思いの丈
「――ほれ、キリキリ動きな!ガキにここまでお膳立てされてこの上手を煩わすようなことするんじゃないよ!」
広い空間に叱責の声が響いた。
其処は闘技場に来る客を待たせるためのホールだった。
状況は目まぐるしく変わった。
魔女の密閉に成功し、魔女の魂を回収したマギアたちはそれからほどなくして駆け付けた騎士たちに保護された。
先頭に立っていたテンプスの祖母はすでに終わった戦闘にひと時とても驚いていた様子だったが、それも一瞬のことだった。
速やかに騎士たちに指示を出し、事態の収拾を図った。
騎士たちは残された戦闘の後を見て、マギアとテッラに称賛の声を送ったが――まあ、正直に言って何の興味もなかったので何を言われたのかは覚えていない。
それよりもテンプスのことが心配だった。
ぐったりと体を投げ出し、失神するように眠った少年は追いついて来たキビノとテッラの手によってこの広場にいざなわれて――いま、彼女の膝の上で眠っている。
「先輩、寝る時は赤ちゃんみたいな顔して寝るんですね。」
目にかかった髪の毛を指で払う。
その下の顔はいつ見てもどこか犬に似ている。
精悍な顔立ちではない、気弱な犬だ。
弟のように線は細いのでどこか納得がいくその姿。垂れ目が閉じられると赤子の様だった。
その顔がどこかおかしくて、マギアは笑った。
彼には言いたいことが秋の実りのように莫大にある。ただ、今言うべきことは――
「あの時、信用のおけない怪しげな魔術師を追い出さないでくれて……ありがとう」
ここまで言ったら、あとは立て板に水だ。
「あの時、貴方には何の得もないのに私の家族を庇ってくれて。」
「馬車にひかれそうになった時、飛び込んでくれて。」
「魔女の館に私のことを助けに来てくれて。」
「消えようとした私を此処に引き止めてくれて。」
「私の代わりに友達の仇を撃ってくれて。」
「間抜けにも捕まって、何もできない私を助けに来てくれて。」
流れるようにあふれるのは感謝だ。
これまでに行われたすべてへの――感謝。
「いつまでも、意気地のない私を奮い立たせてくれて……ありがとう。」
そう言って、ほほを撫でる、体温の存在が彼がここにいて呼吸をしていることを示していた。
「起きてたら恥ずかしくてとても言えませんけど……感謝してます。」
そう言いながら、顔を眺める、普段見るよりもずっとあどけなく見えるその顔に、体を曲げて、額を近づける――
そこで気がつく。注がれる視線。
「――何してるんです?」
そこに居たのは再会を夢にまで見た家族だ――その興味津々な目がなければ今だって喜びと共に迎えられたのだが。
「姉が1200歳年下の男の子に不埒っちしてるのを見てる。」
「大人だ、ね。」
「待ちなさい、私がいつそんなことしました!?お礼を言っただけですよ!」
慄くように声を上げる――本院的には誓って不埒な行為などするつもりはない、ただちょっと……そう、ある誓いを交そうとしただけで。
「ちゅー!」
「しません!してません!ああ、先輩が起きたらどうするんですか!」
「見た感じ、起きないとおもう、よ?」
「いや、そう言うことではなく……!」
1200年ぶりに感じる家族のわずらわしさと幸福を感じながらマギアはこの二人をどうしたものかと考えていた。
――そんな外の喧騒の中で眠り続けるテンプスは気がつけば研究個室に居た。
「あー……」
『まずいな』と思っていた。
この居心地がよく、けれど彼の物ではないこの空間を、テンプスはよく知っていた。
かつて一度訪れた場所。その時は祖父の屋敷だったその場所は今は彼女と初めて会った場所に移り変わっていた。
数年ぶりのこの領域に現れた自分の存在を『あの男』が感じ取っているのをテンプスも感じていた。
「――やあ、しばらく。」
「――やっぱりあんたか。」
その声の主は突然現れた。
それはひどく不可思議な容貌の生き物だ。
体の形は明らかな人間なのだが、それ以外のすべてが人間ではなかった。
表皮は白と黒の縞模様を示し、顔には何のような凹凸だけがある。
どこから声を発しているのかわからないその生き物は、いつも自らの後輩が座わる椅子の上でテンプスのことを見ていた。
「お早いご帰還だな――まあ、君ならこれぐらいできると思ってたが。」
