横やりはいつだって突然に

 腐食性を持った体液が爪に充填され、風を切り裂くように駆け抜けた。


 真下からまるでアッパーカットのように伸びる攻撃はしかし、蒼穹のような青を犯すことができない。


 すでに半歩ひいて相手の爪の加害圏から抜け出したテンプスの体がぐるりと一回転する。


 勢いよく回った体から放たれるのはオーラの燐光を放つ白刃だ。


 勢いよく振り切られた横薙ぎの斬撃が空中で身を翻していた汚泥の尾の先端をとらえた。


 切り落とされたその尾の部分は再生――しない。


 さきほども扱った阻害術だ。中身が変わってもこれは当然有効だった。


 マギアの緑の閃光――荷電粒子砲によってちぎられ、焼き尽くされているその体はさらに体積を減じて見えた。


 計画は順調に推移している。


「グゴロロロ………!」


 地鳴りのような音、その出どころはなにあろう汚泥だ。


 あの汚れた物質からまるでこの世の終わりでもきたかのような音が漏れる。


 それが威嚇だと、大体の人間にはわかった。


 そして、それを気にする人間はここにはいなかった。


「おおおおおおおお!!」


 叫び、テッラが汚泥の体を真後ろから槍での一撃。


 外皮を貫き、薄くだが皮膚の内側に侵入した刃を基点に、テッラはため込んでいた魔力を解き放った。


 稲光が走る。


 電撃槍だ。レールガンの時に見た物と変わらぬ輝きを宿して、電撃が汚泥の体を焼き払った。


 マギアの攻撃で対処法が分かったのだろう、電気抵抗の熱で体内部を溶かすように放たれた電撃放射は断末魔のような叫びを生み出して空気に解ける。


『まだ出ないか……そもそも出られないのか?』


 ここまで痛めつけて、なお、汚泥の体に執着する魔女にテンプスは思う。


 よくよく考えれば、魔女は魂に干渉する類の魔術を使っていない。


 密閉の魔術はどうやら代行者が職業技能として持っている技のようだし、それ以外ではマギアが扱った魂をすなどる網だけだ。


 魔女に使えないとしても何らおかしくはない。


 やはり殺すしかない――そう考えて陰鬱になったテンプスに鋭い警告の声が飛んだ。


「――テンプス!」


 一瞬、彼には何を言われているのかわからなかった。


 以前から語る通り、鎧には周囲のすべての情報を同時に監視する機能がある、疑似視界と彼が呼ぶその機能において、テンプスは警告を受けるようなことが起きていると認識していないのだ。


