――お疲れ様です、先輩

 光輝き、安らぎと静謐さを宿すその鎖は、しかし、魔女のような悪人には重篤な害をもたらす。


 そのことに気がついたのか、単に拘束を嫌ったのか――魔女が即座にその場を離れんと動き出した。


 しかし、それを許すテッラではない。


 空中を高速で動く汚泥に即座に槍の穂先を突き立てて、練り上げた魔力を電気に転化させる。


 神経を犯す稲妻の一撃を受け、魔女の体が動きを止める。


 そこに、鎖が殺到した。


 輝く鎖が魔女とテッラを同時にとらえる。


 ぐるりぐるりと巻き付く鎖がどのような奇跡か、粘性を持ち、自在に形を変えるはずの魔女の肉体を完全に縛り上げ、身動きを取れなくしていた。


 ミシミシと音を立て、ウーズの肉体に負荷がかかる――非致死性のその力は、けれど、明確な苦痛と不快感を魔女の魂に与える。


 これが天上界の鎖の力だ。


 悪しき魂に力と静謐さでもって苦痛を与え、その自由を奪う。


 いくつかの無理を通して放った鎖は、魔女の身動きを完全に封じて見せた。


 鎖に縛られ貫ぬかれた槍の先、まるで狙ってくれと言いたげにテッラの体の前に固定された汚泥の塊を眺めて、テンプスは慎重に体の力を抜く。


 力加減が重要だ。


 蹴り方はいつもと同じ、鉄足と蹴撃を併用した超威力の一撃。


 しかし、普段とは違う点が一つ――テッラだ。


 彼の隠し玉がどんなものであれ、彼に攻撃を当てていいことになるわけではない。


 その上で――あのウーズの体を砕き、さらに魔女を追い出す必要がある。


 そのために必要な威力は明らかにあのウーズの体に収まりきらない。


 であるなら――


『役割を分ければいい。』


 肉体の破壊と魂の押出。


 両方がほぼ同時に完了すればいい。


 そのために必要なパターンを、テンプスは偶然とはいえすでに作っていた。


 分裂のパターン、過去の一件の捜査中に偶然作った事故の産物。


 どう頑張っても一分持たないこのパターンが、ここで役に立つとは思っていなかったが――


『――当てるのはつま先、最も大きい中心を正確に二撃。タイミングを一拍ずらして……』


 当てる。


 後は力加減の問題だ。


『――आत्मसंहिते यथालिखितं तथा स्वस्थानं प्रेषयतु। पापात् पुनः कदापि न पलायनम्――』


 マギアの詠唱が最終段階に入る。


 テンプスの足が地を蹴った。


 足指が動く、薬指から親指、中指から小指、人差し指。


 地面を強く蹴る――同時に腰のフェーズシフターの引き金を強く引く。


 その瞬間、実像が二つに


 ブロックパターンを示す特異なパターンが、体を二つに分ける――正確に言えば、二か所に同時に現れる存在の矛盾を成立させた。


「――もはや名を捨てた『名声の魔女』よ、遠き闇の奥から夢見る父の名において、あなたをする――」


 足指が動く、薬指から親指、人差し指から小指中指。


 オーラの燐光が足に宿る。


 最新の注意を払い、足の力を調整する――踏み切りは完璧だった。あとは締めだ。


「――不滅Indestructibility――」


 蹴りを天頂から落とすテンプスの視界の端、金髪の美丈夫がかすかに魔性の気配をまとったのが分かった――あれがうわさの隠し玉とやらだろう。


 蹴り足がウーズの体に触れる。


 鈍い。


 砂の塊を蹴るような感覚――これが、魂の入った生き物の感触とはテンプスには思えなかった。


 オーラが蹴りの威力を解き放つ。


 波打つ水面のように揺れて衝撃を分散しようとした体を、けり足が砕く。


 オーラの衝撃が全体に伝播し、心身を砕きながら疑似魂核――ウーズの魂を砕いた。


 次の瞬間だった。


 こちらを見ながらあざけわらう魔女がウーズの体から抜け出す。


 目論見通りだった。


 逃れる腹積もりだろうその姿は霊感を持たぬテンプスにすらはっきり見える程の存在感でもってそこに現れている。


 やはり、ウーズの魂をいけにえに魔女は逃げ出した――そうだろう、お前はそう言う女だ。


 マギアに言われたとき――いや、その前から、この女が容易につかまらないことなどわかっていた。


 ――だから。


「――悪いがその動きは知ってる。」


 一拍おいて現れたもう一体のテンプスの蹴りがそのにやけずらを打ち抜いた。


 衝撃と驚きと絶望に満ちた顔を残して、名声の魔女の魂が弾かれる、勢いよく飛んだ先、そこにあるのは――


「――मृतानां आज्ञाः死者の戒め。」


 ごくかすかにずれた足の着弾とマギアの締めの一言は同時だった。


 マギアの魔力によって描かれ魔力だけでこの世に存在することを許された円陣だ。


 本来物理的に描かれることでしかその場に存在し続けることのできない魔術が円陣の形を持つほどの魔力を放つ後輩を『視界』に収めながら彼は計算が狂ったことを悟った。


 魔女の魂が思ったよりも脇に動いていた。


 そのせいで二発目の蹴りの位置が変わる――このままではテッラに当たる。


 必死に体を制御し、鎧の機工でもって空中で制止しようと試みたが――遅かった。


 可能な限り低減された、しかし、人一人をたやすく砕くケリが霊体を突き抜けた、そのままテッラに当たって――そのおかしな感触に眉をひそめた。


 感触がない――いや、感触自体はあるのだが、それは明らかに人間の物ではない。


 まるで、泡か何かだ。柔らかく――それでいて、辺りに力を受け流すだけの弾性を秘めた泡。


 言いようのないその感触に顔を顰めながら、それでもテンプスはその泡を蹴って反転した。


 空中で体を翻す二つのテンプスが一つになる。


 同瞬、魔術の円陣が縮む――中央の魂ごとだ。


 まるで内側に吸い込まれるように円陣が縮み、魂もまた同じように内側に吸い込まれていく。まるで渦潮に飲み込まれた木の葉のように。


 地面に着地して――同時に鎧がほどけた。


 限界だった。


 オーラが尽きた、高速移動のしすぎだ、これ以上は出せない、無理のしすぎだった。


 一週間で二度も死にかけるのは明らかに体に悪い。


 断末魔は聞えなかった――あるいは、それが聞こえない程、テンプスが疲れ切っていただけかもしれないが。


 何か意味のあることを言おうとして、テンプスは自分がふらついていることに気がついた。


 意識が、明滅している。


 失神と覚醒を浅く繰り返して、それでも回復しない体を何とか維持しようともくろんで――無理だった。


 胸からこぼれる時計を空中で握って――膝から崩れる。


 受け身など取れない、霞と錘に縛られた思考が完全に消える寸前、テンプスは何かに受け止められたような気がした。


「――お疲れ様です、先輩。本当に――」


 そこから先は聞き取れなかった。

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