蟻は穴を掘り終えた
「ごふっ………おば………な、んで」
「ジュルッ」
「なっ……!」
突き立った黒い槍は童女の腹から伸びていた。
高速――音速の倍の速度での接触により、だらりと肢体を垂れ下げているのその体から意志の存在は確認できない。
だというのに、彼女の体から突き出た粘体の槍は鉄の鎧をやすやすと貫く威力でもって彼女を運搬していた騎士の体を貫いている。
肋骨を粉砕され、内臓も破裂しているであろうその体は、命を救うには明らかに手遅れな損傷を負っている
ごぼり。
異音が響く――黒い槍が男の体から何かを抜き出している。
それが血液だと気がついたのは、騎士の体が干からびるように急速に老いているからだ。
まるで蛇が動物の玉子でも飲み込んだように膨らんだ槍が、何かを童女の体に運ぼうとしてい――
ガオン!
轟音が響く。
凝集されたオーラの鏃が宙天を駆け抜け、槍と騎士の接続を断った。
砲声の元は駆け抜けるテンプスの右手で黒光りするフェーズシフターだ。
明らかに復活を目的として動くその姿に危機感を覚えて放った鏃は、体の内側から溢れる『戦士の波』の力で研ぎ澄まされた狙いに過たず、膨らんだ槍の中心を砕いた。
血液が飛び散る。騎士の物だ、ほとんどすべての血を抜かれたのかおびただしい血液が地面に撒かれる。
テンプスの手が時計の龍頭を回す――こんなことなら、脱がなければよかった!
「――コンスタクティオン コンストルティ コンストラクション――」
少年の口が滑らかに動き、音域のパターンが下準備を整える。
だが、童女の肉体――その中にいる魔女はその完成を待たない。
ぼこっと、奇怪な音をまき散らして、童女の体が膨らんだ。
まずい。と思った時にはテンプスは時計のことなど忘れて叫んでいた。
「――――全員伏せろ!」
叫んだことに意味があったのか、それとも個々人危機管理能力が閃いたのか。
それは判然としないが、確かなことは幾人かの人間はとっさに動けたということだけだ。
次の瞬間、童女の体が爆ぜた。
まるで魔術で吹き飛ばされたように膨らんだ部分から破裂したからだから無数の細長い槍が飛び出――
「―――おぉぉぉおお!!」
――す、よりも早く、二つの影が童女の体を通路に向かって弾いた。
片や稲妻を放つ美丈夫――テッラだ。
テンプスに止めろと叫ばれた段階から用意していたらしい稲妻の付与術がうねりを上げて彼の体を加速させている。
そしてもう片方は――誰あろう、鬼殺しと謳われた男の転生者、キビノだった。
エリクシーズの再会を遠巻きに観察していたこの男は、事態がのっぴきならないと知るや、即座に動いた。
結果、ほとんど同時に童女の体に到着した二人はしめやかな一撃で童女の無差別攻撃をしのいで見せた。
ただ――それで止まるような魔女ではない。
膨れ上がった体の向きをかえ、まるで蜘蛛か何かのように壁にへばりついた童女の体が今度は入口に立つ二人に向かって槍の群れを放つ。
身構えるテッラよりも早く、キビノが動いた。
「――さて、お前を大舞台で使うのは初めてだが――」
斬りぬいた体の向きのまま、手首を返して自身の愛刀を握る。
「――いつも通りにやれ。」
その一言が数百年、主の手から離れていた名刀『花散らし』の真正の力を呼び起こす。
迫って来る無差別な槍の挙動を見るでもなく、刀の感知範囲に入ると同時に斬撃が食い止める。
自動防御だ――それも、ジャックが使っていた時とは比べるべくもないほどに速い。
もはや、視線に斬線すら残らぬほどの速度で降り抜かれる刀身が槍を全て弾くのに十二秒かかった。
分が悪いと思ったのか、あるいは部屋から出ることに成功したが故か、童女の体が跳ねた。
その体には稲妻の電光――付与術だ。
「――待て!」
とっさに、テッラが叫ぶ。
逃がすわけにはいかない。逃がせばこの女がどのような手に出てくるかわからない。
そんな思いを乗せて放たれた言葉は、しかし、童女の体と魔女の魂を止めるには至らない。
勢いよく壁を蹴った童女の体が、通路の先に向けて加速する。
ほとんどとっさの判断だった。
未だ稲妻の付与術の残るテッラの体もまた加速する――魔女の後を追う。
テンプスが入口にたどり着いたのはそんなタイミングだった。
入口の向こうに体を出す――すでに二人の姿は見えない。
『……まずいな。』
このままでは逃げられる――テッラだけでは密閉できない。幽体封じ込めるすべは彼にないのだ。
『肉体が滅んでても、魔術の壁がないなら逃げ切れる算段か……』
急いで追う必要がある。ゆえに、声をかける。
「――追えるか?」
その声に反応するかのように傍らに現れた共犯者は、少しばかり息が上がって見えた。
「はい、ただ……」
「?」
「……いえ、何でもないです。」
何か言いかけてやめる――先ほどから様子が妙だった。
「マギア?」
「大丈夫ですよ、行きましょう。」
顔に緊張が宿る、どっか恐れたような反応――
だが、今、それを気にしてやるわけにもいかない――テッラがあの女と戦っている。放置はできない。
それに、話しなら走りながらどうにかなるだろう。
祝詞を唱える。
「――コンスタクティオン コンストルティ コンストラクション、我が求め訴えに答えよ。」
時計の内部構造に力が宿る。
『――
背中の重みを感じながら、彼は再び鎧をまとった。
すでに形を変えたフェーズシフターから放たれた青い図形が鎧の形を変える。
鎧の主要な部分がほどけ、足と頭だけが守られた状態を作る。
「――おぶされ、僕が連れて行く。」
「ん……わかりました。」
そう言って、いつだかの朝にやったように彼女が体重を預ける。
それを深く確認せずにテンプスは口を動かす。
「キビノ、悪いんだけども――」
「こちらは任せろ――どのみち、大概の人間は動けん。」
そういって振り返る――そこには騎士も容疑者もみな一様に事態が呑み込めないまま固まっている光景があった。
「らしいね。」
「こちらはアマノと俺でやっておく、あの女はほれ、こういったことは得意だからな。」
「悪い。」
「気にするな。」
腕をひらひらと降る男に微笑んで、テンプスは足に力を籠める――随分と長い事あの女の企みのせいで厄介事の只中にいる。
『いい加減――』
終わりにしに行くとしよう。
次の瞬間、鎧に宿ったオーラが彼らを加速させ、テンプスの姿が消えた。
蟻は穴を掘り終えた、あとは崩れるだけだ。
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