《天上界の縛鎖》
バキン!
と、硬質な物の壊れる音を響かせて、戒めは破られた。
そこから飛び出すのはさらに少しばかり大きくなったウーズだ。
どうやら、マギアの魔術も食ったらしい――まあ、それはどうでもいい、今更、あの程度の大きさは誤差でしかない。
戒めを解かれ跳ねまわる泥溜まりは再び体を伸縮させる。
槍の雨だ、先ほど使おうとしていた全体に対する攻撃を再び準備している。
その動きに誰が示し合わせたわけでもなく、三人の人間が動き出す。
十字槍の少年――テッラは体に這わせた稲妻を強くし、高速で汚泥に向かって突進した。
再び放たれる槍の雨を手につかんだ一本の槍で打ち払いながら接敵する。
「――なぁ、婆、さっきから思ってたが――」
思わずついて出た言葉を、区切ることなく魔女に伝える。
「――おまえ、接近されるとほんとに弱いな。」
言いながら彼は槍の石突で汚泥の前面を強打した。
弾かれた魔女の体に向かって放たれた槍が引き戻される。
実はテッラは、この老婆の相手をそれほど困難だと思っていない。
正直に言ってテンプスが生身で襲い掛かって来る方がよほど怖い。あちらには勝てる光景が浮かばないが、こちらはどうにでもできる気がしていた
それは、再び姿を現したときも変わらない。
『テンプスは魔術食われたとき困ってたけど……まあ、体力の問題か、結局、一発も喰らってないし。』
実際、この評価は正しい、テンプスは確かにまずいことになったと思っていたが、それはあくまでも『この女が逃げ出しうる事』に対してであって、負けると思っているわけではないのだ。
もし、そう考えているのなら、テンプスは自分を犠牲に後輩二人を逃がすだろう。結局、この女に負けることはないのだ――ただ、倒しきれない可能性があるだけで。
何せこの女、基本的に接近戦がまったくできない。
フェイントには対応できないし、少し攻撃の軌道を変えてやるとすぐに防御ががたつく。
当然自分がフェイントをかけるなんてとてもできないし、やって来る攻撃も爪と牙の連撃か、さっきの槍の雨、さもなければあのやたらとうるさい声だけだ。
テンプスとの戦いで見せた目から放つ怪光線は放ってこないし、体を作り替えるようなこともしない。
攻撃は直線的で対処も容易だ。
『まあ、魔女ってことなんだろうな。』
能力に自分の戦闘技術が追い付いていないのだ、故に、技をでがかりでつぶされる。
再生と逃げ足は厄介だが――脅威ではない、結局手負いの彼らを殺しきれない程度の敵なのだ。
『――あとはマギアの奴を待つだけか……』
できるだけ遅くてもいいな……と、まだ殴り足りないうっ憤をため込んだ少年は不謹慎にそう思った。
その光景を眺めながら、マギアは代行者になった時封印した力に接続していた。
それは、とてもではないが復讐などという物に使うべきではない清廉な力だ、1200年の歳月の大半を過ごした二つの世界の一つから引き出す輝ける力。
ただ、今この場であの女を拘束できる魔術はこれしかない。
二度と使えなくなるかもしれない。そんな危惧を抱きながら触った力は、驚くべきことに彼女を歓迎し、復讐という行いを咎めなかった。
天井に座す、輝ける第二の故郷に礼を述べながら、彼女は朗々と語りだす。
『.לאלו שבשמים הגדולים, אני מתפלל ממקום נמוך ממך』
それは、テンプスすら知らぬ、古く古くそしてこの世のどこでもない場所の言葉だった。
『.בשם מה שהיה שם פעם ומי יודע את כוחו, אני מביא לכאן את השלשלאות』
『――पातालस्य नौकायानस्य नाम्ना, मृत्युप्रेतस्य नाम्ना।――』
後輩の喉から二つの異なる音が同時に聞こえた。
驚くべきことに、この稀代の大魔術師は『二つの呪文を同時に唱えるつもり』らしい。
『……僕なんかいなくてもばっちりやれるじゃないか。』
苦笑が漏れる――まったく、自分に厳しい後輩だ。これでそれほどの魔術師ではないなどと言い出すのだから。
苦笑いと共に右手に引っ掛けられた杖のフェーズシフターが図形を空中に一瞬だけ映し出し、鎧の形を変えた。
変わるのは赤――フォルティスだ。
差し込まれた赤のブースターを引き抜き、手の中のブースターを再度装填する。
『.כאן בא לידי ביטוי כוחו של האור, שבכוחו להילחם בכל הרעות, ובכוחו לכבול את הרוע』
『――एषः पापात् पलायितानां दण्डः, ते च बासाकुसा ध्वनिनावं प्रति वाह्यन्ते यस्मात् ते कदापि पलायितुं न शक्ष्यन्ति।――』
二つの異なる音のらせんは、片方の終了という形で幕をとじた。
テンプスはマギアの視線を感じる――テッラを逃がせというのだろう。
「――テッラ!」
叫ぶ。
眼前では再び飛びかかって来る汚泥の塊をテッラが強引に抑え込もうとしているのが見える――あの近さでは彼を巻き込まずに攻撃するのは不可能だろう。
「いい!俺ごとやれ!」
テンプスの鋭い一声は、それ以上の鋭さで断ち切られた。
テッラだ。
彼の最初の宣言を今守ろうとしている。
マギアの視線がこちらに向く、いいのかと問いかけるような視線――実のところ、マギアからするとテッラの安否はどうでもよかった。
彼女は善人だったが善は時として苛烈だ、育ての親である祖母の言葉に従い、寛容で慈悲深く生きて来た。
ゆえに自身に行ったことは許した……が、自身の先輩に行った行為だけはどうにも腹に据えかねていた――というか、本人が怒っていないので怒れないだけでいまだに暴れ出したくてたまらないのだ。
気にしているのテンプスの事だ。
彼はこの少年を助けるためだけに一度死にかけている――その努力を無視はできない。
その瞳の色を見ながら、テンプスはいくらかのパターンを眺めていた。
自分が失敗するだろうパターン、自分が成功するだろうパターン、どちらにも転がるだろうパターン……
彼の前を運命の女神のように通りすがっていく可能性を見つめて、テンプスは決断する。
「――やれ。」
その一言に、マギアは即座に動いた。
『――
瞬間、彼女の足元に描かれた円陣が輝きを増し、天井と床から恐ろしいほどの輝ける鎖が現れた。
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