「そうか?僕的にはかなり遅れた気がするが。」
「それほど簡単な技じゃないさ。君しか使い手がいないからわからんかもしれんが。」
どこか親し気な様子の二人だが、机の上に鎮座する緊張感がただ、穏やかなだけではない時間であることを示していた。
「――で?何の用だ?」
意を決したようにテンプスが口にした。
この空間に入るにはいくつかの条件があるが、彼はその条件を満たした記憶がない――いや、一つあったか。
「わかってるだろう?もはや君の脳の正常性は限界だ。いつ発狂してもおかしくない。」
呆れたように、縞模様の怪人が語る。
それはテンプスも自覚していたことだ。
限界が近い――計画外のことが多すぎた。
「一度に問題が起きすぎてる、心はともかく脳が持たない、接続が切れかけてる。」
そう言って心配とも嘲笑ともつかない気配を漂わせる縞模様の怪人に苦笑する。
「青の鎧のせいか、耐えられる計算だったけどな。」
「それだけじゃない、わかってるだろう?君は後輩に裏切られ、守ると告げた相手を死なせかけて、その家族まで危険にさらした。それが君のせいだとは言わない、だが――」
そこで、言葉を探すように縞模様の怪人が言葉を止める。前にあった時もそうだが、見た目に反して意外と繊細だ。
やああって縞模様の怪人は口を開く。
「――それを君自身が許していない、そのせいで、脳が『パターンを見る事』をやめられない、『無思の法』も機能不全だろう?そのせいで負荷がすべて……」
「脳に来た、わかってるよ――でも戻らないと。」
そう言って縞模様の怪人を直視する。
その視線にたじろいだのか、それともそれをまぶしいと思ったのか……縞模様の怪人はバツが悪そうに言葉を続ける。
「……おすすめはしない、これ以上何か起これば君の脳は処理を停止する。体と魂、精神との接続を断たれるだろう。そうなったら――」
――君はもう目覚められない。
そう言って、思わし気にこちらを見るその姿に、彼は愛情化友情のようなものを感じた。誤りでなければうれしいなと思いながら、それでもと口を開く。
「……最近、帰りを待ってくれてる人ができたんだ、うぬぼれかもしれないけど……」
「そうらしいな。」
「爺さん以来なんだ、待っててくれるの、友達って括りなら初めてで……だから……」
「わかってるのか?彼女は――」
「いつか僕を……だろ?知ってるよ。でもまあ――」
そう言って視線を落とす、そこにはいつも通りの自分の下半身がある。なくなことはないだろう――あの予測が真実にならないのなら。
「――いいよ。しょうがないさ、ぜんぶわかったのは引き留めた後だったし……それに……見捨てられないんだよ、わかってるだろう?」
「そうだな。」
「それに――友達だって言うのが僕のうぬぼれでないなら……人の友達は二人目なんだよ、女の子は初めてだ。」
「そうだろうとも。」
うなずく縞模様の怪人に縋るようんテンプスは声をかける。
「――役に立ちたいの、こんな……出来損ないで、不良品で、まともに生きるのもできないような僕に与えられた力が、泣きそうなあの子を助けられるなら、助けてあげたい。本性も出せないこんな僕にできることがあって、その行く末があれなら。」
それでもいい。
そう言った彼は普段の彼らしからぬ、弱気な様子を――素の彼を見せていた。
5歳のあの日、祖父がたわむれに教えた与太事のような技術を彼自身の解釈と共にその身に宿したあの日から、この男にしか見せていない素顔だった。
「……それなら止めない。止めないが――」
――気をつけると良い、『いつか』を待たずに消えないように。
「――ありがとう、頑張ってみる。」
そう言って、微笑む――そろそろ帰らねば。
ゆっくりと解ける世界が色を失う。
彼の研究個室――『避難所』から人の気配が消えた。
残ったのは夜よりも濃い闇と虚ろに揺れる気配だけだ。
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私信になりますが、明日は夜勤がありますので五時以降には誤字の修正、コメント等の返信ができません。
ご了承ください。
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