逃亡者

「派手にやったもんだね、さすが私の孫だよ!」


 そう言って肩を叩く老女に、鎧を脱いだテンプスは苦笑した――相変わらず力の強い人だ。


「そりゃあよかった――こっちとしても、来るのに何時間も待ちたくなくてね。」


 そう言いながら、テンプスはここに来るまでに刻んだ彼自身の紋章を自分の祖母が覚えていてくれたことに安心していた。


 従業員用の隠し通路の入り口に刻まれたそれは、ごく見つけにくく――けれど、物を探すのに優れた人なら必ず目に付く場所に刻まれて、発見されるときを待っていた。


「バルドとモースには?」


「あったよ――ずいぶんな大物と知り合いじゃないか。」


「いろいろあったんだよ。」


「だろうねぇ、大捕り物になってるじゃないか。」


 そう言って顔を上げる、視線の先ではこの国の騎士だろう鎧姿の者達が観客を取り押さえていた。


 これほどの捕り物は、老女の記憶にもそうそうない。


 つかまっているものは貴族に大店の店主――それに魔族だ。


 点数稼ぎがしたいのかやたらと張り切っている騎士たちは、貴族に反抗できるいい機会だとばかりに強権を振るっている。


 これが、この国主導の試みだというのならだまくらかすこともできたのだろうが――今回はそうもいかない。


 彼らはこの後『国家間を飛び越えて行われた人身の売買』に関連する容疑で国際法院に送られる。


 刑罰は……考えない方がいいだろう、決して幸せにはなれない。


 そして、同じように観客を取り押さえていた魔族もまた、この施設の関係者ということで捕まっていた。


 ただ――こちらに関しては幾分か事情が違う。


 薬を打たれ、仲間を人質にされて、人肉を食わされる等、劣悪な環境に置かれ心身が摩耗している。


 彼らの本意ではないという証言はあの魔族の英雄からも取れていたし、魔術による魔術痕跡の確認でも薬が盛られているのは判明している。


 その時点で心身の喪失によって引き起こされた事件だと法院は判断するだろう。


 そうなれば、待っているのは治療とその後の帰還だ。


 そうなれば、彼らは自由を得る――彼の思惑通りに。


 こうなると読んで、この施設を占拠させたのだとすれば……


『まったく、兄さんによく似たね……』


 末恐ろしいところまでそっくりだ。そう苦笑する叔母に、テンプスが尋ねる。


「どうやったんだ?叔母さんもう執行官じゃないだろ?」


「緊急逮捕権ってやつさ――わたしゃ、自分の孫を迎えに来ただけだからねぇ!」


 そう言って豪快に笑う――どうやらこの気の抜けた言い訳で押し通すつもりらしい。テンプスは苦笑を漏らした。


 そのわりに先ほどは「捕まえる前に」などと言っていた気がしたが……本人がそう言うのだ、こちらは否定できない。


「なのに騎士まで連れて来たのか?」


 だから、


「昔の知り合いさ、どんなことになってるかわからないだろう?私はか弱い老人だからねぇ!」


「か弱い老人はロックのかかった扉、呪いでぶっ壊しながら最短距離で走ってこないんじゃねぇかな……」


 言いながら苦笑する――彼女の二つ名『ばらしや』には様々な意味がある。


 他人の罪を「ばらす」もの。


 底意地の悪い犯罪者の根城を「ばらす」もの。


 しかし、最も恐れられた由来はこれだ――あらゆる物を、卓越した魔術の技でもってぶち壊しながらばく進してくるのだ。


 隠し扉の裏に隠れれば壁ごと砕き、まじない殺しの鉄の鎧を塵に変える。


「戦闘スタイル:高等破邪呪文」という何言ってんだかわからない戦い方の彼女はこと悪人が相手ならテンプスが知る中でも有数の魔術師だった。


「何言ってんだい、これぐらい淑女のたしなみさ。」


「物騒な淑女だ。」


「女ってのはそう言うもんさ!」


 からからと豪快に笑う。


 大雑把な人だ――そのおかげで、ずいぶんと助けてもらっているのだが。


「にしても――」


 まじまじと、叔母の視線がテンプスを矯めつ眇めつ眺めた。


「ずいぶんと良いおべべだったじゃないかい。」


 そう言って、意味ありげに笑う――気がついているのだろう、これが何なのか。


「爺さんからのもらいもんだ――十年もかかったよ。」


「……そうかい、あの人はきっちり自分の夢をかなえられたんだねぇ」


 そう言って、叔母は一瞬遠い顔をした。


 それが、無き兄へのどのような感情かはテンプスにはわからない。あるいは、本人もわかっていないのかもしれない。


 それでも、一瞬後にはいつもの豪快な『叔母』の顔に戻って、流線型のヘルムを撫でた。


「おめでとう。大したもんだよ。」


 そう言って微笑む叔母に、テンプスは――困った。


 慣れていないのだ、好意を向けられるのに。


「あー……あはは、いや、爺さんのおかげで……僕はなんもしてないよ。」


