前提の違い

「どういうことだ。そこの彫像の中から消えたのか?」


 突然、耳元に響いた声に口を開く。


 周囲に伝達された様子はない、どうやら『仕事』がらみと見て魔術で直接声だけ届けて来たらしい。


「肉体はここにあるのに、魂が抜けてるんです。これだと密閉は――」


「できない。だろうな。」


 周囲を見回す――異変は感じない。


 彼に霊感はない。逃げ出した幽霊は見えない。


 だが同時に、空気の中に異物が混じればパターンが変わる。それが霊体でも、温度、磁場そう言ったものが変動する。


 その違和感を感じられるだけの力を彼は有していたし、その力を周囲に張り巡らせてもこの付近に違和感はない。


 だが実際に逃げ出したのだろう、マギアの反応からそれは分かった。


『……霊体を検知できるなんか、あった方がいいな。』


 内心で準備不足を嘆いた――作ろうと思ってはいたのだが、課題やらで忙殺されて作りそこなってしまった。


 後悔を振り払い、テンプスの思考は巡る。


『にげた……どこに?あいつが彫刻になってから三十分。その間、気配は感じなかった。』


「消えたってのか?」


「……いま、目の前にある事実を見る限りは。」


 そう言って、どこかばつの悪そうな顔をしたマギアを眺める――彼女がミスった?いや、ありえない。


『あいつに感知できないのなら、本来あの魔女に不可能な方法で逃げたんだろう、魔術じゃない。となると――』


 ふと、思い到る。


 肉体が魂を手放すのは何も神秘による作用だけではない。それよりももっと身近な方法がある。


「……自殺か?」


 そう、死だ。


 何らかの方法で自身を殺し、その後何かしらの方法で魂だけを逃がした――ありえるかもしれない。


「……あり得るかもしれません。聞いたことはありませんが……」


 そう言う術があってもおかしくはない。


 問いかけた言葉にマギアが答えた。


『だとしたら――』


 どこに逃げた?


 いかに霊と言えど、感知できる人間からそうやすやすと逃げ出せまい。


 そも、ここには「せいやくのしょ」の代行者が二人いるのだ。どちらもの感知から完全に逃れられるとは思えない。


『あり得るとしたら――僕が壁を蹴破った時、もしくは……』


 叔母が扉を破った時だ、あの時なら、視線は扉の方に向かっていた。


 その瞬間だけなら、逃れることはできたかもしれない。


 だが同時に、ここから逃げることもできない。


 霊体は壁を透過できるが、魔術――魔力の干渉を受ける。


 そして、この施設の壁は悉く魔術的な処理をされている。その性質上、この闘技場内からは扉以外の方法では出られない。


 そして扉の方には視線が向いていた。そこを通れば嫌でも気がつく。


 逃げてはいない――ではどこに?


「……すいません、私のせいで。」


 ひどく気落ちした声が耳朶を叩いた。


「マギア?どした。」


「……仕留めたと思って油断しました。私だけでも勝てると思って――」


「うれしくなったか、自然な事だと思うがね。」


 実際、1200年の孤独を与えた相手に勝てたのだ、誰だって舞い上がりもするだろう――自分だって、初めて兄に反撃できた時はうれしくなったものだ。


「ですが、私の務めではそんなことは許されません。私がきっちり仕留めていれば……」


「いいさ、どうせ逃げちゃいない。見つけ出して閉じ込めればいい――言ったろう?とれる責任なら取ってやるって。これはどうにかなる範囲だ。」


そう言って笑う。


「……あ、あり――」


「――マギア!どうかしたの?」


 突然、聞き知った声が魔術に割り込んできた。


 サンケイだ。


 いつのまにやらそばに寄っていたあれが、マギアに声をかけた結果、魔術の中に声が入ったのだ。


「どうかしたの?」


「あ……ええ、魔女が――」


 言いかけていた何事かを区切り、サンケイに応答するマギアを眺めながらテンプスは思う。


 お似合いの二人だなぁ……と。


 片や、学園の麒麟児にして、自分の弟とは思えないほどの白皙の美貌。


 片や、魔女が兵器として扱おうとしたほどの天上の魅力。


 まったく羨ましい二人だ――やはり、美形の方だと接触が短くても好かれるのだろうか?


 そんな事を考えながら、二人を眺める。


 思い浮かぶのは二人で歩く男女――


『男女関係……恋人……ふうふ……』


 はたと、脳裏に天啓が下りる。


「――結婚できない女?」


 いつだか、蜘蛛を通して聞き取ったそのセリフを思い出す。


 何かが引っ掛かる――何か――


『――器物に宿る魂。人間離れした肉体の童女。生身と金属……』


「いるはずの……ない、孫……」


 思考が、誰も追いつけない程加速する。


 脳内の熱が真夏の太陽のように高まり――答えの破片をつかんだ。


「……そんなことが……魔術が失敗したってことは?」


「ありえません!私が失敗するはずが――」






「―――前提が違うとしたら?」





 思い付いたのは恐ろしい仮説――これが正しいのなら、今まさに魔女は逃げ切ろうとしていることになる。


「――マギア!サンケイ!あの餓鬼は!?」


 とっさに叫ぶ――周囲に聞かれるかどうかはもはや関係がない。急ぐ必要がある。


「えっ、あ、今運び出されるよ、どうしたの?」


 その一言に、テンプスの視線が走る――もう出入り口手前に居る!


「――テッラ!マギア!黒頭巾をこの部屋から出すな!」


 叫び。テンプスの手が時計に走る――間に合わない。


「へっ?何――」


!」


 フェーズシフターを向けながらのその叫びと童女を搬送していた騎士が黒い何かに貫かれたのはほとんど同時だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る