肉体の限界

 豪奢な廊下をテンプスは這う這うの体で歩いていた。


「……っ――ぁああ!」


 頭痛に耐えるように叫ぶ。


 体がぐらぐらっと揺れて足元の感覚がおぼつかない。


 おぼつかないから、立っているのすらつらい。すべてが不安定になっている。


 どこに向かっているのか、歩いている彼本人にすら見当がつかない。


 自分の目論見がうまくいったことに機嫌をよくした理事長は、彼に魔術的な誓約書を書かせ――ジャックに使った荒れ野廉価版だ――彼を部屋から追い出した。


 そこまではいい、チームに入ると宣言することで後輩たちの望みがかない、家族が1200年の空白を埋められるのなら自分の身代などどうでもよかった。


 問題は、悪化を続けている体調だ。


 チームに入ると告げたせいで、脳がまたしても暴走し、ありもしないの景色で視界を汚染している。


 力が強くなりすぎていた。


 精神がせき止め、知性が制御していた肥大化し強化された能力に耐えきれず暴走を続けている。


 複雑化したパターンが脳を汚染している。


 いづれたどり着くであろう可能性の果てが彼を苛み、脳が破綻をきたしている――前が見えない。


 よたよたと歩くその姿はまるで生まれたての赤子か――あるいは、死にかけの老人だった。


 体がガタガタと震えだす、精神抑えと知性の制御で薄皮一枚の便りなさでようやく保って居た均衡が崩れている。


 過剰な負荷に体が、脳が悲鳴を上げて叫び、震えている。


 これが、肉体の限界だった。


 だからこそ――


『―――何―とか……しないと……』


 準備が必要だった。


 自分はおそらくそれほど長く持たないだろう、早晩動けなくなる。


 このまま死ぬつもりはないが、回復にどれほどを要するのかわからない。


 のだ。


 自分の状態と体調の変化から何が起きているのかは察しがついていたが同時に、対処法はわからないままだ。


 抑える方法はわかっているが――それだけだ。治す方法は今のところない。


 対策が必要だった。


 自分が動けなくなった後の対策が。


 自分が助けてやれなくなった後でもあの家族や弟が平穏に暮らせるように。


 今作っている霊体探知用の装置をわきに置き、その延長にある装置を作ればいい。そうすれば最悪、自分なしでもどうにかなるはずだ。


『たいさく……』


 たいさくだ、どうにかできるさんだんはある。


 そのためにも、そうちを……そうち……


 あいつにまかせて……つぎ……


 ……ぼーっとする……


「――ウェー、大丈夫?」


 気の抜けた声が響く。


 聞き覚えのある声だった。


 かすむ視界に移るのはかすんだ人影だ。


 どこかで見覚えがあるような気もしたし、はるかかなた未来の可能性を眺めているようにも見えた。


 うすぼんやりと見える影は、どこか古い知人のようで……


「……ぁ……?」


「……本気でまずそうだね、医務室?」


 先ほどmでの期の抜けた声から一転し、気迫に満ちた声になった何者かの一言は


「ぃぃ……あそこじゃ治せない……」


 かけられた声にどうにか反応しようとのどが震えた。


 かすれた声が出る。まるで洞窟か何かを吹き抜ける風が偶然出すうめき声のようだ。


「ん……ま、君の体質ならそうか……それで、立てる?」


 何をおかしなことを……座ってなんて……


 そこで気が付いた、自分が膝を屈して歩いていなかったことを。


 よくよく感じてみれば、体の横側に痛みと壁の存在を感じる。どうやら自分は壁にもたれて失神しかかっていたらしい。


「ほら、肩貸すから……どこに連れて行けばいい?」


 耳元で聞こえた優し気なその声に、古い記憶がはじけるようにあふれた。


「……あんた……」


「んー?そだよ、私私、ようやく気付いたー?ほんとにやばいんだねぇ……」


 どこか困ったように、彼女――、ステラ・レプスは笑った。


 マギアと同じ程度の背丈のその少女は誰にも素性を知られぬように学園における犯罪者を狩り出す、尋問科の特記戦力だった。


 去年、偶発的で、けれど避けのようのない事件の際に交戦し、先日の闘技場の一件以上の大怪我を自分に負わせたこの少女とテンプスの関係はいささか複雑だった。


「ほら、いつまでもここにいると教師に見つかる、ヨット!」


 その小さい体が、自分の肩の下に体をやり、勢いよく体を持ち上げる――いったい、この体のどこにそんな力があるのか。


「……ご、めん……」


「いいって、去年の借りも返せてないし、この程度なんてことないよ。」


 カラカラと笑う声が響く。


 いまだにかすむ視界を恨めしく思いながら、テンプスは体重をあづけた。


「で、どこに行けばいいの?」


「……どこでもいい……ひと……人のいないところなら……できるだけ静かな……何もない……と…ろ。」


 それはこの症状の対処法だった。


 この体調不良はおそらく、『精神を強く脳と接続させるときに起こる』現象だ。


 例えば、何かをしようとするとき。


 例えば、何かを考えようとするとき。


 例えば、何かと戦おうとするとき。


 例えば――何かのパターンを見ようとするとき。


 そういったときにこの脳の暴走は起こる。


 であるなら、パターンを読む必要のない状態に自分を置けばいい。


 何の情報もない場所、何かを探る必要のない場所。


 何の未来も見いだせない場所。


 そういった場所に行く必要があった。どれか一つでもいい。


 あの女が不必要に増やした選択肢を削り、脳を正常な運動状況に戻す必要があった。


 そのために、なるだけ情報がない場所が必要だった。人のいないところ、できるだけ静かな何もない場所が。


「注文多くない?ま、いいけどさー」


 わきの下に通された腕に力がこもり、テンプスの体を後押ししていく。つくづく不思議な人だ――さすがに、自分の先輩ということだろうかと、どうでもいいことを考えていた。


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