 ゆえに、対処が遅れた。


「――あの敵対する魔族を撃て!被害は最小限に留めるのだ!」


「!?」


 瞬間的に振り返る、そこに居たのは次の触腕を撃ち落としていたマギアと――10m以上離れた場所で


 これは彼の知らないパターンだった。


 元来、他人を背にかばって戦うことのない人生だった。


 五歳の折にまともな戦いなどできない体になり、それからは常に一人だ。


 だから、『庇った味方に背中から撃たれる。』というパターンを彼は知らない。


 だから、察知が遅れた。


 手に輝く発光は紛れもなく魔術攻撃の前兆――どうやら、彼らは自分を見捨てて攻撃を行う方向性にやり口を変えたらしい。


「――何してるんです!?やめな――」


 もはや、マギアにも止められない。


 というか、止めるわけにはいかないのだ。叫んだ時点ですでに攻撃準備が整った彼らを下手に止めれば魔術が暴発する。


 全て同時に打ち消すこともできるがそれをやれば、魔女が何をしでかすかわからない。


 全てを同時に行うことは、マギアにはできない。


 ソリシッドの庇護と家族との再会でごまかせてはいたが彼女は疲れ果てていたし、魔力に至っては切り詰めて使っているが普段の100分の1も残っていない。


 隊長格――マゼンダが、白銀の装飾を施された美しいロングソードを掲げ、にらみ合いのように相対する男ごと魔術で焼くよう指示する。


 一般市民が聞いたら暴動がおこるだろう。が、ここにいるのは自分達だけだ。


「避けろ!」


 自分の後ろの誰かが叫ぶ――同時に動き出す影。


 魔女だ。振り返った隙をついて目の下の皮膚を膨らませている。


 呪声だ。


 この位置で撃たれれば鎧を着ている自分や、魔力の防壁があるマギア以外は全員致命的な一撃を被るだろう。


『――ふせさせ――間に合わない――防壁――前の奴に当たりかねない――全員逃がす――むり――』


 瞬間的に間延びした思考が数多のパターンを呼び出し、それぞれの成功率を勘案する――これしかなかった。


 体を引き戻す、鎧に再びオーラが流れ、時間が泥のように引き延ばされる。


 込められたブースターにトリガーをひいて強引に力を流す。


 オーラの燐光が再びともった刃が中空を駆け抜け、相手の喉を引き裂いた。


 ボシュゥと気の抜けた風船のような音が響いた。


 喉――なんてものがあるのかはもうわからない見た目だが――を切り裂かれ、空気の抜けた汚泥の塊がしぼむ。


 次の瞬間、爆発的と評していい力がテンプスを襲った。


 後ろから飛来した魔術によるものだ。


 もちろん、鎧はこの程度の魔術でどうこうされるような代物ではない。


 ただ――


『まずい……!』


 オーラの燐光が鎧に宿る――再び加速領域に侵入したテンプスが再び体を回転させながら、攻撃を撃ち落とし始めた。


 この攻撃を後ろにとどどかせるわけにはいかない。


 それは自分がこの魔女を倒したいという自己顕示や我欲からくる行動ではないし、まして操れているわけでもない。


 この魔女にのだ。


 これがマギアの放つ緑の閃光――荷電粒子ならいい、早すぎる

 からだ。


 テッラの電光もいいだろう。早いし――何よりもエネルギー量が多い。


 だが、後ろから飛んでくる術はまずい。


 さきほども語ったことだが――基本的にウーズというのは下水の掃除であったり、魔術師の部屋の不要な物の処理に使われる呪縛生物だ。


 特定の資格が必要なほど繊細なその存在は、生まれた段階で質量のある物体を溶かして体積に変える性質をもつ。


 無論、無形の物――例えば炎のような――は不可能だが、そうでない物。


 例えば、石であったり、鉱物であったり、もしくは氷のような物体は生理的に溶かして体積に変えることができる。


 当然、そのままでは危険で使えないため、製作者側で何かしらの抑制をつけ、特定の物体のみを取り込むように調整はされるのだが――このウーズには魔女が混入している。


 つまり、何を取り込むのか自由に決定できるのだ、それこそ、今あのウーズがいる床ですら、今のあの魔女には栄養源でしかない。


 そんな化け物に、質量攻撃を行えばどうなるか?


 当然、あの女は取り込むだろう。自分たちが削った体積を復活させるために。


 それは避けなければならない。


 幸い、今自分が来ているのは青の鎧だ。


 高速をで動くこの姿であれば、すべてをフェーズシフターで叩き落すことも不可能ではない――


『――!』


 そこで気がつく。体の不調に。


 腕に力が入らない、膝が痙攣していた。まるで、数日間、一切栄養を取って否かのように視界がかすむ――


『――使いすぎか!』


 思い当たる事ならあった。


 この鎧だ。


 彼を高速で動かすこの鎧にはある欠点がある――内部と外部で損耗に差が出るのだ。


 鎧の中ではすでに数時間、あるいは数日たっていても鎧の外ではまで数秒。


 では、鎧の中の疲れや空腹――損傷具合はいったいどちらに準拠するのか?


 当然、鎧の中だ。


 オーラを解いた時に感じる精神的疲労、肉体的な負荷――そしてこの消耗。


 高速で動けば動く程、彼の消耗は激しくなる。それが、この鎧最大の欠点だった。


 本来であれば、その時間的差異を克服するために研鑽を積むことが必要なのだが――彼には時間がなかった。


 この姿になれるようになったのはこの事件が起こる前日だ。


 実験を行う時間はないし、そもそも訓練する方法もなかった。


 そうでなくとも彼の疲労はかなりの物だ。


 死の淵から復活し、魔族と素手で交戦し、殺意がある後輩と戦闘。その上で生身で電磁投射砲を切った。限界は近い。


 その上この鎧もぶっつけだったのだ。付与術を扱い、テッラよりも高速で動ける人間相手に戦える力は彼にはこれしかない。


 その無理のつけが今、ここで来た。


 崩れそうになる膝を必死で抑える、強引に力を籠め、必死に腕を振る。


 加速した腕は、たとえ力がこもっていなくとも相応の力でテンプスの期待に応えた。


 七割がたを撃ち落として――だが、すべては無理だった。


 膝が崩れる、オーラの燐光が途切れ、時間が底なし沼にはまったのように減速する。


「――先輩!」


 心配に満ちた声音で叫んだマギアの声が響いて――強く前に押された。


「――テンプス、無事か!?」


 テッラだ。


 付与術の高速移動で、汚泥の脇をすり抜けた。


「……あー……うん、大丈夫。大丈夫だが――」


「ああ……」


 そう言って振り返るふたりの視線の先には叩き込まれた魔術を捕食した汚泥の姿がある。


 さきほどより二回りは大きくなった――魔術に含まれる魔力も体内に取り込んだらしい。


「……きみ、さっきの電撃槍、もう一回撃てるか?」


「……時間をくれれば。」


 いささか以上にまずい状況だ――こちらだけ消耗して、相手が復活してしまった。


 兜の中で顔を顰めるテンプスをしり目に、相手が動いた――どうやら第二ラウンドの開始らしい。

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