魔女の弟子

 黒いウーズを見つめるテンプスの視界には彼の知性と力に裏打ちされた未来が映っている。


 高速で壁を蹴る残像、直進してくる残像、尾のように揺れる部分を使って放つ刺突、口からの呪声。


 それは彼の脳が見せる、明示的な未来の姿だ。


 恐ろしいほどの速度で放たれる攻撃の数々を、テンプスは脳内で処理する。


 それぞれの確度を確かめ、テンプスは煩わし気に鼻を鳴らした。


『魔女がいるせいでパターンが読み切れん……見てない術がある可能性があると面倒だな。』


 とはいえ、戦いなんてものはいつだってそんな風だ。


 相手の手の内をすべて見て判断できることなどまれだ。


 そっと腰に接合されたフェーズシフターを手に取る。


 今度こそ、完膚なきまでに叩き潰す必要がある。


「このまま密閉できるか?」


「できます――と言いたいところですが少々面倒かもしれません。」


「というと?」


「あの体、呪縛生物でしょう、もともとあのウーズに宿っていた魔術の塊があるはず。」


「……ああ、魔術で作った魂の代用品だったか。」


「そうです、本来の者にくらべればゴミみたいな代物ですが代用として成立する最低要件を満たした代物、あれが同時に体の中に入ってるとなると――」


「――そいつを身代わりにするかもしれないと?」


「あり得る線ですよ、自分で死んで体から抜けるような女です、それぐらいならやりかねません。」


「……ふむ……」


 ありえる。


 あの魔術はあくまでも魂を封じる物、代用品で逃れられるかはわからないが――


「じゃあどうする?」


 にらみ合いが続く、テッラもうかつに動けないのか、槍を構えて魔力を練り上げる形で相手の出方をうかがっている。


「――一度しばきましょう。」


「その心は?」


「結局、あの体に二つ魂があるのが悪いんですよ、宿を崩せば出てくるしかない。」


「――なるほど?」


 大体理解ができた。


 要するにあのウーズを殺してしまえばいいのだ。


 肉体がない魂は決して物理的な鑑賞力を持たない、たとえそれが魔女の物であってもだ。


 そうなれば、こちらを隔てる者はなくなる。煮るなり焼くなりご自由にだ。


「どうやって殺す?」


「削ります、あの外観と内臓の魔力を考えるとあのウーズの構成物質はそれほど多くないでしょう、私たちから逃げるのに相当消耗もしているようです、今の我々の残存魔力で十分に焼き切れます。」


 結局、ウーズにも限界があるのだ。


 物理的に無限に体の材料が出てくるわけではない。そして、マギアの経験則的にも物理的にもそうだが、呪縛生物を維持するためには相当の魔力がいる。


 自分達から逃げている現状、それほどウーズを直すことに魔力は裂けない。


 ゆえに殺しきれる――というのが、彼女の案だ。


「……」


 マギアには兜の裏でテンプスの顔がゆがむのが分かった。


 やりたくないのだ――彼にとって、そう言った行為は決して自分の価値観に合うものではない。


「……あなたとは数ヶ月の付き合いです。長いようで短い期間でしたが、その間にあなたというひとを知ることができました。あなたはひとを傷つけたくないし、ましてや殺人なんて狂気めいたことは好まないと知ってます。」


 それが、彼の美徳だ。


 彼女が初めて会ったあの日から燦然と輝く彼の最大の特徴で、最高の美点だ。


「ですが、あの出来損ないは、すでに生物という枠を超えて器物とも呪いとも言えない何かになりました。その方法は知る由もないのですが、この国の法に、あれを殺しても咎められるものはありません。」


「……法が許すのなら、なんだって許されるわけじゃないさ。」


 どうにもならないのなら、何とかしてやると彼は言った、その言葉に嘘偽りはないだろう。


 その上で、彼はあの女に作られたこの命に慈悲を掛けていた。


 情けがないと、他人は笑うかもしれないが――この人はこれでいいのだと、彼女は思う。


 こういう人のために自分のような代行者は居るのだし、こういう人だから、自分のためにここまでしたのだ。


「ええ、でも、一つの指標にはなる――それでもだめなら、肉体の破壊は私がやります、貴方はトドメの準備を。」


 だから、その『どうにもならないところ』までは自分が一人で進んでもいいと、彼女はそう言った。


 それはある種の決意だった。


 これまでかけて来た迷惑を返していく決意だった。


「まさか、あれだけ啖呵切っといてそんな真似せんよ――それで行こう、準備は?」


「こちらはいつでも、テッラさんの方はどうするんです?」


「あいつなら合わせてくるさ、準備も終わってそうだしな。」


 腹から沸き立つ嫌悪を抑え、テンプスは体に力を込めた――生き物を殺すのはいつだって楽しい経験ではない。


 だが、これしかないのなら。


「――行きます。」


 瞬間、力場の壁が消える。


 足元で怒りと憎悪に満ちた目でこちらを見ていた汚泥が瞬間的に消えたのをマギアの目がとらえた。


 次の瞬間にはちょうど中間にあたるだろう部分で、二つの影が激突していた。


 片や稲妻をたなびかせて。


 片や青い『時の外皮』をまとって衝突した二つの影は白刃と相反するような黒刃をもって激突していた。


 目に負えない程の速度で動き回る二つの影は空中で火花を散らす。音すら置き去りにするその影に狙いをつけられる者は等速で動けるテッラともう一人――


「――ちょろちょろと鼠じゃないんですから。」


 ――彼女マギアだけだ。


 煩わしそうに口をゆがめて、指先にともしたのは荷電粒子を放つ際の燐光、そのまま魔力をチャージし、放つのは一瞬だ。


 狙いは――ひっそりとテンプスの死角に入り込もうとしていた触腕だ。


 稲妻の速度で動くそれを、マギアは正確に狙い打って見せた。


 熱で焼き切れた触腕は地面でバタバタと揺れて――それを地を舐めるような赤い赤い炎の舌が焼き尽くした。


 別段、マギアは高速で動いているわけではない、それはごくかすかな未来予知だった。


 1200年の間、彼女はあらゆる敵に対して警戒し備えて来た。高速で動ける程度のこと、彼女には障害にならない。


 『輝ける天上山』で人ならざるものを相手に研鑽を積んだ時間は、たとえ魔女にしてやられたからと言ってなかったことになどならないのだ。


 背後から迫る触腕を切り落とす準備をしていたテンプスはどこか自慢げな後輩を見て準備を取りやめる。


 どこか余裕を取り戻したような表情のマギアは九人目の聖女の弟子として、本気が出せるのなら魔女などこんなものだと言いたげだった。

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