「何言ってんだい、あの人ができなかったことをあんたがこなしたんだから、それはきっちりあんたの功績さ――とうとう、あの人を越えたんだねぇ」


「そんな大層なもんじゃないよ……」


 そう言ってどこかばつが悪そうに体を縮めたテンプスを、慈しみに満ちた目で見つめた叔母を、脇から来た声が呼ぶ。


「――ヒコメさん、ちょっと……」


「ああ、行くよ――じゃあ、戻ってくるまで待ってんだよ。」


「はいはい……」


 ひらひらと手を振るテンプスは歩き去る叔母を眺めている――どうやらあの童女についての話らしい。


「――すごい方ですね、あのおば……さま?」


「――だろ?見てて飽きないよ。」


 脇からかけられた鈴が転がるような声は、しかし、普段聞く物とは違う。聞き覚えはあって、でも聞きなじみの無いこの声は――


「悪いねアマノ、弟がずいぶん迷惑かけただろう。」


 そう言って傍らに現れたのは流れる夜の闇を湛える少女、アマノだ。


「いえ、正直何もしておりませんので。」


「ここまで連れてきてくれただろう。」


「そちらに関しても何も……皆様お強いですから。」


「特に叔母が?」


「ええ、特に叔母様が。」


 そう言って軽く笑う少女はどこか楽しそうに見えた。


 そんな彼女を眺めて、テンプスの視線は彼女が歩いてきた方向に向かった。


「――あいつらはどうだね。」


 そこにあるのは彼が守りたかったものだ。


 友人四人が金髪の美丈夫を囲んで騒いでいる。


 叱責されているのだろう。


 だというのに、美丈夫の顔は困ったように笑っている。


「大丈夫だと思いますよ――皆さん、あの関係が大事なようですから。」


「そうらしいな。」


 そう言って笑う――まあ、あれが見れたのなら、六日も死にかけたかいがあろうものだ。


「私としては貴方の試合が見られなかったことが不満です。」


 どこかふてくされた様に、アマノが声を上げた。


「……なんで?」


「?前に言ったではありませんか。」


 きょとんと、彼女は当たり前のように言った。


「私、あなたのファンですから。」


 そう言って、朗らかに笑うアマノはなるほど天女と言われるだけはある、心動かされれる美しさだった。


「……あー……えー……」


 正直に言って困った――こんなことを言われるのは想定していない。


 同時に褒められすぎている――まさか、死にかけている自分の見ている夢だとか言わないだろうか?


 焦ったように体を縮める少年はそんな器具に体を震わせた――いつだって、幸せを続けるのは大変だ。


「どうかされました?」


 そう言って、こちらを覗き込むように顔を見ようとアマノが体を――


「――おい、貴様、人の共犯者に色目を使わないでもらおうか。」


 ――その動きを、そんな声が止めた。


 もう一つの鈴の声。


「――あら、マギアさん、なんです?」


「……私がいない間、先輩のお相手ありがとうございます、あとはこちらでお相手するので任せていただいて結構ですよ。」


「あら……ふふっ、ええ、これはすいません。では、テンプスさん、また後で。」


「え、あ、うん。」


 手を振りながら去ってくアマノを見ながら、テンプスは状況についていけなくなっていた――何が起きている?


「……あー……その、すいません、話してるときに。」


「ん?ああ、いや、うん、別に……どした?」


「あ、いえ、その……話したいことがありまして。」


「うん?」


「えーっと……そのですね……」


「……?」


 らしくもなく、歯切れの悪いマギアに首をひねる。


 彼女の用――考えてみたが、良くは分からなかった。


 そんなこんなで流れる極めて気まずい沈黙に耐えかねたように、マギアは声を上げる。


「……あー……あの魔女をかたずけたらまた言いますから、それまで待っててください、すぐ終わらせて来るので。」


「ん……わかった。」


 そう言って、気恥ずかしいのを隠すように彫像に走る少女に首をひねりながら、彼は頭にのしかかる鈍痛をこらえていた。


 蒼の鎧の影響だ。感覚器が正常に機能していない。


 まるで数十年一気に年を取った気分だった。


 とはいえ、あとはここから出るだけだ、これ以上悪化もするまい、なるだけ早く治ればいいのだが――と考えていたのだ。


 この時までは。


「――先輩!」


 鋭い声が飛んだ。


 鈴の声――マギアだ。


 明らかに切羽詰まった声に、視線を走らせる。


 マギアが口を開いたのと彼が視界に彼女を収めたのは同時だった。


「――魔女がいません!逃げました!」


 彫像に手を当てた彼女がそんなことを叫んでいた。



 どうやら、もうひと悶着あるらしい。

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