あの人がかわいらしいのはわかりますが
「――つまり、霊体ないし肉体や精神力を魔力に変換する『意志』というものには、人体が生まれつき持つ『防衛的本能』も含まれるわけです。そういった普遍的で、意識的に考えることのない意志が私たちの精神や肉体を魔力を精製され残留し、結果的に魔術からの防壁になります。俗にいう『肉体が持つ魔力』というやつですね。」
ここ数日ですっかり埃の気配のなくなった室内にマギアの声が響く。
翌日に編入試験を控えたこの日、最後の追い上げにかかるセレエの顔には決断的な意思が浮かんでいた――最も、その意思に見合うほどの成果をあげられているのかについては疑問が残ったが。
先日の惨事を恐れてか、ノワはすでに母と買い出しに行くと告げてそそくさと逃げ出したこの室内にいるのは、教員役のマギアと生徒のセレエ、そして、何やら不可思議な薬品に磨かれたガラスを漬け込んで何やら作っているテンプスだけだ。
必死にペンを走らせる少女はふと思い立ったように手を挙げた。
「ハイ!」
「はい、セレエさん。」
「その場合、テンプス君の体質ってどうなってるの?」
それは、純粋な疑問から出た言葉だった。
『魔力不適応者』
自身をあの暗がりから救い出した恩人にして、この家の家主であるテンプス・グベルマーレ。
学のない自分には到底理解できぬ超自然の力と不可思議な装置を扱う彼の持つ最大にして最も恐れるべき『障害』と言っていいその体質は、この説明ではいまいち納得ができない。
この説明ではまるで彼が『防衛的本能』を持たないように聞こえる――そんなことあるだろうか。
「むっ、いいところに気づきますね……まだ、研究段階の話になりますので、個人の見解の域を出ませんが――あの種の体質はおそらく『魂や精神の力が人体の限界を超える』人に起こる変調ではないかと考えています。」
「……どういうこと?」
「ん、まあ、わからないでしょう、一昨日、人体と魂の関係については教えましたよね。」
「うん……えー……あー……それぞれ別々の場所にあるんだよね。」
「……そこはかとなく不安にさせる反応でしたが……まあ、そうです。簡潔に言ってしまえば肉体とは『精神や魂といった形のないものが物理世界に干渉するために与えられた形』にほかなりません。」
そういって、彼女は手のひらの上に二つの魔力塊を生み出して見せる――さらりとやっているが、これがとんでもないことだということがわかる人間はここにはいない。
「我々は物理界に生まれると同時に『精神』と『魂』を得ます、我々の生存に不可欠なもの。ですが、これらは明確に存在可能な領域が決まっています。」
それぞれの魔力塊にマギアの意思が伝達され、脳内に仕込まれた魔術円が作用し、色合いが変わる。
「『精神界』と『幽鬼界』だっけ。」
「ん、よく覚えてましたね。そうです。物質界に接する『隣接次元』と過去呼ばれていたこの二つの領域は質量をもちませんが、それゆえに無限の広さを持つとされます。」
そういって、彼女は自身の掌の二つの球体を無作為に広げた――無限の広さを持たせることはできないがおおまかなイメージにはなるだろう。
「この次元の内部に、我々の魂や心があるわけです。ただし、このままでは我々はエネルギーを得ることができません。栄養を摂取できませんからね、精神にせよ魂にせよ、そのままでは成長できません、そこで生み出されるのが――」
「体?」
「そうです、理解できてきましたね。つまり、肉体というのは『精神や魂がエネルギーを得るための手段』と考えていいでしょう。そのエネルギーを得るために、精神や魂は体の各器官――精神なら脳に、魂ならば心臓に宿るわけです。」
「ほえー……」
呆けたような声が上がる。
実際、これはかなり学術的に震度の深い話しだ。学者にも理解できていない人間がいるような話である。
「さて、話を戻しましょう、先輩の体質ですが――これはおそらく、「肉体を凌駕するほどの精神もしくは魂の力が強い」人間に現れる形質だと、私は考えています。」
「けい……?」
「要するに、力が強い人の特徴ということです。」
「……なんでそうなるの?さっきの話だとそういうのが強いと魔力も強くなるんじゃない?」
首をひねる。
話のつじつまが合っていないように感じる。
「そうです、基本的には。」
「基本的には?」
「ただ、ごくまれに、肉体の限界を超えてそれ等が強い存在が現れるのでしょう。そういった存在は『魔力を栄養の一種』として見ているとすれば――」
話の筋はとおる。
「要は足りてないんですよ、栄養が。常に空腹だといってもいいでしょう。だから、『防衛的本能』に基づいて力を回収しようとする。」
故に、魔力を体内に強く誘因する。エネルギーにするために。
「だから、魔力の防壁が生まれないんです、作る必要がないから。ただ、肉体はそうもいきません、物質的に存在するものは物質の法則に縛られますから。」
故に、疲れもするし腹も減る。本来、体にないものを過剰に取り込めば体調を崩し、魔術でケガもする。自然の――物理の摂理だ。
そもそも、肉体には魔力を消化する能力自体がない。肉体的に受け入れられる限界を超えれば肉体を害する。
「だから、不利な影響を強く受けるんですよ、こう考えればいろいろと納得がいきます。」
「ほぇー……すごいんだね。」
そういって、セレエは後ろを振り向く。
そこにいるのはどこかぼぅっとした印象を受ける地味な少年だ。
テッラのような美丈夫ではない、サンケイのように美しくもないどれかといえば犬に近い顔立ちの少年。
けれど、彼が自分たちを救ったのだ。
「……なに見とれてるんです、あの人がかわいらしいのはわかりますが、脱線しすぎてるんですから再開しますよ。」
「いや、別に見とれてはない――かわいい?」
「?かわいいでしょう、ちょっとへむくちゃれですけど。」
「えぇ?」
「?」
改めて見つめる、頭部は幅が広く、鼻は平凡、眼はやや小さく。 耳は比較的小さくて薄い。
確かに犬っぽい顔ではあったが、かわいらしくはなかった。どちらかというとちょっと不細工まである。
心底から不思議そうな声を上げるセレエをこれまた不思議そうに見つめるマギアをかすかに残った部屋の埃とマギアの手から離れた魔術の球体が包んでいた。
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