い者たちのわきを駆け抜けて、突き止めた真相は決して愉快なものではなかった。
苦痛をもたらす結論の果てで、暴走を始めたステラを止めるために立ちふさがったのがテンプスだったのだ。
フェーズシフターも鎧もない戦いは決して素晴らしいとは言えないものだった。
罠にかけ、相手を怒らせ、正常性を奪い――そのうえでなお、テンプスはぼろきれのように何度も空を舞った。
たったの一撃。それが彼にできたすべてだ。
無事にすべてが終わったのは半分以上偶然だった。
いくらかの苦痛と教訓を残して終わったあの大騒動を、ステラは借りだと考えているらしい。
「気にしなくていいのに……」
枯れ枝を踏むような乾いた声が響く。
「ん?ああ、去年のこと?そうはいかないよーあれは私、すごい助かっちゃったからねぇ。」
カラカラと笑いながら、テンプスに向けてそういって笑うこの小さい少女が実は自分の先輩で、ついでに言うなら殺す気できたテッラ並みに強いというのだから、どうしようもない。
「――真面目に、感謝してるよ。おかげで後輩のこと見て上げられるし。」
そういって、すっと笑みを消した彼女はあの夜に見た顔と同じ色を宿している。
こちらが素なのか、あるいは先ほどまでのけだるい姿が本性なのか……テンプスにはわからなかったが、どちらにせよ、自分をここに置き去りにするようなことがないことだけは確認できていた。
「にしても――」
からかうように顔を覗き込んできたステラにテンプスはいぶかしげな声を上げた――そういえば、視界が少し回復し始めている。
「なんだよ。」
「べつにー?私に『見ないふりの言い訳に人を使うな』って説教してきた人がずいぶんいいカッコになってるなぁと思っただけ。」
「……あー……」
思い返すのは一年前の記憶だ。
自らを犠牲にする計画を立て、その身をよからぬ側に売り払おうとした彼女を食い止めるために話したいくつかの挑発にそんな一言を混ぜた記憶は確かにある。
あの時の彼女と今の自分。
確かに変わりはしないように思えた。
「……わかってるよ、ただ……いろいろあったし、家族とも久々の再開だったんだ、あの時はそれほど体調も悪くなかったし、なんとかできるはずだと思ってたんだよ、それに、自分が体調が悪いなんて他人に言うことでもな――」
「相談はできないのに言い訳は長いんだねぇ。」
「!」
『相談はできないのに言い訳は長いんだな。』
いつぞやセリフ、一年前に自分が彼女に投げたそれをまだ根に持っているらしい。
苦笑しながら、足に力を籠めようとしてみる――無理だった、体がマヒしている。
「悪かったよ……後輩に心配かけたくないって気持ち、わかったよ、意外と難儀だなこれ。」
「でしょー?あれ私結構苦渋の決断だったんだから。」
そういって、へにゃと力の抜けた笑顔を向けられる。
近いな……と思いながら、テンプスは苦笑した。
「あの人は?元気にやってんのか?」
「……ちょっとうざいくらいにねー……一昨日うちに来て二時間ものろけていくからぶん殴ってやろうかと……」
「そりゃよかった――あの時は助からんと思ってたしな。」
「ほんとにねー」
思い出話に花を咲かせて――ふいに、ステラが言った。
「――魔術師ちゃん、校門のところで待ってたよ。」
「――!」
二の句が継げなくなった。
もしや――と思ってはいたのだが……
「モテモテだねぇ、センパイ?」
「……からかうなよ、先輩。」
「んー……ごめんごめん、でもさ、まじめな話――」
スッと顔から表情が抜ける。
戦闘時の顔だ。相手を叩き潰すためにする威圧だ。
「問題があるなら、ちゃんと言いなよ、私みたいになりたくないならさ。」
その一言にこもった思いがどれほどのものかは誰にもわからない。
ただ、そうするべきだと感じさせるすごみがあった。
「……わかった。」
「ん、よろしい、たまには先輩らしいことしないとね――ついたよ。」
その声にテンプスは顔を上げる、そこにあるのは一枚の絵だ。
「……ここに何が……」
「ちょっと待っててねーっと。」
言いながら、絵画の額縁に何やらがさがさとあされば、お香減少は驚くべきことだ。
『絵の部分が消えた。』
額縁の部分を残し、何も残らなくなったその絵の奥にあるのは階段だ。
「――どうぞ、執行部の秘匿空間へ。何にもないから、ゆっくり休めるよ。」
そういって、階段を下る。
その先にあった空間はひどくだだっ広い石造りの空間だ。
「……いいのか、僕がここ入って……」
「よくはないけどねーま、いくらでもごまかせるからね。」
「そうか……考えたもんだな……」
苦笑しながら彼は自分の意識が闇に沈みつつあるのを理解していた。
「ん、まあ、いろいろ――って、ありゃ、またダウン?」
「……らしい、ちょっとねる……」
「アイアイ、しばらくはここ、だれも来ないから。ゆっくり休んでねー」
そういって手を振る彼女の声を聴きながら、テンプスは地面に倒れこんだ――もう動けそうになかった。
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