不調

「――うまうま。」


「どうです?わかりましたか?あそこの店員はこっちがちょっと笑うと案外あっさりケーキを出します、それを利用すればこのようにただでケーキを提出させることができるわけです。」


「ん、大変参考になる。」


「するなよ?」


 傍らで善と悪の境界線を漂う会話を繰り広げていた姉妹に向けてテンプスはとっさに声をあげた。


 何時もの通学路、いつも通りの寄り道は、ただ一点がいつも違った。


「だめ?」


 そう言ってこちらを見つめてくるかすかに普段よりも低い視線を感じながらテンプスは声をかける。


 そこに居たのは自分の後輩によく似た少女だ。


 輝く貴金属の髪、宝玉のような瞳、白磁のような肌。


 まるでもう一人の彼女のような姿をしたその少女――ノワ・カレンダは首をかしげてテンプスに尋ねた。


「人の好意を食い物にするんじゃない。」


「むぅ……でもあの人がくれた。」


「もらおうとしてだろう?それは十二分に好意を食い物にしてるってことだ。」


 そう言ってたしなめるテンプスに脇から物言いが入る――マギアだ。


「食い物とは失礼な、正当ないただき物ですよ。この美少女二人からの行為を受け取る対価というやつです。」


「淫魔かなんかの論理だぞそれ。」


「天使の間違いでしょう――ま、冗談はこの辺にしましょう。」


 そう言って笑うマギアが「いいですか――」と再び妹に声をかけているのを見ながら、思う。


『姉妹なんだなぁ……』


 正確には双子だ。まるで瓜二つのこの二人は同じ呪いを持ち、同じだけ美しい。


 店員が彼女たちに物を捧げたのも理解はできる――それだけ美しいのだ。


「……?何ですか?」


 妹との会話を終わらせたらしい後輩が振り向きながら問う。


「ああ、いや、美人はどんな髪型も似合うんだなと思っただけだよ。」


 ごまかすような一言。ただ、本心ではあった。


「ん……ああ、これですか?当然でしょう、これでも私は魔術的に確約された絶世の美女ってやつですから。」


 そう言いながら、彼女は髪をなでる――よくケーキがつかないものだ――流れる貴金属のような髪は家族が帰ってくる以前とは変わっていた。


 以前は長かった髪を後ろでまとめていた彼女は、テンプスが目覚めた時にはすでにその髪を断ち切り、その髪を短くしていた。


 サイドは長めの、ボブヘア――というらしい、正直、髪型というのはテンプスにはよくわからないのだが当の本人が言っていたのでおそらくそうなのだろう。


 前髪を切りそろえ、もみあげ……と呼んでいいのかわからない部分を前に垂らして、後髪が犬の耳のように跳ねたその髪型を始めて見た時はいささか驚いたが、それでも大層似合っていた。


 何故そんなことをしたのかと聞けば、一言。


「妹との差別化です――わかりやすいでしょう?」


 そう言って笑う少女に肯定を返して見せたのがもう三日も前だ。


あにさんと姉がいちゃついてる。」


「い、いちゃついてなどいません!まったく妙なことを……」


 そう言って妹に食って掛かる後輩を眺めながらテンプスは苦笑交じりに歩き出そうとして――


『――!』


 足が止まった。


 木の葉の流れが残像のように視界にとどまり、流れる軌跡が無数に分裂して地面向かって青い滝のように流れている――そこに何の敵が意識もない、中止するには当たらない。


 大気の流れが、風として肌を撫で、その軌跡がパターンとして脳裏に焼き付いた――魔術によるものでないのは分かり切っているし、断じて攻撃でもない。


 こちらに向けた物でもない音と声が頭蓋骨の中で乱反発して、それらが持つ意味が脳内で無数に枝分かれを始めた――違う、これは自分やマギアへの襲撃計画ではない。


 傍らの後輩たちが持つ甘味の匂いが普段とかすかに違う――二つの匂いがまじりあっているだけだ。毒など入っていない。


 今朝飲んだ水の味から、水の成分比を読み取ろうとし始めていた――必要ない、マギアが魔術で出した代物だなにも入ってない。


 とめどなくあふれる情報が彼の脳を犯していた。普段のように抑制が効かない。


 これまで精神で抑えとより分けが効いていたはずのあらゆる感覚が脳からこぼれるような違和感がする。


 目を閉じる――情報量が多すぎる、脳が持たない。


 精神と知性が総動員され、必要のない情報が選別される。


 何時もは一瞬でできるはずの行動にいやに時間がかかっていた。うまく思考が把握できていない。脳が追い付いてこない。


 深く息を吸い、より強く思考を意識して――


「――あにさん?」


「――先輩!」


 そこで初めて、声を掛けられているの気がついた。


「ぇ……?ぁ……えっと……?」


「……大丈夫ですか?なんだかボーっとしてましたけど。」


 そう言って、こちらを心配そうに見つめるのはノワ――ではない、マギアだ。


「あー……うん、大丈夫、大丈夫だよ。うん……」


 一度、強く目を閉じる。


 情報を締め出して目を開く。


 その動作だけで視界は元に戻っていた。


 頭を振って混乱した脳をたたき起こす――髪型が違ってよかった。


「……食べる?」


 心配そうにもう一人の少女――ノワがケーキを差し出す。


「……大丈夫だよ。君が食べて。」


「ん……」


 その言葉を聞くや、即座にケーキを引っ込めるあたり現金な娘だ。


 内心で苦笑するテンプスをしり目にマギアは言葉を続けた。


「……本当に何もないんですか?目覚めてから時折そうなってるようですけど。やっぱり休んだ方が……」


「いいよ、課題もあるんだ、放置できんさ。」


「また学園側が適当に課した罰則でしょう?私がやっておきますよ、何なら抗議もしてやりましょう。」


 苦笑する。気持ちはうれしいがそうはいかない理由があった。


「そうもいかんさ、闘技場の一件のせいで君も睨まれてるんだ、下手なことさせられんよ。」


「私のことなら――」


「――行こう。遅刻したくない。」


 マギアの言葉を遮る、下手に聞いたらおぶさってしまいそうだった。


 そんな彼を、二つの不満と心配がないまぜになった視線が貫いていた。

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