スカラーの後継者
「……それを僕に伝えてどうしようと?」
最初に口をついて出たのはこんな言葉だった。
「いえ、別に、ただ――」
――助けたいとは思いませんか?――
それは天使の一言――に見せかけた悪魔のささやきに聞こえた。
「……どういうことです?」
「大したことではありませんよ、あなたも見ての通り、そちらの回答の誤りはわずか一問、それを――」
理事長が手を振った――瞬間、手に持っていた答案の一部が書き換わる。
一か所のバツが丸へ。
これだけで、彼女はこの学園で――愛する人間のそばに立つ権利を得る。
「――こうして上げることはできる。ということです。」
そういって笑いかけるその顔に一部の隙もない、完全な笑顔だ――そう見えるだろう、常人には。
だが、テンプスにはそうは見えない。
木の葉を見た時のように無数のパターンを見つめる暴走気味の視界で、彼は確かにこの女の内面のパターンを見た。
目的のために手段を択ばないその色合いは――魔女のそれに近い、だが、明確に違う。
もっと色濃くて――新鮮な色合いだった。
「――あいにくと、うますぎる話には乗らない主義だ。」
気が付いたとき、テンプスはそういって踵を返していた。
明らかに乗るべき内容ではない。
法に反しているかではない、この女のたくらみに乗れば自分ではなく救うべき彼女たちに危害が及ぶ、そんな危惧があった。
「あら、そうですか――」
扉に手をかけた時だった。
「――マギアさん、最近お母様と妹さんがこちらにおいでになったそうですね?」
ドアノブに触れた手が止まる。
「……ええ、それがなんです?」
「当校は常に優秀な人材を求めています、聞けば、妹さんはかなり治癒の魔術がお得意だとか。」
「……!」
事実だった。
マギアに聞いたところによれば、彼女の妹は彼女の祖母から治癒の魔術の手ほどきを受けたとされ、眠りこけていたテンプスを癒してくれたのも彼女であるらしい。
「あなたもご存じと思いますが、当校は常に!才能のあるお子さんを歓迎していますよ。」
「……」
「そうそう、あなたもよく利用するあの大図書院、実は人員が足りないと庶務から報告が上がっているのですが――」
――どこかに、いい人間はいないでしょうか?――
わざとらしい一言、それが意味することも彼は理解できた。
「……何がおっしゃりたいのやらですね。」
「そうですか?すでに分かっておいでのようですが……」
からかうような色が声に混ざる。まずい、相手の掌の上で踊っている――抜け出す必要があった。
「……なぜ、彼女たちを狙う?」
言葉に険が混ざる。
明確な敵意を持って放たれた言葉に、周囲のパターンが変化した。
こちらに向けて放たれる明確で、覚えのある気配――尋問科の連中だ。こちらを見ている。
気配を感じ、戦いを予感して。脳がまたしてもうごめく。
現れるのは相手がどのように動くのかのパターンだ。
まるで青い残像のように視界に現れるそれは同じ軌道を通りながら全く違う人物を複数に映している。
大きいもの、小さいもの、男、女、生徒、教員……あらゆる可能性が脳を駆け回り、思考と視界を圧迫する。
空回りする思考が頭痛生んだ。
とっさに下を向きながら歯を食いしばる――この前よりもひどい。
そんな、テンプスに恐れるでもいぶかるでもなく、理事長は語る。
「なぜ――と聞かれましても、大した理由があるわけではありません。聞くところによると、そのお二人はあの闘技場でとらわれていたと聞き及んでいます。」
そういって、彼女の目が鋭さを増したことに、脳の暴走に苦しむテンプスは気が付けない。
「――つまり、彼女たちにはあの施設を運用するほどの人間が認める価値があるということでしょう?」
そういって爛々と輝く瞳はまるで獲物を狙う獣か……さもなければ、異邦の大いなる存在を信じる教信者のような瞳だった。
「そういった方は歓迎ですよ――先ほども言いましたが、当校は才能のある方は歓迎していますので。」
そういって女が椅子から立ち上がる。
腰のフェーズシフターに手が伸びている――変形させるまでに二秒、向けて放って……ギリギリ割り込んでくる外の連中の攻撃が間に合わないタイミング。
だが、這いまわる水銀の虫たちのせいで集中できていない。鈍痛は強く、視界がゆがむ。狙えるのかは疑問が残った。だがやるしかない。
「それに――それだけの価値のある人間を放置しておくのはあまりにも危険では?」
にこやかに告げる――またしてもパターンが増えた。
こいつが善良である可能性、この女が敵である可能性、魔女のしもべである可能性、たくらみが自分を傷つける可能性、計略が自分の守るべきものを気付つける可能性。
すべてが同時に押し寄せて、払いきれない。
まるで脳に煮えた水銀でも流されているかのような不快感。
「……代償を払えばそれを救ってやるとでも?」
「ええ、そうですね、むろん、何かを得るためには対価が必要です。そのために――頼みごとが一つ。」
「……なんです?まさか、ジャック・ソルダム宜しく、奴隷にでもなれと?」
「まさか、あの男のように愚かなことはしません――そのようなことをして、あなたの弟やマギア女史の逆鱗に触れたくはありませんからね。」
「……では、なんです?」
「あなたには私が新設するこの学園の特任チームの一員になっていただきたい。」
「……それだけ?」
正直、拍子抜けだ。
いまだに煮えた水銀が形を変えた虫が這っているような嫌悪感を感じる脳を無視しながらテンプスは考える――それにどんな利点がある?
「ええ、それだけです。たったそれだけで、あなたの助けたいお相手は幸せになりますよ――どうします?」
それが当然の権利か何かのように、女はその一言を告げた。
駆け回る頭痛が激しさを増している――限界が近い。
「……なんで……」
力の入らない膝に活を入れながら、彼の口をついて出たのは疑問だった――一体、この女はなぜ自分を?
マギアから引きはがすためか?それなら、退学にでもすればいい。
自分にさせたいことがある?いったいどんなことだというのか、味噌っかすで名高い自分に。
「なぜ――ああ、この契約内容である理由ですか?」
「……」
肯定するように視線に力を籠める――どうにかできた。
これ以上、この状態が続くのはまずいとがなり立てる体を意思の力でねじ伏せる。理由を聞く必要があった、ことと次第によっては、ここでこの女とけりをつける必要がある。
「なぜといわれましても――」
首をひねって、女は驚くべきことを口にした。
「――あなたも十分、価値のある人間でしょう?スカラーの後継者。」
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